3-11

「よう、やってるか?」

 事前に滝川から教わっていたルートを通り、ニシナも隠し部屋へと辿り着いた。ここは滝川に任せてミツネたちに合流することも考えたが、万が一この場所が見つかったときに対処できる人間がいた方がよかろうということで、結局彼女の後を追いかけてきたのだった。

 画面に向かい作業をしている滝川に声をかけると、彼女は振り返って安心したような笑みを浮かべた。

「よかった、無事だったのね」

「ああ、何とかな。そっちはどうだ?」

「今のところは順調よ。ちゃんとミツネたちが『裏口虫』を仕込んでくれたみたい」

 すでにミツネたちと別れてから十五分ほどが経過していた。滝川もほぼ下準備を終えて、あとは彼女の組んだプログラムが正常に動作してシステム内部に侵入できるようになるのを待つだけだった。

 当然まだ監視カメラなども敵の手中にあるため、施設内部の様子を確認することはできず、ミツネたちがどんな状況かもわからなかった。ニシナはただ待つしかできないこの時間にもどかしさを覚える。

「そうだ。これ、あんたのだろ?」

 そんな中でふと、ニシナはここに来る途中であるものを拾っていたことを思い出す。ポケットに入れていたそれを取り出すと、滝川に向かって放り投げた。

「ありがとう。あのときは無我夢中だったから、落としていたなんて気付かなかったわ」

 それは滝川が『ウシガタ』に襲われた際に落としたペンダントだった。地面に倒れ込んだ勢いチェーンが千切れてしまっていたが、トップの部分は無事のようだった。滝川は宙を舞うそれを上手く受け取ると、しばらく手のひらの上で眺めたあと、胸ポケットにそっと仕舞う。

「大事なもんなのか?」

 雑談で気を紛らわしたかったこともあって、ニシナは何となくそう尋ねる。

「ええ。これは祖父との写真が入ってるの。小さい頃は祖父にべったりで、実はここもよく彼にこっそり連れてきてもらっていた場所なの」

 滝川はポケットからそのペンダントを再び取り出すと、中に入っている写真を見せた。

「少し昔話をしてもいいかしら?」

 唐突にノスタルジックな想いに駆られ、滝川は祖父との過去を語り始めた。


 彼女の祖父・滝川宗助はこの『研究所』の立ち上げに携わり、その後初代所長の任に就いた。

 偉大な研究者である祖父に幼い頃からくっついて回っていた彼女は、共に過ごす中で様々なことを教わり、十六歳の頃には施設で働く職員たちも優秀な研究者に成長していた。有望な人材として周囲からも期待され、徐々に施設内で行われる研究にも携わるようになる。

 この施設は培養肉の開発や食用動物の遺伝子組み換え、クローン家畜の研究を主として、この終末世界における食料品事情の改善に務めようとしていた。その技術のおかげで職員たちは飢えることなく生き続けることができていたし、余った食材は訪れた行商人を通じて外部に販売もしていた。

 しかし、実際に研究に携わり、この『研究所』自体のことも知っていくと、明らかにおかしい部分が見えるようになる。

 まず明らかに単なる研究施設としては過剰すぎるほどの防衛設備、もっと言えば兵器が揃っていた。元々はそういった軍事技術の研究も行っていた場所だったと語られていたが、その詳細は誰もよくわかっていない。

 また、施設の使用電力量にも違和感があった。職員たちが使用している電力量と、データ上の使用量が一致せず、どこかで大量の電力を消費していないと辻褄が合わなかった。

 そして最もおかしいと感じたのは、この施設の歴史に関することがどこにも残されていないことだった。まるで意図的に隠されているかのようにデータが残っておらず、祖父を始めとして創設メンバーたちもそのことを決して語ろうとしない。

 それらのことはもちろん滝川だけでなく、他の職員たちもある程度勘付いていることだった。あえて誰も追及しようとしないのは、ほとんどがこの場所で生まれ育った者たちで、もしも何か余計なことを言って万が一でも追い出される可能性を恐れていた。むしろこの施設にどんな秘密があろうとも、ただ平穏に暮らすことができればそれで何ら問題はない。

 そんな均衡を破られることになったのは、宗助が肺炎を患い、死期が迫っていた頃だった。すでに二代目所長となっていた滝川の父・洋二が、病床に伏せる宗助と激しい喧嘩をして、職員たちの間で話題となった。

 父は何も語らなかったが、滝川が自身で集めた情報によると、どうやら宗助は創設期の古い資料やその他の機密資料にロックをかけ、それを墓場まで持って死のうとしているようだった。そのことに気付いた洋二が彼に直談判をして、口論になったということだった。

