第二章 別れの言葉

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 人類の文明が崩壊して数十年しか経っていないにも関わらず、都市部だった場所を訪れると、その荒廃ぶりに驚かされる。建物は半分以上が倒壊し、草木に侵食されて、窓から蒼々とした緑が顔を覗かせる。地面に散らばった瓦礫には蔦が絡まって、芸術的にも見える不思議な物体がそこかしこに形成されていた。

「しかし、どこもひどいありさまだな。もうちょっとまともに残ってくれてる建物があれば、旅もだいぶ楽になるってのに」

 ニシナは疲労の溜まった足を投げ出して、駄々をこねる子どものように地べたに座り込むと、そのまま目の前にそびえ立つ巨大な建物を見上げる。この周辺でも一際大きな建物で、下からではその全貌を把握することができないほどだった。

 入口辺りには古ぼけて読めなくなった看板が並んでいて、おそらく元々はショッピングセンターか何かだったのだと思われた。この残骸を見るだけでも、その昔は多くの人でごった返していたことが窺える。しかし、今は中心を貫く巨木が枝葉を広げて建物の上部を覆い隠し、まるで生気を吸われてしまった抜け殻のように見えた。

「この数十年で何度も大きな地震が起きているみたいだから、建物の倒壊が多いのはそれが原因なんじゃないかな。あとは環境もかなり変化していて、特に植物の生命力が桁違いになってるんだって。だから打ち捨てられた古い建物はどんどん呑み込まれていくんだ」

「へえ。そんなのどこで聞いたんだ?」

「祥吾さんにもらった研究ノートに書いてあったんだ」

 マチを出る直前に、祥吾は自身の研究成果をまとめたノートをミツネたちに渡していた。そこには彼の知る植物の情報を中心に、鱗粉病を始めとする病気やヒトデナシについて、そしてこの世界に関する彼の考察も記されていた。

 旧現代の本を見つけても大抵は風化して読むことができなくなっているので、こうして知識を体系的に得られるものはとても貴重だった。活字が苦手なニシナは早々に読むのを諦めたが、ミツネは旅の合間で少しずつ読み進めていた。

「まあ何にせよ、こんなところに住んでる奴はいなそうだな。鱗粉病の汚染も酷そうだし」

 ミツネたちは目的地であるコウフの『研究所』に向かいつつ、情報収集や物資の補給のために人の住む集落を探していた。第三街区のような生きているマチに出会うのは稀だが、こうした旧現代の街に人が住んでいることは少なくなかった。

 この辺りは旧現代では比較的栄えていた土地だったため、ミツネたちは今でも人が住む集落があるのではないかと踏んで立ち寄ったが、到底そんな気配は感じられない。鱗粉病の汚染度もひどく、近くにはヒトデナシの姿もあったので、人が住めるような環境ではないようだった。

「軽く物色したら、さっさと先に進むか」

「そうだね。これだけ建物がたくさんあれば、何か残ってるものもあるかも」

 二人で手分けをして周辺の建物の中を見て回り、使える物や食料がないかを探す。

「この缶詰は……賞味期限が三十年前か。一応開けて……うげ……」

 すでにこうした旧現代の街が打ち捨てられたから、最低でも五十年ほどが経過している。そのため、食材はほとんどが原形を留めていないほど朽ち果てていた。水気のない保存食やレーションの類は食べられるものが残っていることもあるが、そんなものはそう簡単には見つからない。

「おい、見ろよ! こんなのあったぞ!」

 隣の部屋から嬉しそうなニシナの声が聞こえる。何となく嫌な予感がしながらも、ミツネは恐る恐る声がする方へと向かうと……

 ――パンッ!

 崩れて道を塞ぐように倒れていた扉をくぐると、大きな破裂音がして、ミツネは反射的に顔を伏せて耳を塞ぐ。

「すごいな。まだ使えるじゃんか」

 その音の正体は、ニシナが持っていたクラッカーだった。引き出しの奥にしまったまま忘れ去られていたにも関わらず、奇跡的にまだ火薬が生きていたらしい。

ミツネは甲高い耳鳴りに顔を歪めながら、吞気そうに空になったクラッカーを覗き込むニシナに近付き、思い切り頭をはたく。

「ちょうどもう一個あるみたいだし、君にもやってあげようか?」

 苛立ちの浮き出た笑顔を前に、ニシナは誤魔化すように顔を背ける。

「さて、あっちの方も探してみるかな……」

「あ、おい! 待て!」

 慌てて逃げるニシナと、クラッカーを構えてそれを追いかけるミツネ。死んだ街に似つかわしくないその騒がしい追いかけっこは二人が疲れ果てるまでしばらく続いた。

「悪かったよ。ちょっと驚かせようとしただけだったんだ。というか、まさか本当にまだ使えるとは思わなかったし」

 息を切らしながら、二人は地面に寝転ぶ。こんな荒廃した世界の中で、自分たちが吞気にじゃれ合っていることがおかしくなり、その馬鹿馬鹿しさに笑いが思わず笑いが堪えられなくなった。

「平和なもんだね」

 仰向けになった二人から見える空は、薄汚れた灰色の覗く街とは似つかわしくないほど清々しい青色に塗り潰されていた。ゆっくりと流れる大きな雲を眺めながら、ミツネは昔のことを思い出して懐かしさを覚える。

