3-7
「この通路の先に非常用の階段がある。本来は緊急時以外開かないんだけど、こういうときのために細工をして私のIDなら開けられるようにしておいたの。ここを使えばクシミのいる五階まで気付かれずに上がれるはず」
四人は小さな机を囲うように座りながら、その上に置かれたタブレット端末の画面を覗き込む。そこに映し出された施設内の地図を指差しながら、滝川はこの後の動きを説明した。
彼女の話によれば、この施設はクシミが職員たちの行動を制限するために、常に厳重な警備体制が敷かれているとのことだった。システムに不審だと判断されるような行動を起こせば、即座に処理対象として攻撃を受けることになる。
ましてや職員として登録のないミツネたちは、その姿を捉えられた時点でアウト。こうして荷物のある部屋まで戻ってこられたのは、滝川が警備ロボットの位置や移動ルートを把握して、それを避けるように進んできたおかげだった。
「それじゃあ簡単だな。さくっと上まで行って、あいつをぶん殴ればいいってことだ」
「いや、そういうわけにもいかない。さっきも言った通り、施設の防衛設備がある以上、彼に近付くことすらできないでしょう。個々の性能はもちろんのこと、その数が尋常ではないの。あなたたちがどんなに腕が立つにしても、物量で押し切られたらどうしようもない」
ミツネたちの力量を正確に把握していないとはいえ、その推測はあながち間違っていなかった。確かに個々の戦闘力で言えば圧倒しているが、人間離れした治癒力も体力消費を伴う分限界があるし、消耗戦となれば三人しかいない彼らは明らかに不利だった。
「何か策があるんですか?」
「ええ。そのためにあなたたちには、これを持って五階のメインコントロールルームに向かってほしい」
そう言って滝川は手のひらを広げてそれを目の前に突き出す。一瞬何もないように見えたが、よくよく目を凝らすと、そこには数ミリほどの小さなチップが乗せられていた。ミツネがその存在に気付くと、それに呼応するかのようにチップから細い足が伸びて、ちょこちょこと手のひらの上を歩き始めた。
「これは裏口虫(バックドア・バグ)。いわばハッキングのための入口を作る装置ね。メインコントロールルームの端末にこれを物理接続できれば、外部からアクセスして施設の管理権限を奪い返すことができる。彼に見つからないように一年がかりで作り上げた、私たちの最後の切り札」
つまり滝川の作戦はこうだった。
まずミツネと莉葉が五階のメインコントロールルームに侵入し、この裏口虫を中に放つ。すると裏口虫は自動で端末に物理接続し、外部からの侵入を許す入口を作る。ミツネたちはクシミとのそのまま戦闘に移行して時間を稼ぐ。
その間に滝川は地下三階の隠し部屋へと向かい、裏口虫のルートを使用してシステムにハッキング。クシミの持つ管理権限を奪取すれば、厄介な防衛設備は排除することができる。
あとはミツネがクシミを打ち取れば、この作戦は完了となる。
もちろん管理権限を奪取したあとは防衛設備を味方につけて攻撃することもできるが、あくまでもそこはミツネ自身の手でケリを付けさせてほしいということで、万が一のときの最終手段となった。
「ただ、もう一つ問題があるの。彼に気付かれずシステムにハッキングをかけるためには、地下三階にあるこの部屋に行かなくてはいけない」
「……えっと、ここには何もないみたいですけど」
指差された部分を見ると、地図上はあくまで壁に隔てられた何もない空間のようだった。訝しげな顔で尋ねるミツネに、滝川はその質問を待っていたように答える。
「そう。本来は何もないはずの場所。でも実際はこの施設から完全に切り離されたスタンドアローンの設備がある隠し部屋になっているの。ここの存在は代々この施設の所長にしか知らされていないから、当然彼も知らないはず。もっとも私も何のためにこんな場所があるのかまではわからないんだけど、この作戦にうってつけの場所であることは間違いない」
