3-3
「こちらと、あの奥の部屋をお使いください」
白衣を着た女性職員に案内されて、空き部屋へと通された。
「ありがとうございます」
ミツネが職員に礼を言うと、彼女は何も言わず軽く会釈をして逃げるように去っていく。本当は多少 この施設のことを尋ねたかったが、あとでまとめてクシミに聞けばいいかと思い、あえて引き留めることはしなかった。
「じゃあ莉葉はこっちで。僕らは二人で奥の方を使うよ」
部屋が二つだったので、自然と男女で分かれて中に入る。
「久々のベッド……と思ったら、一個しかないね……」
意気揚々と扉を開くと、そこには明らかに一人用サイズのベッドが壁に沿って一つだけ置かれていた。
「流石にここに二人で寝るのは勘弁だな。野宿のがよっぽどマシだ」
一応二人でベッドに横たわってみるが、肩が触れ合うほどの距離で、少しでも寝返りを打ったら落ちてしまいそうなサイズ感だった。
これしか部屋がないのか、あるいは莉葉が入った部屋が二人部屋だったのかもしれない。とりあえず今すぐに寝るわけではないので、あとでクシミに相談することにした。
部屋にシャワーが付いていたので、ミツネたちは軽く身体を流して着替えを済ませる。温かいお湯を浴びるのはずいぶん久しぶりで、まるで脱皮して新しく生まれ変わったような心地よさがあった。
「しかし、あいつは相変わらずだったな」
「本当にね。あの意地悪そうな笑顔を見た途端、色んな思い出がフラッシュバックして懐かしくなったよ」
ミツネは濡れた頭を拭きながら、クシミと初めて会った頃のことを思い出す。
元々クシミはあまり輪の中に積極的に入ってくるようなタイプではなく、いつも一人で自分の世界に没頭している印象だった。彼は戦闘訓練を受けていたミツネたちと違い、電子機器を扱う別の訓練を中心に受けていたこともあって、自分たちとは異なる存在であるように感じていた部分もあった。
初めてまともに会話を交わしたのは、訓練が始まって数か月が経った頃だった。昼下がりに休憩がてら中庭に出たミツネは、木陰に座り、ボーっと遠くを見つめているクシミの姿が目に留まった。
「何してるの?」
ミツネが声をかけたのは単なる気まぐれだった。ずっと薄っすらクシミのことが気になっていたというのもあり、引き付けられるように彼に近付いて自然とそう尋ねていた。
「彼らを見てたんだ」
唐突に話しかけられたにもかかわらず、クシミは全く驚いた様子も見せず、顔の向きを変えずにそう答える。彼が視線を向けている方を見ると、その先では施設の子どもたちがボール遊びをしていた。
「ただボールを蹴ってそれを追いかけているだけなのに、どうしてあんなに楽しそうなんだろうと思ってね。かと思えば、ほら、今度はああやって喧嘩を始める」
遊んでいる中で何かトラブルが起きたのか、一人が目の前にいた別の子に突然掴みかかった。お互い地面に倒れ込んで取っ組み合いになると、ボール遊びは中断され、他の子たちが慌てて二人を仲裁しようと集まってくる。
「人間ってのはおかしな生き物だね」
そんな風に呟くクシミを見ると、眉間に皺を寄せて心底不思議そうな顔をしていた。ミツネはその顔が何だかとても面白くて、思わず噴き出してしまう。
「君も人間でしょ」
「……どうだろう。僕は人間なのかな。それもよくわからない」
冗談でもなく真剣な顔でそんなことを言うクシミに対し、ミツネは変な人だなと思いつつも、どこか仲良くなれそうな気がしていた。
それから二人は時折中庭で顔を合わせた。その度にミツネはクシミの人間観察に付き合い、次第にニシナたち他の面々がいる場にもクシミが顔を出すようになると、あっという間に彼らとの仲も深まっていった。
しかし、ミツネたちはそこから様々な苦労を強いられるようになる。
あくまでもクシミはミツネたちのことを友人ではなく観察対象として見ていた。そして仲が深まってしまったことで、徐々にそれが実験対象へと変化していく。
最初は子どもの悪戯のようなことから始まった。いきなり後ろから大きな音を出したり、寝ている間に顔に落書きをしてみたり、誰かが大事にしているものを隠したり……。そういう悪戯を仕掛けてみて、相手がどんな反応するのかを観察し、終わったあとには感想を聞いてはより相手を怒らせていた。
ミツネたちと比べて一人だけ少し歳が下だったこともあり(といっても十三歳なので幼稚ではあったが)、人付き合いが得意ではない彼なりのスキンシップだと、みんな呆れつつも許してしまっていた。
そのせいで悪戯は段々とエスカレートしていき、ミツネにいたっては「腕や足はどこまで曲げたらどのくらいの痛みがあるのか」という人体実験のようなことまでやらされたこともあった。
そんな困った人物ではあったものの、手のかかる末っ子としてミツネたちからはとても好かれていた。ミツネにとっては苦い記憶もたくさんあったが、それ以上にかけがえのない思い出で溢れていて、だからこそこうしてまた無事に再会できたことが嬉しくて仕方なかった。
「食事の準備ができました」
つい懐かしい思い出に浸っていると、扉をノックする音が聞こえ、そう呼びかけられる。慌てて着替えを済ませて外に出ると、すでに準備を終えた莉葉と先ほどの女性職員が部屋の前で待っていた。
職員に先導されて、夕食が用意された部屋に向かう。
正直なところ、食事にはかなり期待をしてしまっていた。ニシナは浮足立つ気持ちが表に出てしまっていて、明らかに廊下を進む足取りが軽く、飛び跳ねるように歩いている。ミツネも一体どんなものが出てくるのかと想像を膨らませながら、口の中に唾液が溜まっていくのを感じていた。
「……ねえ、ちょっと」
肩を叩かれて振り返ると、最後尾にいた莉葉が何やら神妙な面持ちで佇んでいた。彼女は内緒話をするようにミツネの耳元に顔を近付ける。
「あの人、ずっと震えていない?」
ひっそりとした声で言いながら、前を歩く女性職員の方を指差す。じっと目を凝らしてみると、確かに縮こめるように丸まった背中が小刻みに震えているように見えた。
「さっき部屋まで案内されたときもそうだった。ずっと何かに怯えるみたいに震えてる。こちらからの呼びかけに対する受け答えにも違和感があったし、明らかに何かがおかしい気がする」
「流石に気にしすぎじゃない? きっとあの人は人見知りなんじゃないかな? この世界じゃ、知らない人と会うことも稀だろうから、慣れてないのかも」
不審がる莉葉に対し、ミツネはそんな風に楽観的に答える。確かに女性職員のおどおどとした様子に違和感はあったが、あえて特筆するほど大きなものとも思えなかった。むしろあまり他者との交流を持ってこなかった彼女が、少し過敏になりすぎているように感じた。
「おーい、何してんだ? さっさと来ないと置いてくぞ」
いつの間にか距離が開いてしまっていて、ニシナが遅れる二人を急かす。ミツネは「今行く!」と答えて、莉葉の背中をぽんと軽く叩くと、小走りで彼のあとを追いかけた。
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