2-8

「なんか町の方が騒がしいな」

 昼食のための食材を探しに出ていたニシナが戻ってくるなり、遠目に見た町の不穏な様子を語った。

「逃げていくような奴もいたから、たぶん町の中にヒトデナシが出たんだろう」

「でもこの辺りは比較的安全なはずじゃ……」

 ヒトデナシは特性として定住を好み、自分の縄張りと決めた範囲から出ることはほとんどない。この町は上手く縄張りを避けている地域で、それゆえ町までヒトデナシが下りてくることはないはずだった。

「はぐれてきた奴が偶然迷い込んだか、あるいは俺たちがあの大ダコを倒したことで、この辺の勢力図が変わったのかもな」

「なるほどね……」

「まああの町はちゃんと戦える人間もいるみたいだったし、よっぽどやばい奴じゃなければ何とかなるだろ」

 ニシナはひどく楽観的だったが、確かにその推論は正しかった。

 ある程度ヒトデナシへの対抗手段を持っていなければ、この世界で人が集まって町として成立することは難しい。『マチ』のように外敵から身を守る壁があれば別だが、旧現代の技術に守られない町は人間の手で守るしかなかった。そしてそれなりの期間町が存続しているということは、その課題がクリアできている場所であるということだった。

『グォーーーーーーー』

 しかし、そうやって安心するミツネたちを咎めるかのように、空気をびりびりと揺らす地響きのような唸り声が森中に響き渡る。それは声だけでも明らかに異質な存在であることが確認できた。

「これはまずいかもな……」

 先ほどまでは飄々とふるまっていたニシナも表情を曇らせる。

「今のは……!?」

 少し離れた場所にいた莉葉もその声を聞きつけて慌てて駆け寄ってきた。

「どうやら町にヒトデナシが出たみたいなんだ」

「しかも声を聞く限り、だいぶやばいぞ」

「ええ。私も聞こえてた。……たぶん聞き覚えのある声だった」

「それって……?」

 驚いて聞き返すミツネに対し、莉葉は何も言わず頷く。

「まさか向こうから出てきてくれるなんてね。タイミング的にもちょうどよかった」

 置いてあった武器を手に取って、すぐに出発する準備を整える。

「僕たちも行こう」

「仕方ねえな。ここまで来たら最後まで付き合うか」

「ありがとう。正直言って助かるわ」

 協力を申し出た二人に礼を言う莉葉は、武器を持つ手が微かに震えていた。それは恐怖や怒りといった単純な感情だけでなく、走馬灯のように流れ出す様々な記憶の重さに耐えようとするためのものだった。

 一度目を瞑り、ゆっくりと深く呼吸をして、右手に持った戦斧を強く握り直す。鼓動の音を聞きながら、改めて自分がなすべきことを確認する。

「行きましょう」

 莉葉の声を合図にして、一斉に町に向かって走り出した。

「……あっちだ」

 町に到着すると、すぐに再び雄叫びが聞こえた。ミツネたちはその声を頼りに姿を探しながら、周囲を警戒して奥へと進んでいく。

 すでに住人達は一通り避難を終えたあとだったのか、町はほとんどもぬけの殻になっていた。ところどころに物が打ち捨てられたままになっていて、人々の混乱の痕跡が感じ取れる。

「遅かったか……」

 中心部辺りまで辿り着くと、そこはひどいありさまだった。

 逃げ遅れて襲われたのであろう人々が散り散りに倒れ、血だまりが地面に不気味な水玉模様を描いている。

「おい、あれ!」

 ニシナが少し離れたところを指差して声を上げた。彼が示す先には一際大きな身体の男がうつ伏せに倒れていて、まだ息があるようで微かに背中を上下させていた。

「篠原さん……!」

 遠目に見てもわかる見覚えのある姿だった。それを裏付けるかのように、男のすぐそばには大剣が二つに折れて転がっていた。急いで彼の様子を確認しようと駆け寄り、傷に障らないよう慎重に抱き起す。

「大丈夫ですか!?」

 身体の至るところに深い傷が見え、右手は骨が折れているのか青黒く腫れてしまっている。大きな体躯に似つかわしくないほどか細い息を苦しそうに吐き出して、辛うじて命を保っているような状況だった。

「……あぁ? なんだ、お前らか……」

 篠原はミツネたちに気付き、掠れた声で返事をする。

「ヒトデナシが来たんだろ? 俺たちはそいつを殺しに来たんだ」

「……そうか。本当なら、自分たちで何とか、するべきなんだがな……。どうも、ダメみたいだ。俺だけじゃなく、他の奴らも……」

 視線の先を追いかけると、武器を持って倒れている人々が他にも見受けられた。服装を見るにどうやらこの町の衛兵たちだろうと思われた。町の全勢力を注いで立ち向かったが、やはり全く歯が立たなかったようだった。

