1-9

「これがハコニワ……」

 中に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。

 円柱型の透明な水槽がまるで博物館の展示物のように整然と並べられている。その一つ一つに赤黒い物体が沈められていて、下から青い光にぼうっと照らされ、不気味な雰囲気を醸し出していた。

「おい、これって……」

 そんな見慣れないものに目を奪われながら、先を行く祥吾のあとを追いかけていると、ニシナが突然立ち止まって驚いたように呟いた。

「どうしたの?」

 ミツネは後ろからニシナが見つめていた水槽の方に目を向ける。

 すると、水槽の中に浮いていた物体が突然回転し、ぎょろりとした黒い瞳が彼に目を合わせた。

「ひッ!」

 その不気味な瞳の恐ろしさに、思わず腰が引けて後ずさりしてしまう。そして一瞬遅れて、彼はその目玉が何を意味しているのかを理解した。

「もう察しているかもしれないけど、これはいわゆる人工家畜さ。食用に必要な部位だけを使いやすいよう、遺伝子組み換えが行われている。初めて目にする君たちにしてみればひどく不気味に見えるだろうね」

 水槽から見下ろすその瞳に釘付けになる二人に対し、祥吾は淡々と説明を付け加えた。それはミツネたちも頭では理解していることだったが、こうして目の当たりにしてしまうと、どうしても嫌悪感が拭えなかった。

「ということは、ここにあるのは全部が……?」

「ああ、そうさ。それどころか、この施設にはこういう場所がいくつもある。数千人分の食料を安定的に提供するために、様々な食材を製造する設備が、この施設のあらゆる場所で稼働しているんだ」

 祥吾はあえて感情を出さないように努めていた。この手の倫理的問題は、自分たちを苦しめるだけで、解決はないということを理解していたからだ。いつか訪れる死を諦めるのと同じように、この問題を見ないようにするのは、マチで暮らす人間として必要なことだった。

「イブ鉱石を持ち去ったら、この子たちはどうなるんですか……?」

「それは、残念ながら……」

 静寂の中に唸り声のような機械の駆動音だけが響く。その間も水槽に閉じ込められた肉塊は、意思のない瞳で三人を見続けていた。

「先を急ごう」

 そう言って祥吾が再び歩き出し、ミツネとニシナは無言でそれに続く。等間隔に浮かぶ青い光に照らされながら、彼らはひたすらに目的の場所を目指して進んだ。

「ここで少し待っていてくれ」

 フロアの奥にあるコンピュータを使用し、祥吾はイブ鉱石を取り出すための作業を始める。システム音が広いフロアに響き渡るのを聞きながら、その作業が終わるのを待った。時折周りの水槽からこぼれてくる気泡が弾ける音が、この無機質な空間に生があることを突きつけてくるような気がして、ミツネは顔を上げることができなかった。

「無事にイブ鉱石を手に入れることができたよ。本当にありがとう。君たちのおかげだ」

 戻ってきた祥吾の手には、拳大ほどの真っ黒い石が握られていた。

「すまない。君たちには外で待っていてもらった方がよかったね」

 目的を達成し、故郷を救ったはずの彼は、申し訳なさそうに表情を曇らせる。そんな彼に対し、まだ自分の気持ちにも整理を付けられていないミツネとニシナは、何も答えることができなかった。

「イブ鉱石を失ったことで、このハコニワは徐々に機能を停止するはずだ。その前にここから脱出しよう」

 祥吾も二人に対して言うべき言葉を持たないと思い、それ以上何かを語ろうとしなかった。そうして三人とも無言のまま、死に行くハコニワを抜け出す。

 辿ってきたルートを戻り、ヒトデナシとの戦闘も避けて、無事にマチの外まで出ることができた。

 ずっと危うい状態を保っていた天気が崩れ出し、薄暗い空からぽつぽつと雨が降り始めた。外から見るマチの残骸は雨に濡れて、来たとき悲惨なものに見える。ミツネはこの世界が一度終わってしまったのだということを、改めて痛感させられている気がした。

 三人は雨宿りもかねて、近くにあった洞窟の中で休むことにした。気まずい沈黙が満ちた空間で、焚火に照らされたイブ鉱石が無意味に光を乱反射する。明るさの保たれた洞窟内からは、雨雲に隠れた空がより一層暗く感じられた。

