1-10
外界から戻ってきてから数日が経ち、ミツネたちがマチを出る前の最後の夜になった。その日は彼らの送別と、イブ鉱石を持ち帰ったお礼を兼ねて、調査隊のメンバーを中心とした大宴会が開かれていた。
大吾の店を貸し切り、二十人ほどが集まって、飲んで食べてのどんちゃん騒ぎが繰り広げられた。夜も更けて日付が変わる頃には、みんな床や机で眠りこけてしまって、祭りのあとの静けさが店に充満していた。
「付き合わせちまって悪かったな」
絶えず料理を提供し続けていた大吾がようやく解放されて、店の端でボーっと水を飲んでいたミツネの元にやってきた。
「いえいえ、楽しかったです。むしろこんなにご馳走になってしまってすみません」
「いいんだ。あんたたちはこのマチを救った英雄なんだからな」
イブ鉱石を手に入れたことで当面の危機は脱して、このマチは無事に延命されることとなった。ロストテクノロジーに頼る以上、いつ終わりが訪れるかわからないが、このマチの人々はそれを理解しながらもこうして今を楽しんでいた。きっとそれが本来の人間としてあるべき姿なのだろう、とミツネは幸せそうに頬を緩ませて眠る人々を見て思う。
「もう行くのか?」
「はい。明日の朝には出発する予定です」
「そうか。寂しくなるな……」
外界に出ていた時間も含めると、ミツネたちはすでに二週間以上このマチに滞在していた。いくら居心地が良いとは言え、こうしていつまでもここにいるわけにはいかない。
「行く当てはあるのか?」
「調査隊の人たちからもらった地図のおかげで、次の行き先は決まりました。もう少し南西に進んで、コウフの方に向かう予定です」
ほとんどがむしゃらに進んできた彼らにとって、地図を手に入れたことは非常に大きな成果だった。調査隊で持っていたのはこのマチができた当初のかなり古いもので、現状の地形などは反映されていないものの、旧現代の施設の場所を把握するのには大変役立った。その中には、彼らが探す『研究所』の場所も記されていた。
「こんな世界で、どうして危険を冒してまで旅をするんだ?」
大吾は手元にあった酒を軽く煽ると、急に真面目な顔になってそう尋ねる。
「……約束したんですよ。古い友人たちと。だから会いに行かなきゃいけないんです」
まあどこにいるかわからないんですけど、と笑い飛ばすように付け加える。それはミツネがこれ以上話すつもりはないという意思表示だった。大吾もその意図を察して、特に追及しようとはしない。
「頼みがあるんだ」
その代わりに、大吾は少し言い淀むような素振りを見せたあと、ミツネが予想もしていなかったことを口にする。
「あいつを……祥吾を一緒に連れていってやってくれないか?」
「それは、マチの外にってことですか……?」
「ああ。あいつをこのマチから出してやって欲しいんだ」
大吾は顔を上げて、壁にかかっていた祖父の写真に目をやる。
「俺たちはずっとマチの外に憧れていた。爺さんがマチの首長になる前は、俺たちと同じように外界調査隊のメンバーとして活動していた。だから、小さい頃はよくその武勇伝みたいなのを聞かされていて、いつかは自分もマチの外に出てみたいと思ってたんだ。そんな子ども染みた憧れを持ったまま、俺もあいつも当然のように調査隊に入った。だが、俺の足はこの通りだ」
苦々しそうな顔を浮かべ、彼は自分の左足に拳を当てる。そして、まるで懺悔をするかのように話を続けた。
「弟からこの足の話は?」
「はい、聞きました。祥吾さんを助けたときに怪我したって……」
「そうか。あいつはこの足のせいで、つまり自分のせいで俺が調査隊を辞めたと思ってるだろ」
ミツネは少し戸惑いながら頷く。
「だが、実はそれは違うんだ。俺はこの怪我がなくても、いずれは調査隊を辞めていた」
「どうして……」
人望も厚く、将来を期待されていた大吾が、自分から調査隊を辞める理由がミツネにはわからなかった。
「俺は外の世界が怖かったんだよ。初めての任務のとき、仲間の一人が化け物に襲われて目の前で死んだ。そのあと自分だって何度も死にかけたし、傷付く仲間もたくさん見た。鱗粉病にかかった仲間を燃やしたこともある。そういうことを積み重ねているうちに、俺はマチの外に出るのが怖くなっちまったんだ。だからこの左足が使い物にならないと知ったとき、どこかで安心してる自分がいた」
しかし、大吾が語りたかったのは懺悔ではなかった。萎れかけていた瞳に生気が戻り、その目を真っ直ぐミツネに向けてに向けて言う。
「でもあいつは違う。あいつは本当に外界が好きなんだ。マチの外に出て植物を観察しているときの顔を見ればわかる」
確かに、マチの外に出た祥吾はとても生き生きとしていた。彼は自分が知識を身に着けたのは兄へのコンプレックスからだと語ったが、元々強い好奇心を持っていることを間違いなく事実だった。
「それなのに、あいつはここにいると俺の影を追い続けちまう。あいつが憧れる外界調査隊の大吾なんていう人間は、とうの昔にいなくなった幻影だっていうのに。だからいっそのこと、あんたたちと一緒にマチを離れちまえば、あいつらしく好きなように生きられるんじゃないかと思うんだよ」
大吾もまた、祥吾に対してややこしいコンプレックスを抱いていた。兄離れしない弟を憂うとともに、自分の弟はこんな現状に収まる人間ではないと、ある種の理想を押し付けようとしてしまっていた。
「すみません。祥吾さんを連れていくことはできません」
一通り話を聞き終えて、ミツネははっきりとそう断った。
「だって、そんなこと祥吾さんは決して望んでいませんから」
そう言って床に大の字になって眠る祥吾に目を落とす。
「祥吾さんはこのマチが好きで、あなたが好きだから、それを守るために調査隊にいるんですよ。外のことにも興味はあるかもしれないですが、それは故郷と家族を捨てて求めるほどのものではないと思います。僕たちみたいに帰る場所がない人間とは違う」
それはミツネが数日祥吾とともにしてきた中で得た実感だった。
「そんなことよりも、もっと祥吾さんを褒めてあげたらどうですか? きっと喜びますよ」
ミツネはあえて意地悪っぽくそう付け加える。それは大吾自身も本当は気付いていたことで、コンプレックスや照れ臭さが邪魔をして、素直になれていないだけだった。
「あーバカだな、俺は」
「兄バカですね」
身体をのけぞるようにして背伸びをしながら、大吾はおかしそうに大きな声で笑った。ミツネも彼につられて笑いながら、こんなにも大切にし合える関係性の二人を羨ましく感じていた。
「じゃあ、兄バカついでに一つ言わせてもらうがな」
大吾は唐突にミツネのおでこを指ではじく。ミツネは驚いて顔を上げると、大吾は再び真面目な表情に戻っていた。そして、眉をひそめながら咎めるように言う。
「ガキんちょが帰る場所がないなんて悲しいこと言うな。今日からここがお前らの帰る場所だ。もうお前たちも弟みたいなもんだからな」
その言葉が嘘偽りのない心から発されたものであることは、大吾の顔を見れば明らかだった。ミツネは思わず泣きそうになるのをこらえて、代わりに嬉しさとおかしさで吹き出すようにして笑った。
「本当に兄バカですね」
「全く、困った弟ばっかりだよ」
そうして温かい笑顔に包まれながら、最後の夜が明けていった。
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