3-6
まずは武器や荷物を回収するため、荷物を置いた部屋へと戻る。滝川が安全なルートを探しながら、見つからないように進んでいく。
幸いなことに、クシミはミツネたちを完全に排除したと考えているのか、監視の目はかなり緩いようだった。そのおかげもあって、ミツネたちは比較的スムーズに目的の部屋まで辿り着いた。
「正直、まだ心の整理がつかないんだ」
荷物を整理するために一度部屋の中に入り、扉が閉まってニシナと二人きりになると、ミツネはそこまであえて口にしないようにしていた弱音を漏らした。ニシナの前で強がっても仕方がないとわかっていたし、彼も考えている同じなはずだった。だからこのタイミングで素直に本心を吐露する。
「化け物になるっていうのは、もっとわかりやすく変わるんだと思ってた。異形になって、対話もできなくて、見る影もなくなった友人を、だから殺してあげることしかできないって諦める。何となくそんな結末を想像してたんだ」
実際、ミツネたちがこれまで戦ってきたヒトデナシは、どう見ても化け物とわかる相手ばかりだった。自分もいつかそうなるかもしれない、旧友たちもそうなってしまっているかもしれないと覚悟しながら対峙してきたから、もしもクシミも同じように異形の化け物になっていたならきっとここまでの動揺はなかった。
「でもクシミは一見すると人間のままで、あの頃と何も変わっていなくて、化け物だなんて思えないくらいだった」
しかしそこまで言って、単にそれは自分が信じたかっただけだろうと思い直す。
確かに、再会を喜び合うクシミはおよそ化け物とは思えない様子だったかもしれない。けれど、それ以外の部分で違和感を覚えるべきところはたくさんあった。
二つしか用意されない部屋、怯えるように身体を震わせる職員の後ろ姿、小間使いのように使われる職員たち、終末世界には似合わない豪華な食事。そして何より、クシミはミツネとニシナ以外の人間に一度も目を合わせようとしなかった。
それらをすべて気のせいだと断じていたのは、再会した旧友がまだ化け物に侵されていないと信じたかったからだ。
「異形になるとか自我を失うとか、そういうのは本質的なことではなかったのかもな。化け物になるってのは、つまり人間の奥底にある根源的な欲求と暴力性が増すことの方が重大なんだ。あいつの場合は支配欲と暴力性が付与されて、それが幸か不幸か人間の形に収まっちまってる。ある意味、一番質が悪い状態だろうな」
確かに厄介な状態であるのは間違いなかった。基本的にヒトデナシは人間に近いものほど知能が高いため驚異が上がる。クシミに関しては人格を保っていることで知識や経験を失っていないため、単純な戦闘能力の点でも異形相手より手強いことが予想された。
加えて、相手が人間の姿であれば、殺すことに対する心的障壁は大きくなる。当然その姿がかつての旧友のままというのならなおさらだ。それは覚悟の有無にかかわらず、無意識下で影響しかねない。そういった意味でも彼は非常に戦いづらい相手だった。
「お前は大丈夫か?」
ニシナはあえて試すような口調でそう尋ねる。大丈夫、と答えようとしたところで、記憶の中にあるクシミの顔が思い浮かび、ミツネは一瞬言葉に詰まった。
「降りるなら今だぞ」
そんなミツネの中にある葛藤をニシナは見抜いていた。だからこそ彼にその選択肢を提示する。それはニシナの優しさでもあり、同時に一人でもクシミを殺しに行くという強い覚悟の表れでもあった。
「僕は……」
ミツネにとって、クシミはただの生意気で悪戯好きな友人ではなく、弟のような存在だった。というよりも、弟の姿を重ねていたという方が正しい。
両親を事故で亡くしたとき、ミツネには小さな弟がいた。ともに孤児院へと引き取られて同じ場所で育つことになった彼らは、本来なら唯一残された家族として手を取り合って育つべきだっただろう。
しかし、ミツネはその弟と言う存在に対し、どのように接すればいいかわからなかった。
