6 郵便夫の死、砂の城

 透きとおるような青空だった。おおきな太陽が輝いているのに雨が降っていた。屋根には雨粒が打ちつけていた。閉め切ったレースのカーテンに、草原を流れる雨水の陰影がうつり込んでいた。

 マリーは写真にうつっている果てしない砂漠をのぞいていた。砂漠のところどころに、サボテン型の充電プラットフォームや、品種改良されたハイブリッドの梅の木が見える。サボテン型のプラットフォームに関しては、その利便性もあって、砂漠だけでなく、街中でもたびたび見かける。もちろん活人形たちにとって有用なものであるから、マリーの店に持ち込まれることは決してない。

 コーヒーはすっかり冷めてしまった。店の外に出てコーヒーカップをさかさまにしてみた。流れ落ちたブラックコーヒーが土に溶けていった。乾いてしまえば、どこにコーヒーを垂らしたかはわからない。

 五ヶ月がたった。タツヒコは大舞台を一緒に見てからというもの店にあらわれない。なにも新しいことが起こらない。時間の流れはあのときから止まったままだ。

 街の軽躁からはなれたこの場所では、三ヶ月たとうとも五ヶ月たとうとも時間の流れはさして変わらない。店に持ち込まれるものだって、大昔の人間の手垢がついたものばかりである。未来に向かって時間を刻んでくれるようなものはなにもない。ただただ過去の時間が雪のように積もっていくだけだ。それに、マリーはべつに新しいものを積極的に追うわけでもなかった。それでも世間から離れたこの場所では、生活に困らなかった。

 小雨だった雨は、ときがたつにつれて激しさを増していった。太陽はいつの間にか暗雲にかくされてしまった。雨粒が窓ガラスに打ちつけた。黒々とした雨水が窓枠をつたっていった。土に染み込んだブラックコーヒーは水流のゆくままに流されていった。

 マリーはカウンターに座って頬杖をついた。雨粒が樋を抜けていくのが、振動で身体の奥底までつたわってきた。オレンジ色の光が球形の手首を照らしている。欠伸をした。人形にはする理由もないというのに。マリーはこのようになにもしない時間をもて余すことが多かった。

 マリーは身体を持ち上げると、メンテナンスルームから、かつて顔面に取りつけていた仮面を持ってきた。ホコリをはたいてカウンターの壁に立て掛けた。

 見れば見るほど、この仮面には表情というものがなかった。しかし、活人形が生まれるまでは、こんなものでも十分に生活ができていたのである。すくなくとも人間相手ではなんの問題もなかった。けっきょく人間たちにとって、マリーはただの人形でしかなかったのだから。

