1-8

「あれだ」

 まるで行く手を阻んでいた霧が晴れたように、目的地であったツクバ第一街区は唐突に現れた。

 森の中では目立つはずの人工的な立方体には、それを覆い隠すように草木が絡みつき、ほとんど周囲の景色に同化してしまっていた。それを見て、どうりで見つからないわけだ、と祥吾は合点する。

「思った以上にひどいね……」

 しかし、祥吾たちの暮らす第三街区と違い、外からでもその荒廃ぶりがわかるありさまだった。入口部分はえぐれたように大きな穴が開き、中の様子が丸見えになっている。

「何があったらこうなるんだ?」

 マチの中に入ると、その無残な姿がより一層浮き彫りになる。入口だけでなく、他の場所の壁や屋根にもいくつか大きな穴が開いていて、閉鎖空間としての機能を完全に失ってしまっていた。

 外に開かれたマチは自然に侵され、鬱蒼と茂る草木の間から辛うじて人工物が垣間見える異様な光景が広がっている。もはやそこからマチの原形を想像することすらできない。ニシナたちはこれまで打ち捨てられたマチをいくつも見てきたが、これは荒廃度がずば抜けているように見えた。

「ここはおそらくかなり初期の段階で捨てられたんだと思う。何があったのかはわからないけど、いわゆる〝兵器〟でなければこんなことはできない。だから人間がそういうものをまだ持っていた時代に攻撃されてしまったんじゃないかな」

「人間がやったってことか……」

 完璧な永久機関だと思われたこの設備も、一度崩壊が始まってしまえば案外脆く崩れてしまう。住人が減少していき衰退したり、ヒトデナシによって破壊されたり、あるいは祥吾たちのようにマチ自体の不具合に見舞われたりなど、内的・外的要因含め、マチが荒廃する理由は様々だった。

 その中でも、このマチはそもそもマチとしての機能をまともに果たすこともないまま、人の手によって破壊されていた。マチが稼働し始めた当時は、日本国内で内紛のようなことも起こっていた。おそらくそれに巻き込まれる形で破壊され、住人たちに捨てられたまま忘れ去られていたのだろうと思われた。

「まずい、隠れて!」

 ミツネが慌てて二人を引っ張って、近くの草むらに身を隠す。マチの中は事前に聞いていた通りヒトデナシの巣窟となっているようで、彼らの目の前を全長二メートルほどあろうかという大きな蜘蛛が通り過ぎていった。

「ここからどうするんですか?」

「大丈夫。ルートは事前に考えてある」

 そう言って祥吾は鞄から地図を取り出す。

「こんなに荒れてしまっているからそうは思えないかもしれないけど、この第一街区と僕たちの第三街区は構造がほとんど同じはずなんだ。そうすると、今僕たちがいるのがこの辺りで、イブ鉱石があるのはこの真ん中のハコニワ」

「けど、あれを通り抜けるのは骨が折れるぞ」

 少し先の方に目をやると、大量の蜘蛛がガサガサと動いているのが見える。単体であればたいしたことはなさそうなタイプだが、これだけの数がいてはどうにもならない。そこを真っ直ぐ突っ切るのはあまりに無謀だった。

「それも想定内だよ。だからこのルートは地上じゃなくて地下を通る」

「地下?」

「そう。ここが第三街区と同じ構造をしてるとすれば、地下に下水道が通っているはずなんだ。そしてそれはマチの中心部にある浄水場へと続いている。そこから地上に上がれば、ハコニワの入り口まで辿り着けるはずなんだ」

 徘徊するヒトデナシに見つからないように警戒しながら、祥吾の案内でマチの中をゆっくりと進んでいく。そしてしばらく歩いたところで立ち止まると、少し先の地面を指差した。

「あそこだ」

 パッと見では全くわからなかったが、祥吾の指し示す先には、地面を覆う植物がわずかに盛り上がっている部分があった。その上の蔦を取り払うと、隠れていた下水道への入り口が現れる。

