5 大舞台を見下ろして

 年に数回のディスプレイが催されるというので、マリーはせっかくだからと、帰途につくまえに立ち寄ってみることにした。

 マリーは自転車に飛び乗ろうとしたものの、目立つしどうせまた植物園に戻ってくるからという理由でカタンにとめられた。会場は歩いて三〇分くらいかかる場所だった。

 マリーはパラソルをショルダーバッグから引き抜くと、クルクルとまわしながらひらいた。血のように真っ赤なパラソルだった。タツヒコはこめかみをいじくりながら、マリーにきいた。

「夜なのにどうして傘をさすんです」

 マリーの顔にパラソルが深くかぶさっていた。

「これだったら誰も見なくてすむし、誰にも見られない。それだけ」

 植物園を出て大通りに踏み入れると、さっそくマリーは活人形たちの白い目線にさらされた。大通りを行き交う活人形たちは、マリーの手首にはめられた球体を見て、ひとり残らず苦笑した。もっとも、マリーに見えているのは、歩道に張り巡らされたタイルの網目と、地面に埋め込まれたほのかな街灯、規律よく行進する活人形たちの脚ぐらいだった。マリー視界の上半分はパラソルの内側によって染められており、静脈血のような暗赤色の空がひろがっていた。大通りに埋めこまれた街灯がパラソルの内側をゆるやかに照らすせいで、そう見えたのだった。

 人形たちは飾り飾られることと、だれかに見られることが、なによりも好きである。それは活人形がつくられるようになるまえもかわらない。マリーだってそうだ。いまこそ下火ではあるものの、演劇も昔に流行ったことがある娯楽のひとつだった。九〇年前なんかだと人間たちが関わっていたこともあり、演出のひとつとして音楽がついていた。しかし、しだいに音楽や効果音といった人形好みではないものが演出から抜けていき、現在の全面的に視覚に訴えるかたちに落ち着いた。

 演劇はいたるところで催された。路上派と呼ばれる伝統のあるグループは、その名のとおり、ゲリラ的に路ばたで演劇をすることが特徴だった。ストーリーはそのほとんどが大昔の古典演劇のパロディだった。

 マリーたちが大通りを歩いていると、路上派の劇団員たちが三人を取りかこんだ。かれらはバレリーナのように爪先を立てながら踊った。

「やあやあどうした旅のかた」

 そう言った活人形は、黒い外套に身を包んでいたせいで、男型なのか女型なのか一見しただけでは判断がつかなかった。

「おお、あなた」

 劇団員たちの台詞の読みかたは棒読みだった。リズムや音程というものを捨て去ってしまったからだ。笑い声なんかもただの読み上げである。朗読には遠くおよばない。おそらくは取り込んだ脚本に記された笑い声を、そっくりそのまま再生しているだけなのだろう。

「ほほほほ」

 劇団員たちはマリーたちには決して話しかけなかった。かれらは三人をかこい円になってめくるめく場面を展開させた。劇団員たちにとって三人は見られる自分をつくり出すための道具でしかなかった。マリーはパラソルの下から狭い世界をのぞいて、道案内をするタツヒコの足元だけをひたすらに追った。タツヒコのちいさな脚に、劇団員たちのゆらめく影が重なってはまた通りすぎていった。

 ひとしきり演じてしまうと飽きてしまったらしく、劇団員たちは、きりのいいところで三人から離れて、つぎの観客をさがしに行った。

 しばらく歩いているとディスプレイの会場が見えてきた。もともとは大劇場として人間につかわれていた場所だ。外面こそ綺麗に取り繕われているものの、人間につかわれていたというぐらい古い建物だから、内部はかなり傷んでいるようだった。

 ディスプレイの料金は回線から支払わなければならなかった。もちろん回線につながっていないマリーは払うことができない。タツヒコはゆれるパラソルを横目に口をひらいた。

「ぼくが代わりに払いますよ」

「大丈夫よ。払わなくて」

 タツヒコは不思議がった。

「大丈夫なんですか。なんか問題になるかも」

 カタンはつぶやいた。

「それなら大丈夫。彼女のしたいようにさせればいい」

 マリーにはディスプレイに料金を払う必要がなかった。払っても払わなくてもよかった。人形たちにとっては、回線につながっていることこそが生活を営む最低条件であり、この人形の街に正式な登録をすましていることの証左であった。回線につながっていないマリーは、この人形の街においては、当然眼にはうつるものの、回線上はこの街には存在していない透明人形でしかなかった。