滝川は何もないその場所をぐるりと指でなぞる。
「それの何が問題なんだ?」
一呼吸開いたところで、すかさずニシナが口を挟む。
すると滝川は地図の上で指を滑らせて、再び別の場所にその指を置いた。
「地下三階にはこの通り発電設備が置かれているの。この施設の全電力をここで賄っている。そんな重要な場所だということは当然警備の目も厳しい。隠し部屋に逃げ込んでしまえば追ってはこれないはずだけど、戦闘能力のない私だけではそこに辿り着く前に殺されるのが関の山。だからあなたたちのうち誰か一人は一緒についてきて私を守ってもらいたい」
それを聞いて、ミツネたち三人は同時に顔を上げてお互いの顔を見合う。
「じゃあ、私が……」
「いや、俺が行く」
空気を読んで莉葉が手を挙げようとするのを遮って、ニシナが言う。
「……どうして? 元々部外者なわけだから、私が行くべきでしょう?」
「まあそれはもっともだが、お前もミツネも人を庇いながら戦うのに向いてない。その辺上手くやれるとなると俺しかいない。おセンチな感情を優先して作戦が失敗しちゃ、元も子もないだろ?」
確かに近接で物理戦闘をするしかない二人と違い、ニシナは攻防両立して臨機応変に戦うことができる。滝川の安全を確保しながら目的地まで運ぶという点については、彼が最も適任だった。
「それに、任せて大丈夫なんだろ?」
ニシナは挑戦的な笑みを浮かべてミツネの方を見る。その言葉は先ほど二人で交わした会話を改めて確かめるものだった。
「もちろん。僕だってそのためにここまで来たんだ」
すでにミツネも覚悟は決まっていた。迷いのない瞳を向けてはっきりとそう答える。
「……んじゃ、今回は美味しいところを譲ってやるよ」
ニシナは茶化すよう笑いながら視線を外して立ち上がると、そのままくるりと身体を回転して背を向けた。
「あいつはちょっと危なっかしいから、助けてやってくれ」
そして隣にいた莉葉の肩に手をかけると、彼女にしか聞こえないくらいの声でそっと呟く。莉葉は横目で彼の方を見ると、何も言わず静かに頷いた。
「それじゃあ決まりみたいね。あまりここに長居するのも危険だから急ぎましょう」
冷静を装いつつも、滝川は身体が熱くなるのを抑え切れなかった。たった一年の間に理不尽に殺されていった仲間たちの顔を思い出す。彼女にとってはその一人一人が大切な家族のような存在だった。
ふつふつと湧き上がる復讐心を必死に振り払う。今さらクシミを恨んでも仕方ないということはよくわかっていた。言うなれば彼も被害者の一人であり、本当に恨むべきは罪深い人間の業か、あるいはそれを煽動した遠い昔の誰かだ。そんなことよりも重要なのは、こうしてようやく訪れた微かな希望を逃さないことだった。
固く握られた拳をゆっくりと開きながら、心を落ち着けるように大きく息を吐く。
顔を上げてミツネたちを見ると、なんて強い子たちのだろうと自分が情けなくなった。大人たちの都合で捻じ曲げられた運命に負けず、彼らは自分たちが生きるべき道を見つけて進もうとしている。もしも人間がみな彼らのように生きられたら、世界はこんなに醜く終わってしまうことはなかったのかもしれない。
ふと、彼女はまだクシミが目を覚まして間もなかった頃のことを思い出す。彼への憎しみと怒りに上書きされて、すっかり忘れかけていた記憶。
――友達を待っているんだ。いつかきっと来てくれるはず。
ほとんど口を開くことのなかった彼が、そんな風に一度だけ彼女に言葉を漏らしたことがあった。
あのときの確信に満ちた言葉の意味を、彼女はようやく理解する。こんなにも頼もしい友人がいたから、彼らを信じてずっと待っていたのだ。悲しみを押し殺して前を向く二人の凛とした姿を見て、そんなことを思った。
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