2-2
武器を構えて向かい合ったまま、二人の間に静寂が張り詰める。身体を動かすどころか、息を吸うことすら許されない。意識のすべてを目の前の相手に向けていなければ、その瞬間に決着がついてしまうほど濃縮された立ち合いだった。
次の瞬間、その均衡を先に破ったのは莉葉だった。
彼女はノーモーションから勢いよく地面を蹴り上げ、真っ直ぐミツネの方に突っ込んでいく。しかし、それは決して無謀な特攻ではなく、わずかな隙をつく確信を持った一撃だった。距離を詰めて懐に入り込むと、頭に向かって剣を突き立てる。
一方のミツネは、彼女が仕掛けてきてもなお、姿勢を崩さないまま相対する。そしてそのまま正面から攻撃を受け切るかに思われたが、刃が届く寸前で軽やかに身を翻し、その勢いを利用して彼女の身体を押し倒した。
「これで百勝目。流石に終わりでいいよね?」
疲れた声でそう言うと、ミツネは尻もちをついて地面に倒れ込んだ。
「まさかこんなに勝てないなんて……」
莉葉は不満そうに顔をしかめながらミツネを見下ろす。満身創痍のミツネに対し、彼女は若干息を乱している程度で、汗一つかいていなかった。そんな二人の姿だけを見ると、勝敗を勘違いしてしまいそうだった。
「ほら、そろそろ飯だぞー」
一区切りついたことを察して、離れたところで食事を準備していたニシナが二人に呼びかける。莉葉は納得のいかない様子でぶつぶつと独り言を呟きながら、彼の方へと歩いていった。しかしミツネはもはや立ち上がる気力もなく、少し休んでから食べると言ってその場で眠ってしまった。
「まあ、あんたはよくやってる方だと思うよ。あいつはちょっとおかしいから」
落ち込んだ様子の莉葉に対し、ニシナが慰めるように声をかける。
「でも一日中やって、一太刀も入らないとは思わなかった」
莉葉の頼みというのは、彼女に戦闘の稽古をつけることだった。ヒトデナシが跋扈するこの外界で生きるためには、化け物たちと戦う武力が求められる。それに加えて、彼女にはある目的があり、その遂行のためにも強くなる必要があった。そこに、武器を持って旅をしているミツネと出会い、戦闘を教えてもらおうと考えたのだった。
そんなわけで早速初日からミツネと模擬戦闘を行っていたのだが、一日通して莉葉の攻撃はミツネの身体をかすめることさえできずに終わった。彼女も自分なりに訓練を積んできた自負があったので、その結果はなかなか簡単に受け入れられるものではなかった。
「こちらの動きが全部読まれてた。まるで未来が見えているみたいに」
「あながちその感覚は間違ってないね」
莉葉の何気ない呟きに、ニシナは種明かしをするように語り出す。
「俺たちは特殊な体質でね。鱗粉病にはかからないし、大抵の傷はすぐ治る。そして一番大きな特徴は、ちょっとした能力が使えることだ」
「能力……?」
「ああ。ほら、俺はこうやって自分の周りで自由に風を起こすことができる」
そう言って軽く指を回すと、ニシナの周囲にくるくると空気の渦が出来上がる。
「そんで、あいつの能力は『一時停止』みたいな感じかな」
「それってまさか、時を止められるってこと……?」
「いや、流石にそんなファンタジーな能力じゃない。俺もあいつから話を聞いただけだから細かいことはわからんけど、能力を発動するとその瞬間すべてが一時停止したように見えるらしい。その間あいつの頭だけは動いてるから、相手の行動を予測して自分の行動を決める、いわば詰将棋みたいなことができるんだと」
ミツネの能力には大きく二つのメリットがあった。
一つはニシナの説明した、相手の行動予測ができる点。これは未来予知とはいかないまでも、その瞬間の相手の体勢や重心の位置、力の入れ具合などから、ある程度その後の展開を予測することができた。
そしてもう一つは、その予測した展開に対し、自身の動作を事前に準備しておくことができる点である。
彼の能力はあくまで時間の認知を極限まで伸ばすことで、彼の思考スピードと実際の時間経過に巨大な乖離が生まれて、まるで時間が止まったように知覚しているに過ぎない。そのため一時停止中に身体を動かすことはできないが、先に脳からの信号を身体に送り出すことは可能だった。それによって、一時停止が解除されたあと、彼が動作に移るまでの時間がコンマ数秒節約され、通常では考えられない反応速度で行動することができた。
この二つの掛け合わせによって、相手はまるで未来を先読みして行動されたように錯覚させられるのだった。つまり、莉葉が感じていた違和感は、彼の能力を適切に認識できていると言って差し支えない。
「あいつは上手く使いこなしてるみたいだけど、ややこしい能力だよな。俺だったら絶対無理だわ」
冗談交じりにそんなことを口にするが、ニシナの能力も決して単純なものではなかった。周辺の空気の流れを読み、身体から放たれる微弱なエネルギーを利用し適切に気圧を変化させ、それを増幅させていくことで風を起こす。しかし、彼はそれを感覚的に行っているので、複雑なことをしているという実感がなかった。
「でも今日はお試しみたいなもんだろ? これからあいつに色々教わって、身体の使い方とかを覚えていけばいい。俺と違って、あいつは人に教えるのも上手いからな」
元々は莉葉の力量を図るためのテストとして手合わせをするはずが、あまりに手も足も出ない彼女がその負けを認められず、結果としてそれだけで一日が終わってしまったのだった。本来はもっと細かい指導や特訓を行うべきだったにもかかわらず、負けず嫌いな性格が悪い方に出てしまったことを彼女は反省した。
「何はともあれ、しばらくよろしくな」
そう言ってニシナは出来立てのシチューを差し出す。彼がどことなくご機嫌なのは、ミツネが翻弄されて苦労する様を見ているのが面白いからだった。この高みの見物気分をしばらく満喫できることを今から楽しみに感じていた。
「こちらこそ。お世話になります」
こうしてしばらくの間、莉葉を含めた三人での共同生活が始まった。
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