 マリーは天井桟敷までつづく階段を踏みしめた。タツヒコやカタンはついさっき特等席のチケットを買ったこともあり、マリーをそこまで連れていこうと説得したものの、マリーは上流層向けの特等席には、どうしても向かいたくないようだった。しかたなく二人はマリーについて行った。

 天井桟敷は円をえがくようにして会場の空高くにひろがっていた。そこは品のない活人形たちでごった返していた。ここにいる人形たちはほかの観客のことなど、まるで意に介していないようで、とにかく大舞台上のことが気になるようだった。欄干から身を乗り出している者や、高倍率の単眼鏡を握りしめている者などもいる。マリーはやっと深くかぶっていたパラソルを持ち上げた。

 円形の大舞台には、兵隊姿の活人形がトランペットを持ってならんでおり、耳をつんざくようなでたらめな旋律を奏でていた。もっとも、いくら下手でも、ディスプレイを見にきている観客たちにとっては、マウスピースに唇を当ててトランペットを吹いているという視覚からの情報さえあれば、旋律なんかはどうでもよかった。兵隊たちが演奏の真似事をしているあいだ、マリーはパラソルの柄を脇にはさみながら、両手でずっと耳をふさいだ。

 トランペットの音がやむと、司会者のウィッカーが軽やかな足取りで舞台袖からあらわれた。ステンドグラスのような色彩のスポットライトを当てられたウィッカーは、中世の貴族を模した格好をしていた。ひとしきり前口上をのべると、人差し指を天井に突き立てた。

 天井からガラスケースに入れられた六人の活人形が降りてきた。かれらはディスプレイにおける現行のスターだった。天井桟敷の人形たちは、ほんの一瞬だけ眼のまえまでスターたちが接近したため歓声をあげた。喜びのあまり飛び上がった者もいた。天井桟敷でおおきな揺れが起こった。床が抜けても驚かないほどだった。人形たちは大粒の涙を流していた。タツヒコでさえ瞳をうるませていた。

 ガラスケースは大舞台まで下ろされると、天井桟敷からはほとんど見えなかった。スターたちの脳天がすこし見えるくらいだ。それでも人形たちはなんとか見ようと、あれこれ手段を講じた。ほかの活人形の双眼鏡を奪い取る者までいた。奪い取った人形を咎める者は誰もいなかった。

 ガラスケースのなかの人形たちはさまざまなポーズを取った。それらのポーズは見た目のアピールにくわえて、どれくらい自分たちの身体が機能的なのかを観客に見せつけた。上流層はそれらを見比べながら、つぎに乗り換える身体を決めるのだった。

 ディスプレイの時間が三〇分をすぎたところで、マリーはおおきな欠伸をした。まわりは相変わらず熱狂していた。ウィッカーはガラスケースを指し示しながら、スタータたちの身体の短所と長所をならべた。艶やかな口元からひとつひとつの言葉が発されるたびに、上流層以外の人形たちは声をあげた。もっとも、声こそ明るかったものの、ウィッカーの両眼はどこか虚ろだったし、沈黙を守りつづけるガラスケース内の活人形たちは、まるで死んでいるみたいだった。

 一時間半でディスプレイは終わった。ウイッカーが舞台袖に合図を送ると、スターの入ったガラスケースは大舞台の地下へともぐっていった。スターたちは、ガラスケースのなかで観客に向かってちいさく手を振った。ガラスケースが大舞台から消えると、ドーム状のカーテンが大舞台にかかって会場が明るくなった。

 上流層の人形たちは、口元をかくしながら内輪でなにやら話し合っていた。

 天井桟敷の人形たちは、大舞台がカーテンに覆われていくのを見届けると、続々と階段を降りていった。マリーは会場を出るとふたたびパラソルを深くかぶった。

「どうでした」

 そう口をひらいたのはタツヒコだった。マリーはエプロンの裾をつかんだ。

「活人形は人間そっくりなもんだと思ってたんだけど、もうなんだか人間からも離れちゃったみたいね」

 カタンは笑った。

「そうですね。超人間といったところでしょうか」

「そうね。いよいよわたしの理解できない世界に入ってきたのかも。ほかの人形たちはどう思っているんでしょうね」

「わかりません。ただ、上流の人形たちはまじめに乗り換えを検討しているみたいでしたけど」

 マリーはパラソルをまわした。

「それ、正気なの?」  

「さあ」カタンは顎をなでた。「まあ、流行をつくりだすのが、かれらの仕事ですからね。そんなもんなのでしょう」

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