 高さ五十センチほどの円柱型のコンクリートが地面から突き出て、その真ん中に重たい鉄の蓋がはめ込まれている。ミツネとニシナが協力してその蓋を持ち上げると、そこから地下に向かって真っ直ぐ縦穴が続いていた。

「もしかしたら中にもあいつらが入り込んでるかもしれないから気を付けて」

 壁伝いに付けられた鉄製のはしごを使って地下深くへと降りていく。穴は二十メートルほど伸びていて、一番下まで降りると高さ五メートルほどの横穴が広がっていた。

 ヒトデナシたちに侵入されないよう入口の蓋を閉めてきたせいで、外からの光が全くなく、下水道の中は足元もろくに見えないほど真っ暗だった。祥吾が持ってきていた手持ちのライトを唯一の光源として、周囲の様子を確認する。

 横穴はドーム状に広がっていて、地面はミツネたちが降り立った通路部分が両端に作られ、その真ん中が少し窪んで川のように下水が通る道になっていた。

 下水と言ってもすでに人が住まなくなってから長い時間が経っているため、実際に流れている水は単なる雨水だった。そのため地下特有の黴臭さはあるものの、臭いはそこまできつくない。

 この下水道はマチ全体に張り巡らされているため、合流や分かれ道の多い入り組んだ作りになっていた。祥吾は途中にある掠れかかった看板を見て地図と照らし合わせながら、中心部に向かってその迷路を進んでいく。

「地上のマチだけじゃなく、地下にもこんなに広い空間があるなんて。文明崩壊後の世界を見たあとだと、旧現代の技術が信じられないや」

「何千年、いや、何万年とかけて人類が一つずつ積み上げてきた結果だからね。でもそのほとんどを僕たちは失ってしまった。今や、わずかに残された遺産を食い潰すことさえ、こうして一苦労なわけだ」

「いっそ本当に全部失った方が、ゼロから綺麗にやり直せたかもしれないのにな」

 そんな甲斐のない話をしているうちに、ミツネたちは下水道の終着点に辿り着いた。

「ここが浄水場だ。この上に、第三街区で言う中央管理局の建物があって、そこからハコニワに繋がっている」

 下水道を抜けた先はかなり開けた空間になっていて、細長いケーキのような形に掘られた大きな貯水槽がいくつも存在していた。ミツネたちが通ってきた下水が浄水機によって浄化され、ここに貯められたあと再びマチ中に戻っていくという仕組みだったらしい。今は浄水機も稼働しておらず、流れ込んできた雨水がそのまま貯まっているようだった。

 電灯の明かりを吸収した水面が光を反射し、天井や壁をキラキラと照らす。コンクリートに囲まれた人工的な空間であるはずなのに、機能を失っているせいか、その輝きはとても幻想的なものに感じられた。

 ミツネたちはそのまま浄水場を抜けて、階段を使って地上へと上がっていく。

「この扉を開けると、中央の建物の中に出るはずだ」

 祥吾は物音を立てないようにゆっくりと扉を開き、その先の様子を確認する。

「思ったよりひどいな……」

 扉の先は吹き抜けの広場になっていた。他の場所と同じように、かなり自然に侵食されていて、建物の中にも関わらず草木が鬱蒼と生い茂っている。そして、その植物を住処とするように、外にもいた大きな蜘蛛たちがところどころに見受けられた。

「ハコニワへの入口は広場を抜けた先、この扉の中にある。ハコニワ自体は頑強な造りになっているから、中にさえ入ってしまえばあの蜘蛛たちも追ってはこられない」

 今ミツネたちがいるところからその入口までは約五十メートル。広場には遮蔽物がほとんどないため、ヒトデナシに気付かれないまま侵入するのは難しいが、一気に駆け抜ければ、戦闘を避けてやり過ごせる距離だった。

