10 片道切符

 タツヒコがやってきた日からマリーは旅の身支度をはじめた。そのようすをタツヒコはぼんやりと眺めていた。

 つぎの日から訪問者が街から派遣されるようなった。訪問者は表面上はなんの変哲もない人形を装っていたものの、タツヒコを捕まえにきた連中だということは明らかだった。

 最初の訪問のときにきた訪問者はひとりだけだった。訪問者はドアをノックすることもなく蹴破って侵入した。上下に真っ黒なスーツを着込んだ女型の訪問者だった。マリーはいちおう「なんの用です」とだけきいたものの、仏頂面の訪問者は一切耳を貸さなかった。言うことはといえば、「開けろ」や「邪魔だ」や「どけ」といった一方的な命令だけだった。

 つぎの日から訪問者は二、三人でやってくると、テーブルや椅子なんかをひっくり返して地下室まで荒らしまわった。

 そのあいだタツヒコは、大量のパイプにかこまれながら床下で息をひそめていた。訪問者が壁という壁に勢いよくぶつかるせいで、たまにパイプの流れがおかしくなり、ゴボゴボとおぼれたような音を出した。そんな音がするたびにタツヒコの毛は逆立った。

 五日目の訪問者のせわしない足音は一六時間ものあいだ轟いた。五日目ともなると操り人形まで出動するはめになり、店の周囲は騒音にまみれた。オーガニックの鳥たちが遠くにはばたいてゆくのが窓越しに見えた。しばらくすると訪問者たちは舌打ちをしながら帰っていった。

 店内はうそみたいに静かになった。羽音だけが聞こえた。照明におおきな羽虫がぶつかっては、なにもできずにそのまま床に落ちていった。落ちた虫は、弱ってもなお手足を懸命に動かしていた。マリーのノックが聞こえると、タツヒコは床板を持ち上げて、いつものタメ息をついた。店内はすっかり荒らされてしまっていた。カウンターを支えていた柱が一本折れて、なかの人工木がむき出しになっていた。

「こんなの、いつまでつづくのでしょうか」

 マリーはタツヒコを肩にのせた。

「もうすぐでおさらばよ」

「身支度は終わったんでしょう」

「うん」マリーは窓際に眼をうつした。「あとは連れてってくれる人を探すだけ。キャラバンたちはもう大人数で見張られちゃっているからコンタクトを取ることは無理でしょうね。あなたが前例をつくってしまったこともあるし」

「じゃあどうするんです」

 心臓なんてないはずなのに、タツヒコの身体からは拍動が聞こえてきた。よく似た機構が入っているのかもしれない。マリーは指先に髪の毛をからませた。

「カタンに聞くことにしましょう。回線をつかってね」

「なんの意味があるんです。だいいち、あの人だって、議会から眼をつけられているに決まっているでしょう。それにぼくの回線をつかうにしても、結局はパブリックなわけですから盗み聞きされてしまいますよ」

 マリーはタツヒコの言うことをかるく聞き流すと、メンテナンスルームに入った。タツヒコはこの部屋に入るのがはじめてだった。

 ドアをひらいてすぐに、ぬるま湯のような空気が二人の身体にまとわりついた。タツヒコの眼はゆがみにゆがんだ。この部屋もだいぶすさんでしまっていた。もともと生活感のなさが目立つ部屋であったのが、荒らされまくったせいで廃墟同然にまでなっていた。タツヒコは気まずげに床に眼を落とした。マリーがかつてかぶっていた仮面が落ちていた。三つに割れてしまっていた。もう元通りになることはないだろう。

「ひどいですね」

 さすがに同情するような声だった。

「そうね」

「すいません。わたしが来なければこんなことにはならなかったかもしれないのに」

 タツヒコは耳を垂らした。

「いつかはこうなっていたわよ。これまでなんもなかったのが、おかしいぐらいだったのよ」

 マリーは乾いた返事をすると、かかとをリズミカルに鳴らした。音が床下で反響し、そのエコーが壁から天井へとつたわっていった。

 天井からガラス張りの大型モニターが降りてきた。見た目ばかりはブラウン管テレビそっくりだった。

「有機系ですか」

「そう、いま生成してもらったの」

 有機系を住居に組み込むというのは、訪問者をあざむくにはもっとも手取りばやい方法であった。コードさえ打たなければ生成を行わず、液体としてパイプ内を流れるだけだからである。