 ドアをノックする音が聞こえた。マリーはドアの覗き穴から外の様子を見てみた。

 真っ暗だった。ただただ雨の音と草のささやきだけが広がっているだけだ。

 おそるおそるノブに手をかけてドアをひらいた。

 激しい雨脚のなかに黒い制服に身を包んだ人影が立っていた。傘をさしてもいなければレインコートも着ていない。

「どうされたんです」

 マリーは身振り手振りで部屋に入るようにつたえた。しかし、人影は制帽をふるわせるようにしてかぶりを振った。

「いいん、です」

 人影の頭部から木と木がこすれ合うような声が発された。

「でもボロボロじゃない。はやく入りなよ」

 人影はマリーの言うことを無視してバックに片手を突っ込むと、ビニール包装された封筒を取り出した。

「郵便ですよ。サインを、ください」

 人影は形をたもてなくなったらしく、鈍い金属音をとどろかせて足元からくずれていった。

「やっぱりサインはいらないです。せめてその封筒だけでも受けとってあげてくださいね」

 そう言うと人影は鈍い音を立てた。マリーは地面に眼を移した。雨が打ちつけるなかにもげた右腕が落ちていた。手は封筒を握ったままだ。

 マリーはしゃがんで封筒を拾った。

 封筒を受け取ると、雲が頭上から消え去り、もとの青空が戻ってきた。雲間から差し込んだ太陽光がマリーの脳天を射った。

「じゃあ、さようなら」

 そんな声がした。部品の振動のせいで笑っているようにさえ聞こえた。

 砂の城が崩れるような音が最後にした。

 人影がいた玄関にはガラクタの小山がきづかれていた。この人形の身体はこの街にいるどんな活人形にも似ていなかった。どちらかというと砂漠を移動するキャラバンの身体に似ているが、キャラバンよりも貧弱な関節だった。驚くことに身体全体が木と超軽量プラスチックでできているのだった。

 足の部分は摩擦でほとんど削り取られてしまっていた。徒歩でやって来たらしい。マリーのもとまでこれたのは奇跡に近い。

 マリーはガラクタの上に残された制帽を手に取り、ついていた木屑をハンディモップで払うと、店内に戻った。

 カウンターの上にのせた封筒をハサミで開封した。

 なかに入っていたのは、三つ折りになったちいさな手紙だった。横書きでなにやら書かれている。不揃いの英活字がならんでいるところを見るかぎり、どうやら年期の入ったタイプライターがつかわれたようだ。文字列はこんな感じではじまった。


拝復


 ほんとうに久しぶりだね。マリーくん。さっそく本題に入っちゃうんだけど、いまね、きみの先生がちょっとまずい状況なんだよ。まともにコミュニケーションすら取れない。たまに意識は取り戻すことはあるんだけどね。でも、まあ、よくもまあここまで長生きできたとは思うんだけどさ。人形じゃないのによくやったよ。

 というわけで、もう先生はもうあと数一〇年くらいしかもたないかもしれない。一度でもいいから会ってあげてほしい。場所は知っているはずだ。ここにはあえて記さないでおく。

 あと、きみの住んでいるところは結局わからなかった。これが読めているということは、郵便夫くんがなんとか捜しだしてくれたということなんだろうけど。まあ、彼のメンテナンスを、できるかぎりしてあげてくれ。とにかくまじめなやつだから、いろんな部分が大変なことになっているかもしれない。


マリー様                   ——シモンより


 雛型に口述を落とし込んだような文章だ。だれかに口述筆記をさせているのかもしれない。

 マリーは手紙を封筒にしまうと玄関を見やった。屋外から、郵便夫のガラクタが風のままに転がっていく音が聞こえてきた。ほとんどの部品は風や雨水に流されてしまったらしい。もはや手遅れだ。それにマリーは自分自身や量産型の活人形のメンテナンスはできても、本物の職人による精巧な人形をいじくることは、とてもじゃないができなかった。

 マリーはシモンなる人物が言うところの地図をなくしていた。メンテナンスを繰り返すうちに、どこかに置いてしまったのだ。いまや地下室かどこかのガラクタの山に埋もれているにちがいない。

 カウンターに陽光が差し込んだ。光の波にさらされた封筒に回路模様が浮かび上がった。ガム式印字だった。マリーはそれに気づくと封筒を四つ折にして口に突っ込んだ。封筒を噛みしめるたびに、印字された情報が舌に染み込んでいった。無数の矢印と地名の数々。地図が脳裏に浮かび上がった。取りあえずこれをたどっていけば、いつかは目的地にたどり着くはずである。

 どうやらシモンはマリーがモノをよく失くすことをわかっているらしい。そうでなければここまでの細工はしない。マリーは地図の搾りカスを、ゴミ箱に吐き出した。

それからマリーは早めに店を閉めて、メンテナンスルームで身体を休めた。マリーは八日間眠った。そのあいだに玄関にあった郵便夫のガラクタは、風に吹かれて自然に還っていった。マリーが持ち帰った制帽がカウンターのすみに乗っていた。これだけが彼の生きた痕跡になってしまった。

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