「ただ、一つだけ問題が……」

 祥吾はそう言って困ったように溜め息を吐く。

「ハコニワへの扉を開けるためには、何重にもかけられたセキュリティを突破する必要があるんだ。そのためにある程度の時間が必要になる……」

「具体的にはどのくらいだ?」

「約十分。どんなに急いでもそのくらいはかかってしまう」

 つまり祥吾が扉の中で入口の鍵を解除する間、十分間はその状態を死守する必要があった。

「ギリギリですね……」

 目視できる敵の数はさほど多くないが、おそらく戦闘が始まってしまえば、その騒ぎを聞きつけて周囲からも敵が押し寄せてくることになる。それを捌きながら、後ろにいる祥吾を守り切ると考えると、十分という数字はかなり危ういラインだった。

「ま、やるしかないだろ」

 ニシナは早々に腹を括り、手首を回しながら心を臨戦態勢に整える。

「確かに、ここまで来て考えても仕方ないか……」

 その言葉にミツネも覚悟を固める。

そして三人で互いに視線を交わすと、息を合わせて一気に広場へと駆け出した。

「とにかく真っ直ぐ扉の方へ走ってください! 前は僕、後ろはニシナが何とかします!」

 異変に気付いた蜘蛛たちが一斉に三人の方へと向かってくる。それを一匹ずつ薙ぎ倒しながら、歩みを止めることなく扉へと走る。

「セキュリティが解除できたらすぐに呼ぶ! いつでもこっちに来れる準備をしておいてくれ!」

 難なく入口の部屋まで辿り着くと、祥吾が一人で中に入り、ミツネとニシナがその扉の前を守るように立つ。問題はここからの十分をどう乗り切るかだった。すでに先ほどよりも敵の数は増え、次から次へとミツネたちに襲いかかってきた。

「これは本当にキリがなさそうだね……」

 予想通り、一体一体は二人にとって取るに足らない相手だった。単調な攻撃を上手くかわしながら、ほとんどを一撃で確実に仕留めていく。しかし、倒しても倒しても一向にその数は減る気配がなく、むしろどこからともなく現れた蜘蛛たちがいつの間にか彼らの周囲を囲っていた。

「おいおい、しかもとんでもねえのが来たぜ」

 ニシナが見上げる視線の先には、他の個体の数倍はある親玉のような蜘蛛の姿があった。いつの間にか出来上がっていた巨大な蜘蛛の巣にぶら下がり、こちらを嘲笑うように見下ろしている。大きさだけでなく、その個体が放つ禍々しい空気から、明らかに異質な存在であることが感じ取れた。

「何かおかしい」

 その親玉が現れた途端、散逸的に襲ってきていた蜘蛛の動きが一度止まる。そして親玉を中心に陣形が組まれたかと思うと、今度はこちらの動きを封じるように連携した動きで襲いかかってきた。

「あの親玉が指示してやがるな」

 統率の取れた攻撃に切り替わったことで、ミツネたちは途端に防戦一方を強いられる。お互いの死角を補い合いながらその攻撃を凌ぐが、このままでは消耗戦で長くは保たないのが明白だった。

「近付こうにも、雑魚が邪魔だな」

 親玉を捉えようと敵の中に押し入ると、すぐに控えている蜘蛛たちが防御姿勢を取って行く手を阻む。そこを無理に押し通ろうとすれば、後ろの祥吾にも危険が及びかねないことを考えると、あまり無茶をすることもできなかった。

「ニシナの風であの親玉だけでも攻撃できない?」

「いや、流石にここからじゃ距離がありすぎて、まともにダメージを与えられない」

 結局近付くこともできず、遠距離攻撃も届かない。完全に手詰まりの状態だった。そうこうしている間にも、敵の数はどんどんと増えていく。

 何とかしなければと焦りながら、ミツネは必死に思考を巡らせる。

「雨……?」

 しばらくジリ貧の攻防を続けていると、突然顔に水滴が当たるのを感じた。先ほどまでは雲一つない青空だったはずが、いつの間にか空を灰色の雲が覆っていて薄暗くなっていた。今にも雨が降り出しそうな空模様で、少し先走った雫が崩れた天井の隙間から落ちてきて、ミツネの顔をかすめたようだった。