 なかなか外に出ることができなかったミツネたちにとって、唯一自由に出入りが許されていた中庭はかけがえのない場所だった。どこまでも続く広大な空を見上げていると、自分はこの空のように自由になれると錯覚できる気がした。だからミツネとニシナはよくこうして二人で芝生の上に寝転び、そよ風に当たりながら昼寝をしたものだった。

「……ねえ」

 そんな風にうとうとと微睡んでいると、ミツネはこちらに呼びかけるような声で目が覚める。

「ねえ、助けて……」

 重たい眼をこすりながら起き上がる。するとぼんやりとした視界の先に、何やら人の姿らしきものが見えた。

「もう、限界……」

「え、ちょっと……!?」

 ようやく焦点が定まってきたところで、その人影は突然力尽きたようにミツネの方へ倒れ込んできた。ミツネはまだ覚醒しきっていない頭のまま、何とか反射でそれを抱き留める。

「ん、どうかしたか?」

「え、いや、なんか女の子が……」

 異変に気付いて起き上がってきたニシナに、身動きを取れない状態になったミツネは助けを求める。絶妙なバランスを保っており、加えて妙に柔らかい少女の身体が腕に当たっているせいで、恥ずかしさと申し訳なさで今にも倒れてしまいそうな状況だった。

「どういう状況……?」

 ニシナはその異様な光景に困惑しながらも、少女を抱き起してミツネを解放する。

「意識を失ってるみたいだ。それにマスクも付けてないし、このままだとまずいかも」

 鱗粉病の汚染度が高いこの辺りでは、マスクなしでいてはいつ発症してもおかしくない。

 比較的安全そうな建物を探して移動すると、焚火を起こしてその側に彼女を横たわらせる。すでに鱗粉病を吸い込んでしまっていなければ、火の近くにいる間は感染する危険はない。見た目には初期症状も出ていなかったので、ひとまずは大丈夫だろうと思われた。

「ここは……?」

 しばらくして少女が目を覚ますと、不思議そうに二人の顔を見つめる。

「君が突然倒れたから、慌ててここまで運んできたんだよ」

「そう。私、人がいると思って近付いたんだった……」

 ――グゥー……。

 ちょうど意識がはっきりして自分の状況を理解し始めたところで、それも記憶とともに思い出したかのように、低く唸るような腹の鳴る音が響き渡った。

「ごめんなさい。数日前から何も食べていなくて……。お腹が減って倒れそうだったところに、あなたたちを見つけたから、食べ物を分けてもらえないかと思って近付いたの……」

 少女は恥ずかしそうに顔を伏せながらそう説明する。

「ああ、それで『助けて』って……」

 それを聞いて、ミツネは先ほどの少女の切迫した様子に納得するとともに、大事ではなかったことに安堵する。そして外を見回っていたニシナを呼び戻すと、三人で食事を摂ることにしながら話を聞くことにした。

「ありがとう。あなたたちと出会わなければ、確実に餓死していたわ」

 あっという間にスープとレーションを平らげると、少女深々と頭を下げて礼を言う。

「とりあえず色々聞きたいことはあるんだけど、まずは自己紹介からかな。僕はミツネ。こっちはニシナ。僕たちは二人で旅をしてる」

「私は莉葉。この近くの山に一人で暮らしてる」

 元々莉葉は山の中でほとんど自給自足の生活を送っていた。しかし、その山がヒトデナシに侵されてしまい、食糧の確保が難しくなってしまった。そこでやむなくこの街に降りてきたが、この街にもほとんど食糧が残っておらず、限界を迎えていたところにミツネたちを見つけたのだった。

「あんたマスクはどうしたんだ? こんなところを生身でほっつき歩いてたら、鱗粉病ですぐ死んじまうぞ」

「それなら大丈夫。私はその病気にかからない体質なの」

 そんなことを平然と口にした莉葉に、ミツネたちは驚きを隠せなかった。

 鱗粉病はその発生以来ずっと不治の病とされ続けていた。それは文明崩壊以前も以後も変わらず、だから現代の人々は外界で活動する際は防護マスクを着用し、もし感染者が出た場合はその死体を焼き払うという対策を徹底していた。

 もちろん不治ということは、耐性を持っている人間もいないということになる。実際にミツネたちは旅をする中で、耐性を持った人間がいるという話を聞いたことがなかった。例外は、まさに彼ら自身だけだった。

「……まさか、僕たちと同じ?」

「それはない。ありえないだろ」

 二人にしか聞こえない声で呟いたミツネに対し、ニシナは即座にそれを否定する。しかし、ミツネはそのありえない可能性を捨てきれず、まるでその姿に魅了されたかのように、莉葉から目を離すことができなかった。

「ずいぶん私に興味を持ってくれたみたいね」

 急に様子のおかしくなった二人を見て、莉葉は少し悪戯っぽい顔で笑う。そして、ちょうどいいというように、彼らに一つ提案を投げかけた。

「私の正体を教えてあげる代わりに、お願いを聞いてもらえない?」

「お願い……?」

「そんなに構えないで。簡単なお願いだから」

 炎に揺れる彼女の影が、まるで悪魔のように浮かび上がっていた。

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