 ミツネは自分のこのやり場のない気持ちが、単なる感情的で非合理なものであることを理解していた。あの光景だけを見ると、倫理上問題のある行為のように思える。しかし、それはグラデーションの先にあるものであり、通常の畜産や農業と本質的には変わらない。

 結局、人は食べるために生かし、食べるために殺す。頭ではわかっていても、どうしてもあの空虚な瞳が脳裏に焼き付いて離れなかった。

「……なあ、頼みがあるんだが」

 突然ニシナが立ち上がり、祥吾に向かって声をかける。

「こいつで料理をしてくれないか」

 彼は自分の荷物の中から、赤黒い肉塊を取り出した。手にべっとりと付いた粘性の液体が彼の手から滴り落ちる。それはまだ生きているようで、まるで自分の置かれた状況を把握しようするように、真ん中に付いた目がぐるぐると辺りを見回していた。

「持ってきていたのか……」

 祥吾は何か言いたげな顔をしながら、あえてそれを口にしないようにぐっと唾を飲み込む。

「あの時、こいつと目が合ったんだ」

 動き続けていた瞳がちょうど再びニシナの方に向いた。

「どうせ今日も俺たちは何かを食べなきゃいけないなら、こいつを食べてやりたい」

 結局ニシナがこの一匹を連れてきても、あのハコニワの中には何万もの命が放置されている。そしてその命はあのマチとともに静かに終わりを迎える。人間のエゴによって生み出され、人間のエゴによって殺されるのだった。そしてそれを救いたいと思う彼の気持ちも、エゴ以外の何物でもない。

 そういうことをすべてわかったうえで、それでも彼は連れてくることを選んだ。同じエゴならば、せめて自分が誠意を持って食材たちに向き合える形を取ることにした。

「僕からもお願いします。ニシナも僕も決してあなたたちの生き方を否定したいわけじゃない。単純に、どうしてもやり切れない気持ちに決着を付けておきたいんです」

 沈黙する祥吾に対し、ミツネも頭を下げて説得する。

「……わかった。料理の腕は兄さんには及ばないけど、任せてくれ」

 二人の熱意に押されるような形で、祥吾は諦めて彼らの頼みを承諾した。

 ニシナからその肉塊を受け取り、料理の準備に取り掛かる。

 まずは目玉の下に包丁を滑りこませて、中に埋め込まれた小さな脳に傷を入れる。こうすることで動いていた目玉が完全に動きを止め、いわゆる〝締めた〟状態になった。溢れ出す血を軽く水で洗い流し、目玉と内臓を繰り出すと、一旦下準備が完了となる。

 この肉塊は鶏の遺伝子を組み換えて、もも肉を最大限確保できるようにしたものだった。肉体の九割以上が過食部位となっており、脳や内臓などの部位は不必要な部位として最小限に抑えられている。

 細胞からの培養はコストの面から優位性が低く、ハコニワではこのように品種改良したものを飼育する方法を選んでいた。しかし、そのためイレギュラーが発生することも少なくなく、この個体に大きな目玉が付いているのもある種の突然変異と言えた。

 余分な部分を除去した肉塊を半分に切り、真ん中から開くように二つに割っていく。半分は食べやすい大きさに切り分け、太めの木の枝に刺して火にかける。もう半分はさらに細かく切って、野草などと一緒に熱湯に入れてスープに仕上げた。

「やっぱり美味いな……」

 パリパリに焼けた肉にかぶりつきながら、ニシナは噛み締めるように呟く。

「ああ。本当に美味しい」

 祥吾もそう頷いた。

「これを美味しいと思ってしまう人間は傲慢だ。でも僕たちはもはやあのハコニワを手放すことはできないし、肉塊から不自然に飛び出た目玉を見ても、何も感じなくなってしまった。それどころか、この美味しさの奥にある違和感を、僕たちは知らないでいるんだ」

 君たちが少し羨ましい、と祥吾は自嘲気味に笑う。

「俺たちはあんたらが羨ましいよ。何も知らずに温室で生きられるのは幸せなことだ」

 ニシナはそんな風に答える。それは決して皮肉ではなく、彼自身の実感がこもった言葉だった。

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