「で、これをどうするんです」

「カタンにつないでもらうに決まっているでしょう」

「回線もないのに?」

 マリーはつめたい笑みを浮かべた。

「そう。無線のはね」

 そう言うと床下がおおきく波打って、モニターがうねった。

「この通話システムはカタンが趣味でつくったものなの。で、この店と植物園の熱帯バブルがつながっているってわけ」

「そうなんですか。ずっとあそこにいたはずなのに全然気づかなかったです。にしても生きてるモニターってのは気味悪いですね」

 マリーはつま先で床をこすった。

「慣れればかわいいものよ」

 モニターの肉体的なうねりがおさまると、画面上にカタンの顔がつくりだされた。

 徐々に声もおおきくなってくる。モニターに映ったカタンは身を乗り出して、マリーの部屋を見回した。有機系のモニターであるために、カタンが身体を前方に動かすと、モニターもそのかたちをかたどって飛び出した。タツヒコはマリーの脳天に飛び乗ると、前足を伸ばしてモニターから飛び出してきたカタンの上半身にさわった。しかし、カタンは触れられてもなんの反応も示さない。さすがに感触はつたわらないようだった。

 ひとしきり見回してしまうと、カタンは椅子に身をあずけて、冷笑的な笑みを浮かべた。タツヒコは両眼をうるませると、きまり悪そうに尻尾をまるめた。カタンは目をほそめた。

「大変そうですね」

 マリーは皮肉たっぷりに口角を上げた。

「そっちもね」

 かすかに背後に映る植物園のようすは悲惨なものだった。天球は割れてしまっているし、おおきな木が二、三本倒れているようだった。割れたバブルのすきまに月が昇っているのが見えた。今日は満月だ。

 カタンはすこし間をおいてから、かたわらにあったコーヒーカップに手を伸ばした。きわめて冷静だった。

「相変わらずタツヒコは追われているようですね」

「そうよ。これがあなたの望んだことなの」

「まあ、結果的にはそうなりますかね。でも、これでよかったんですよ。人間がひとりでも逃げたのはすばらしいことです。欲を言えば彼女に連れられてもう何人か出てくればよかったとは思いますがね」

「あっそ。彼女がどうなるかはわかんないけどね。いまごろ砂漠でくたばってるかもしれないし」

 カタンは真一文字に口をむすんだ。

「そんなわけありませんよ。わたしが彼女を選んだんですからね」

 タツヒコは尻尾をとがらせた。

「どういうことです」

 カタンはいっこうにコーヒーに口をつけなかった。彼はすでにタツヒコへの興味を失っているようだった。まともに眼を合わせもしない。

「そのままの意味ですよ。わたしが保護区域の統括とつながっているのは君だって知っているはずだ」

 キツネの体毛が逆立った。怯えではないようだった。

「じゃあ、なんでマリーさんの店が壊されなければならなかったんです。それも根回しすれば良かったんじゃないですか。それに、」

 マリーが遮った。

「そんなことはどうでもいいの。どうせここを離れる予定ではあったし」それから面倒だと言わんばかりにエプロンを引っぱった。「とにかくね、わたしたちもここを出たいってわけ。あなたなら出る方法を知っているんじゃないの」

 こめかみをいじくるカタンの背後を時鳩が飛んでいくのが見えた。一一時だ。

「まあ、ありますよ。リスクはありますがね。でも、そんなことをして、わたしになんのメリットがあるんです」

 マリーはすかさず返した。

「じゃあわたしたちがグリーンちゃんを見守ってあげる。できなくても足跡ぐらいは追ってあげるわ。もしどこかで死んでいたらここに遺体を送ってあげる。それでいいでしょ」

 カタンはタメ息をついてからコーヒーを一気に飲み干した。

「わかりました。まあ、いいでしょう。でも、仮に死んでいたとしても、そのままにしておいていいですよ」

 蚊帳の外のタツヒコは自身の師の言葉にただただ唖然とするしかなかった。

 マリーはそれを見かねてタツヒコを頭をなでてやった。それを見ていたカタンも、タツヒコに手をのばした。有機系のモニターがカタンの右腕のかたちをかたどって、タツヒコのもとまで伸びてくる。マリーはそれを払いのけた。右腕はあくまでも簡易的に構成されていただけだったため、ちぎれて床に落ちるとそのまま霧消した。カタンは困った表情になった。マリーはこれまでになくつめたい声で言いはなった。

「中途半端なことはやめてくれない。もうこの子は用済みなんでしょう」

 モニターがうずまいた。

 カタンは考え込んだ。そして、口をひらいた。

「いや、用済みなのは、むしろわたしの方ですよ。あなたたちはもっと先へ向かわなければならない」

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