「そうか、水だ!」

 その瞬間、ミツネはこの状況を打破する方法を思いつく。

 すぐに周囲を見回すと、少し離れたところに地面に空いた大きな穴を見つけた。老朽化した床が崩れ、地下まで突き抜けてしまっている。それはまさに彼の作戦におあつらえ向きだった。

「いい作戦を思い付いた!」

 ミツネはニシナを呼び寄せて、簡潔に自分の作戦を説明する。

「なるほど。成功するかわからんが、一か八かやってみるか」

 そうして作戦の合意が取れると、二人はすぐにそれを行動へと移す。ニシナは扉の防衛をミツネに任せ、単身で地面に空いた穴の方に向かう。そしてそのまま穴の中へと飛び込むと、地下にある貯水槽に降りていった。

「頼むよ」

 一人になったミツネは、その身に傷を受けながらも辛うじて防衛線を維持する。

「やるか」

 ニシナは穴の真下にある貯水槽の前に立つと、静かに目を閉じる。

 すると、彼の元に風が集まっていくかのように、空気が螺旋を描き、目の前に小さな風の渦が出来上がった。それは次第に勢いを増し、巨大な竜巻へと変化していく。その大きさは貯水槽を丸々吞み込んでしまうほどまで膨れ上がり、数十メートルはある地上の高さまで伸びていった。

「来た」

 再びミツネの顔に水滴が落ちる。

 しかし、今度のそれは雨粒ではなかった。その証拠に、次の瞬間には途轍もない量の水が濁流のように降り注いできた。それはさながら大地を洗い流す大洪水のように、激しく地面に叩きつけられる。

 これはニシナが地下から風の力で汲み上げてきた水だった。貯水槽に貯まっていた大量の水を、この広場に思い切りぶちまけたのだった。

 ミツネはその水流に吞み込まれる直前で、何とか飛び上がって近くの木にぶら下がった。

 一方で彼に襲いかかっていた蜘蛛たちは、その水に足を取られて勢いよく押し流されていく。巣の上に控えていた蜘蛛もほとんどその水圧で地面に叩き落されていた。そして巣の中心に鎮座する親玉蜘蛛が取り残され、守る者がない丸裸の状態となる。

「行け!」

 叫ぶようなニシナの声とともに、ミツネはぶら下がっていた枝を足場にして、思い切り親玉の方に飛び出した。ニシナは風で空中に足場を作って、ミツネの特攻を手助けする。

 親玉は向かってくるミツネに対し、小さな牙を無数に生やしたグロテスクな口を開き、威嚇するように不気味な鳴き声を上げる。しかし、そんなこけおどしは物ともせず、ミツネは構えた刀でその顎を横一線に斬り捨てる。

「お見事」

 落下してきたミツネをニシナの風が優しくキャッチする。

「あと二分だ。何とかなりそうだね」

 静かに引いていく水を眺めながら、二人は拳を突き合わせる。

 司令官を失った蜘蛛たちは途端に統率を失っていた。しかし、かなり数を減らしたとはいえ、依然として決して少なくない数の蜘蛛が襲いかかってくる。単調な攻撃を作業のように捌き、水攻めを免れた残党を片付けながら、ひたすら時間が経つのを待った。

「二人とも待たせたね!」

 それからさらに数分してようやく扉が開き、中から祥吾が作業完了を告げる。かなり疲労が溜まり始めていた二人は、ようやく届いた解放の合図に安堵の息を漏らす。

 敵が入ってこないよう牽制しつつ、じわじわと扉の方へと戻っていく。そして、そのまま祥吾に招き入れられる形でその中に入った。

「待たせすぎだって」

「そんなことないさ。ぴったり十分。君たちなら大丈夫だと信じてたよ」

 そんな軽口を叩き合いながら、ついにハコニワの入口を目の前に迎える。

「ここを抜ければハコニワの中だ」

 まるで核シェルターのような分厚い扉に手をかけ、鈍い音を立てて押し開けた。

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