 すでに創設期メンバーで残っているのは宗助のみで、彼が死ねば当時のことを知る者もいなくなる。さらに資料さえも見えなくしてしまえば、残された者たちが真実を知ることは難しいい。そうすることで彼は何か重要なことを隠そうとしていた。

 ――やはりこの施設には何か裏がある。

 滝川はずっと抱えていた違和感が確信へと変わる。

「ねえ、私には教えて。ここは一体何なの?」

 ある時、祖父と病室で二人きりになった滝川は、そう言って彼に詰め寄った。

「……お前もか」

 宗助は辟易とした顔で呆れたように呟く。

「だっておかしいじゃない。おじいちゃんは明らかに何かを隠そうとしてる。お父さんと大喧嘩をしてまで隠さなきゃいけないものって何? 私たちは何も知らないまま生きていかなきゃいけないの?」

「お前には知る必要のないことだ」

 ほとんど懇願するように尋ねる滝川に対し、宗助は冷たい声でぴしゃりと言い放ち、それ以上何も答えようとしなかった。あんなに優しかった祖父が恐ろしくて得体の知れない相手のように感じる。

「おじいちゃんは勝手すぎるよ。だからおばあちゃんもいなくなったんじゃない?」

 自分が生まれるよりも前にいなくなったという祖母の話を出したのは、単なる当てつけのようなものだった。去り際に見た祖父の顔はひどく寂しそうに俯いていて、少しだけ心が痛んだが、一度沸騰させた感情を抑えることもできず、そのまま大袈裟に足を踏み鳴らしながら病室を後にした。


「結局、数日後におじいちゃんは亡くなって、それが最後の会話になった」

 一通り語り終えると、滝川は手に持っていたペンダントをぎゅっと握りしめる。

「本当はただ悲しかっただけなの。おじいちゃんは何かに苦しんでいるように見えた。それなのに私は何も力になれなくて……。結局、私は一人前になったつもりで周りからちやほやされて喜んでいたけど、おじいちゃんにとってはただの孫でしかなかった。人間として信用してもらえてなかったのかなって」

 祖父が死んでから、滝川はずっと後悔を続けていた。もっと自分にできることがあったんじゃないか。むきにならずに真剣に話し合うべきではなかったのか。せめて喧嘩別れのような終わり方ではなく、笑顔でお別れを言ってあげられたらよかったんじゃないか。様々な後悔が彼女の中にわだかまりを残していた。

「ごめんなさい、急にこんな話をして。何だかあなたたちを見ていたら、心から信頼し合って、本音をぶつけ合える関係性なのが羨ましかったの。私もおじいちゃんと本音で向き合うことができたら、何か変わったんじゃないかと思わずにはいられなかったから」

 そう言って滝川は伏し目がちに自嘲する。

「どんなに仲が良かろうと、信頼しようと、隠したくなることはあるさ。所詮、自分は自分、他人は他人だからな。きっとあんたのじいさんはそれだけの覚悟を持って死んでいったんだ。あんたが思ってるほど後悔はしてないと思うぜ」

 ちょうどニシナが言い終えたところで、まるでタイミングを図ったかのように、プログラムの実行完了を告げるアラートが鳴った。無事に作業が完遂され、システムへの侵入口が開かれたようだった。

「よし、システムの中枢にアクセスできたわ。これでロックをかけてしまえば、実質的に管理権限は私たちのものになる。……ただ、防衛設備のコントロールをすべて制御し直すとなると、かなり時間がかかりそうね」

 滝川は素早い手つきでシステムを操作していく。目にも留まらぬ速さで切り替わる画面を前に、ニシナはただ茫然とそれを眺めているしかなかった。

「一旦すべての機能を停止して、再起動をかけた。これでロボットたちは動かなくなるはず。新しく立ち上がって指示を上書きするまでは援護できないけれど、少なくともこれでミツネたちの邪魔をすることはなくなった」

「とりあえずは何とかなったってことか」

 ニシナはやっと一仕事終えたというように、大きく伸びをして深く溜め息を吐く。とはいえ、まだすべてが終わったわけではない。むしろこれからが本番だった。きっと今頃ミツネたちはちょうどクシミと相対しているところだろう。ここでの役割を終えたのであれば、そちらに加勢に向かわなくてはならない。

「待って、これは何……?」

 この場所は任せて五階へ向かおうと滝川の方に目を向けると、彼女は唐突に驚いたような声を上げた。

「どうかしたのか?」

「いや、システムの中に一つだけ変なロックがかかっているところがあって……。無理矢理開いてみたら、妙なものを見つけたの」

「妙なもの……?」

 滝川は部屋の奥にある壁を指差して言う。

「あの先に、もう一つ部屋がある」

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