年齢が少し離れているから一緒に遊ぶこともできず、会話のレベル感も上手く噛み合わない。その割に、大人たちは兄弟だからといつも近くに居させようとして、弟自身もそれがまんざらでもないようにミツネにまとわりついてくる。たまに癇癪を起こしたり泣いたりしているのをなだめる役を押し付けられるのはひどく面倒だった。
ミツネは弟のことを好きでも嫌いでもなかったが、何故か弟の方は彼のことを好いているようだった。大人たちは手を繋いで歩く彼らの姿を見て、「本当に仲がいいわね」などと言う。だから仲がいいことが正しいんだと思っても、どうしても彼に特別な感情を抱くことができなかった。
そんな生活が数年続いたあと、ある日、弟が初めて『健康診断』を受けることが決まった。
「お兄ちゃん、助けて……!」
彼を連れていこうとする大人たちがやってくると、本能的に何かを悟ったのか、手足をバタバタと動かしてそれを拒絶した。そして大人たちの手を強引に振り払い、ミツネの後ろに隠れてそんな風に助けを求める。ミツネは今にも泣き出しそうな彼のうるんだ瞳を見つめながら、どうしてここまで自分を信頼しているのだろうと不思議に思った。
「いいから行ってきなよ」
シャツの裾を握る弟の手を放し、そう告げて背中を押した。好き勝手に駄々をこねて、自分に無茶な期待をかける弟にうんざりしていたし、彼がいなくなれば静かに過ごせるという期待もあった。
ミツネに押しやられた弟は、不安そうな顔を浮かべたまま大人たちに連れていかれた。その途中に何度も兄の方を振り返ったが、すでに彼は読みかけだった本に目を落としていた。
そしてその後、弟がミツネの元に帰ってくることはなかった。
その頃にはミツネも成長して、自分たちがいる孤児院のことも何となく理解し、そういうことが頻繁に起こっているということを知っていた。だから弟が帰ってこず、大人たちから「新しい家族のところに行った」と知らされても、特に驚くことはなかった。ただほんの少しだけ、背中を押した手の感覚が違和感として残っていた。
クシミのことが気になったのは、どこかそんな弟の面影を感じていたからだった。といっても何となく彼の顔が弟に似ていて、ちょうど年齢も同じくらいだというだけで、実際はさほど共通点があったわけではない。
「悪いけど、ボクはキミの弟ではないし、その代わりにはなれないよ」
ふと何かの話の流れで弟のこと話すと、クシミは呆れたようにそう答えた。
「そもそも家族なんてのは血の繋がりだけがあるというだけで、さほど重要な存在ではないさ。特にボクたちみたいな社会から捨てられた人間には、そんなものを大事にする義理も余裕もない。キミの弟は他に縋るものがなかったから、キミを利用したまでのこと。そうやってお互いに得があれば利用するし、なければ離れる。結局ボクたちは自分勝手に一人で生きていくだけだよ」
クシミが吐き捨てるように放った言葉は、決してミツネを慰めるためのものではなかった。でもミツネはその言葉のおかげで、自分がずっと弟を〝家族〟という穿った目でしか見ておらず、「仲良くしなければいけない」という強迫観念に囚われていたのだということに気付かされた。そしてその目線を取り払ってもいいとわかると、ずっとわだかまっていた心が幾分か楽になったような気がした。
それからミツネは余計にクシミのことを弟のように可愛がるようになった。もしも弟と家族としてではなく一人の人間として接することができていたら、こんな風に笑い合えた未来があったのだろうかと、歪な幻想を重ねていた。それをクシミはひどく気持ち悪がっていたが、一方でどこかまんざらでもない様子でもあった。
「僕は、クシミにとても感謝してる」
過去の思い出を振り返りながら、噛み締めるようにそう呟く。
「だからこそ、僕はこの手でクシミを殺すよ。彼を救う、なんて言い方は自分勝手かもしれないけど、あんな彼は見ていられないから」
「そうか。わかった」
もうミツネの瞳に迷いはなかった。それを見てニシナも納得したように頷く。
「行こう。終末の約束を果たしに」
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