「頼む、この町には嫁と娘がいるんだ……」

 震える手でミツネの肩を掴み、ほとんど開いていない目を向けて言う。

「任せて。あの人は私が何とかする」

 莉葉はぐっと歯を噛み締めながらそう答えた。

その言葉に満足し、篠原は無言で頷いてそのまま眠るように意識を失う。ミツネは服を裂いて可能な限り止血を行って、安全そうな建物の影に彼を運んだ。

「……ちょうどお出ましね」

 改めて捜索を始めようとしたところで、まるで莉葉たちを出迎えるかのように、血にまみれたヒトデナシが目の前に姿を現す。

 銀色に輝く毛並みが風になびく。長く伸びた手足の爪は相手を傷つけるためだけに存在しているかのように鋭く研がれ、大きく裂けた口から獲物に飢えた牙が顔を覗かせる。そして、その黒々とした丸い瞳は真っ直ぐ莉葉たちの姿を捉えていた。

 一瞬の膠着のあと、最初に動き出したのは莉葉だった。

 彼女の戦斧がサクロウの頭をかち割ろうと襲いかかる。しかし、サクロウは人間離れした反射速度で軽く受け止めると、そのまま弾くように莉葉の身体ごと空中へ跳ね上げる。

 体勢が崩れたところに横薙ぎの爪が追い打ちをかけるが、それを割り込んできたミツネの刀が受け止めた。そして一歩引いたニシナが竜巻のような風でサクロウの身体を押しやり、距離を取って戦況をリセットする。

「これは一筋縄ではいかなそうだね……」

「そうだな。全くたいした奴だぜ、お前の親父さん」

「ありがとう。自慢の父親なの」

 そんな軽口を叩いていると、今度はサクロウの方が仕掛けてくる。一足飛びに距離を詰めると、一番近くにいたミツネを貫くように腕が伸びてきた。その一撃避けた先を次の攻撃が追いかけ、それを辛うじていなすミツネとの目にも留まらぬ攻防が続く。

 その間にわずかな隙を見つけて、莉葉はすかさず背後から刃を差し込むが、まるで後ろが見えているかのように軽々と片手でそれを振り払われてしまう。

 莉葉と入れ替わるようにして、今度はニシナは風の斬撃を飛ばして牽制する。しかし、堅い体毛が身体を守っているせいで、ほとんどダメージが通っていないようだった。

「腹を狙って! 毛が薄くて柔らかいから、攻撃が通りやすいはず!」

 数年前に莉葉がサクロウに立ち向かった際、彼女の持ったナイフはその肉まで到達した。あのときは武器のリーチが足りず、彼女自身も武器の扱いに慣れていなかったが、刃が通ったのは間違いなかった。そのことを思い出して、相手の動きを妨害する攻撃に切り替えてミツネを援護しながらそう助言する。

「俺と莉葉で何とか隙を作るから、仕上げは頼む!」

 軽くアイコンタクトをして二手に分かれると、二人とも身構えた状態でその機会を見計らう。

ミツネは少しずつサクロウのスピードに押されつつも、二人を信じて防戦を維持し続ける。

「今だ!」

 掛け声に合わせて、ニシナと莉葉が一斉に動き出す。

 まずはニシナが放った空気の弾丸がサクロウの右腕を襲う。透明の球体が腕に触れた瞬間に破裂し、サクロウはその衝撃で半身ごとのけぞるように後ろに吹き飛ばされる。

 そうして体勢が崩れたところに莉葉が追い打ちをかける。全身を使って回転を加えながら、両手で握った斧をハンマーのように振り抜く。刃は堅い体毛に弾かれるが、サクロウはその勢いに押し負けて、片足を宙に浮かせて背中から倒れ込む。

「二人とも完璧だ」

 空中で身動きの取れなくなったサクロウの無防備な腹に、ミツネの刀が深々と突き刺さる。そのまま背中まで貫通すると、手首を返して水平に動かして腹を引き裂くように切り伏せ、横腹から鈍い色の血が弧を描く刀身を追いかけるように噴き出した。

 身体にぱっくりと裂け目ができたサクロウは、両手を大きく広げて仰向けに倒れたまま身動きが取れなくなる。

「トドメを刺さないと」

 ミツネは刀を振り払ってべっとりと付いた血を払うと、ゆっくりとサクロウの方に近付く。

 かなり深い傷を負い、ほとんど瀕死の状態ではあったが、まだ息はあった。ヒトデナシは驚異的な回復力を持っているため、このまま放っておけばいずれ完全に傷を治して再び立ち上がってしまう。その前に首を落とし、確実に仕留めなければならなかった。

「待って、最後は私にやらせて」

 莉葉はミツネを制止すると、前に出て足元に倒れた父に視線を落とす。

「いいのか? 化け物になったとはいえ、お前の父親だろ」

「父親だから、私の手で終わらせてあげたい。お母さんが果たせなかった約束を、お父さんが最後に遺した願いを、私の手で叶えてあげないと」

 こちらを見ているようでどこにも焦点の合っていない空虚な黒目を見つめて、重みの増した斧を強く握る。

「さようなら」

 自分を縛り付けるしがらみと、瞳の裏側にこびり付いた記憶を断ち切るように、サクロウの首元めがけて斧を振り下ろした。

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