4 天蓋と時鳩
マリーは自転車で街に乗り込むと、わき目もふらずに植物園に入っていった。おおきな自転車だったから、まるでパレードの凱旋のようだった。もちろん声援はない。マリーに向けられたのは、活人形たちの白い目だけだった。植物園はバブルと呼ばれるドームの集合体であった。増設をこれでもかとくり返しているせいで、その姿かたちは自然の赴くままにくっつき合ったシャボン玉のようだった。
中心にあるちいさなバブルのなかに入ると、マリーは自転車のサドルから慣れた身のこなしで飛び降りた。バブルの内側はつねに青空がひろがっている。中心には古風なレンガづくりの花壇があり、赤い薔薇が数輪咲いていた。マリーは薔薇に水をやっている細身の活人形に声をかけた。
「やっぱりここにいたのね。そんなにそのお花が好きなの?」
白いスーツを着込んだ活人形は、マリーの方を見ると、ふたたび赤い薔薇に目を向けた。白い身体の胸元で、薔薇とおなじくらい赤いネクタイが燃えていた。
「ええ、これが組み換えもなにもしていない最後の薔薇なんですからね」
「でも、結局は弱いから、適応できないから、そうなっちゃったんでしょう」
活人形は反射的にマリーをにらんだ。
「まだわたしが活人形になったことを皮肉るつもりですか。べつに遺伝子をいじくるようなことは、活人形からはじまったことじゃない。なんなら人間のうちからあったことですよね」
落ちていたゴミをついばんでいた時鳩が三羽飛び去った。午後の六時になったことを知らせているのだ。青空が広がるバブルのなかでは、時鳩は時刻を知るための数少ない手段のひとつだ。健康的な雲がたなびくなかで時鳩たちがオルゴールの音で鳴いている。
マリーは活人形から目をそむけた。
「いえ、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「どうだか」
活人形は鼻を鳴らすと、その場にかがみ込んで如雨露を地面に置いた。それから花壇に腰を据えると、気まずげに両腕を組んだ。
「ところでそちらの無輪車はなんです」
「ああ、これは」
そう言いかけたところで無輪車のシートが起き上がった。タツヒコはプライベートの回線を切断して目をさますと、あたりを見まわした。
「なんだ植物園だったんですか。だったらひとこと言ってくれたら、連れてきたのに」
活人形はタツヒコにちいさく手を振った。
「おはよう、タツヒコ君」
マリーは自転車のタイヤを人差し指でなぞった。指先が黒くなった。
「なんだ。あななたち知ってたのね」
「お姉さん。カタン先生はですね、ぼくの師匠なんですよ」
「そうか」カタン呼ばれた活人形は口角を吊り上げた。「おまえが言っていた『お姉さん』というのは、やっぱりマリーのことだったんだな」
「マリーって名前だったんですか」
タツヒコは首をかしげた。
「そうよ。知らなかったの?」
「べつに知る理由もなさそうだったので」
マリーは反射的にうつむいた。
「そう」
ずいぶんと寂しそうな声だった。カタンがそこに割って入った。
「まあ、マリーさん、ゆるしてやってください。わたしなんかとちがってタツヒコは生まれながらの活人形なんです」
「大丈夫。こういうのには慣れているから」
マリーは青薔薇が咲いている花壇に腰を下ろした。レンガの花壇よりもマリーの身体のほうが、ずっと冷たかった。唇だけはいつも健康的な色合いをしているのだった。
「それで、師匠ってどういうことなの。だってあなたはこれが仕事ってわけではないでしょう」
カタンはかたわらの薔薇をなでながら言った。
「それを含めての師匠です。タツヒコ君には人間保護区域の職員になってもらうつもりなのです。もちろん植物の世話もさせてますけど」
「でも、はたしてタツヒコに人間の管理が務まるのでしょうか。だってあそこは活人形らしい活人形しか求めていませんよね。あなただって、あそこであまりいい思いはしていないはず」
タツヒコが見ているなかでマリーはそう言い放った。カタンはタツヒコを呼びよせると、バブルの外に席をはずすように言った。タツヒコは無輪車はそのままにして、熱帯雨林を再現したバブルへ向かっていった。ドアをひらくと、バブル内に取りつけられているスピーカーから、とっくのとうに絶滅した野生動物の音声が流れてきた。
タツヒコがいなくなるのを見とどけると、カタンはマリーをとなりに座らせ、居ずまいをただした。
「あなたはタツヒコに活人形らしくないところがあるという」
「ええ」
「そうなのです。ですけどね」カタンは膝をかるくたたいた。「だからこそタツヒコ君をあそこに送りたいのです。かれならあの場所を変えられるかもしれない」
「そうかしら」
マリーは空を飛びまわる時鳩を眼で追いながらつぶやいた。
「すくなくともわたしはそう思っています。もっとも、かれにしてみれば、まだ出世コース程度にしか考えていないかもしれませんが」
「ああ、それだったら」とマリーはふと思いついたように言った。「あなたが活人形らしくなさをタツヒコに求めているのなら、たぶん大丈夫ですよ」
「そうでしたか」
そう言うとカタンはこめかみをおさえた。
「どうしたの」
「最近痛むんです。この身体に適合しきっていないのかもしれません。いまだに回線に慣れていませんし。あとで脊髄系を見てもらうつもりです」
それからカタンは回線でタツヒコを呼び寄せた。タツヒコはバブルに入ってくるなり、目をほそめて、
「またですか先生。はやく検査に行ってきたらどうです」と言った。
カタンは気にするなと言わんばかりにタメ息をついた。タツヒコのタメ息はこれがうつったものだったらしい。
「これだったらマリーさんみたいに、乗り換えないでよかったんじゃないですかね。あの身体で二三五年もたもっていられるんですから」
「いや、それはちがう。たぶんだけどね、わたしとマリーはまったくちがう人形なんだ。それに、きみには二三五年と言ったというけど、七〇年くらいまえに、わたしがきいたときだって、マリーそれぐらいの年齢を答えたんだからね」
「そうだったかもしれないわ」
タツヒコは後ずさりしてマリーをねめつけた。カタンはそのようすを眺めながら組んでいた腕をほどくと、両手をポケットに突っ込んだ。
「なんだったらだ、議会の長老にもそのようなことを言ったそうじゃないか。それも、かれがつくられたばかりの時期に」
マリーは口元をかくして笑った。
「そうだったかもね」
タツヒコはただただ立ちつくしていた。
カタンがバブルの壁面に十字模様をえがくと、天蓋にうつされていた青空がかき消えた。天蓋を覆う暗闇に三日月と星々が浮かび上がった。時鳩はあいかわらずバブルを駆けめぐっていた。銀色の翼が月光を反射し、三人の影にささやかな光を降らした。
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