1-7

 結局その日はヒトデナシ退治の後始末をしているうちに日が暮れて、本来の目的であるイブ鉱石探しは何も進展がないまま一日が終わってしまった。

 もうあと少しのところまで来ているはずだというのに、相変わらずマチが見つかる気配はない。前回他の隊員たちが第一街区を訪れた際に、パンくず代わりに残しておいてくれた目印が途中から消えていて、もはやあてずっぽうで歩いて探すしかない状況だった。ミツネたちと違って戦うことのできない祥吾は、案内人という唯一の役割すら果たせず、ただの足手纏いことになっていることに焦りを感じていた。

「昼間はありがとうございました」

 地図を広げてしかめっ面をしている祥吾に、ミツネがそっと近づいて声をかける。

「とんでもない。むしろ僕の無鉄砲な作戦のせいで、君に怪我をさせてしまった」

感謝を口にするミツネに対し、祥吾はその言葉を素直に受け取ることができなかった。ずっと自分たちで生きてきて、そのための能力を携えている二人を前に、自分の無力さを痛感していたのだった。

 咄嗟の思いつきで行動したことに、祥吾は恥ずかしさを覚えていた。きっと何もしないで隠れていたとしても、ミツネは一人であのヒトデナシを倒してニシナを助けていただろう。それなのに、自分がでしゃばって彼を助けようとするなんて、もし失敗したら目も当てられなかったはずだと後悔する。

「きっと僕だけだったら無理矢理突っ込むことしかできなかったですし、もっとひどいことになってたと思います。そもそもニシナを助けることができたのは、祥吾さんがヒトデナシの擬態に気付いてくれたからじゃないですか」

「でも僕のせいで怪我をさせてしまった。君じゃなかったら死んでいたかもしれない」

「あれくらいの傷ならどうってことないですよ。ほら、もう治りました」

 ミツネはズボンの裾をまくって見せる。確かにそこには怪我をした痕跡も残っていなかった。

「こうやって食事も作ってもらって、道案内もしてもらって、祥吾さんには助けてもらってばかりです。ほら、僕もニシナもちょっと色々考えたりするのが苦手なので」

 ミツネは手に持ったスープをゆっくり口に運ぶ。この日は散策中に採取したきのこを具材に使っていた。きのこ類は毒性を持つものも多く、その見分け方が難しいため、こうして美味しく安全に食べることができるのは知識のある祥吾のおかげだった。

「そんなことはないさ」

 しかし、祥吾はかぶりを振って言った。

「僕は昔から何もできないんだ」

 消え入りそうなほど小さな声で、投げやりに呟く。それはこの旅を通して、あるいは彼の人生全体を通して溜まっていた心の膿が、疲労と焦燥によって限界に達した瞬間だった。ぱちぱちと音を立てて揺れる焚火の明かりが彼の横顔を不鮮明に照らす。

「兄さんは五年前まで調査隊のメンバーだった」

 祥吾は告解室で懺悔をするように、過去を語り始めた。

「勇敢で行動力があり、同時に冷静で物事を慎重に見ることができる優秀な隊員だった。実際にその活躍は目覚ましくて、第一街区のイブ鉱石を最初に見つけたのも兄さんだ。加えて仲間想いで人望も厚く、次の隊長候補だなんて言われていたくらいさ」

「でも今は……」

「そう。五年前に足を怪我して、調査隊員として活動することはできなくなった。それでも指揮官として調査隊に残ることを望まれたが、彼はきっぱりと足を洗い、知っての通り今は両親がやっていた食堂を継いでひっそりと暮らしている」

 そして一呼吸置いたあと、身体をぐっと強張らせて言った。

「兄さんが怪我をしたのは僕のせいなんだ」


 その日は雨が強く降っていた。土の地面が水を吸ってぬかるみ、森を進む大吾たちの足取りを阻む。

 本来は天候の悪い日はリスクが大きいため、外界での調査は行われない。しかし、今回は虫型ヒトデナシに襲われた商人が毒に侵されていて、その解毒薬の素材を入手するという目的があり、緊急を要する任務のため、大吾を中心とした精鋭部隊がやむを得ず出動していた。

 祥吾はまだ入隊して一年ほどの新人で、正式な任務に出るのはこれが初めてだった。通常ならばこのようなイレギュラーな任務に新人が参加することはないが、彼は薬草に関する知識があるということで、特別に参加が許されていたのだった。

「おい、きょろきょろしてると転ぶぞ。集中しろ」

 落ち着きのない様子を注意されながら、祥吾は兄たちとともに雨音に支配された森の中を進んでいく。隊員たちはかなり危険の伴う行軍だということもあり、かなり神経質になっていた。一方の祥吾は初任務で浮足立ち、外界の目新しい景色に目を奪われてしまう。

「困ったな。過去の調査記録を見る限りは、この辺りに群生しているはずなんだが……」

 彼らが探しているのは『ヒラヒラ』という植物だった。風に吹かれるとその花びらがヒラヒラと揺れることからそう呼ばれていて、その葉には非常に高い殺菌効果があるため、解毒剤や傷薬の原料に使われる。特に毒性を持つヒトデナシの対抗策として有効とされていた。

「何か変だな」

 最後尾を歩いていた祥吾が突然立ち止まった。そして何かを確認するようにして、何度も左右に目を向ける。

「そうか、あっちの方だけ草木が薄くなってるんだ。ということは……」

「おい、待て! 勝手に行動するな!」

 祥吾は隊列を抜けて、草をかき分けながら森の奥へと入っていく。それに気付いた大吾が慌てて声を上げるが、強い雨音にかき消されてその声は届かない。

「全くあいつは……。俺が連れ戻してくるから、みんなはここで待っててくれ」

 仕方なく大吾が後を追いかける。

「あ、兄さん! あれを見てよ!」

 ようやく追いついたかと思うと、祥吾は嬉しそうに森のさらに奥を指さした。

「あれは……」

 彼らの目の前にあったのは、短冊のように細長い不思議な形をした花びらが揺れる小さな花畑だった。

「ヒラヒラは成長するために、異常なほどの養分を必要とするんだ。そのせいで周囲の木々からも養分を奪い、その花が咲く土地は枯れてしまう。さっき向こうから見たときに、明らかにここだけ草木が薄くなっていたから、もしかしてと思ったら当たりだったよ」

 確かに彼の言う通り、ヒラヒラが咲いているところから

 得意げに説明する祥吾に対し、目的のものを見つけてしまったことで、大吾は単独行動を叱るタイミングを逸してしまう。マチに戻ってからしっかり説教をしようと決めて、今は任務を優先することにした。

「よし。じゃあ俺は他の隊員たちを連れてくるから、お前はここで……」

 ところが、滅多に見ることのできない植物を前に、祥吾は好奇心を抑えきれなくなっていた。話も聞かずにずかずかとヒラヒラの中に入っていくと、恍惚とした表情でその花を眺めていた。そして、蛇口をひねり切ったような激しい雨をものともせず、鞄から採取用の道具を取り出して作業を始めてしまう。

 このまま置いていくわけにもいかないので、大吾は隊員たちのところに連れ戻そうと祥吾に近付く。しかし、そこで彼はある違和感に気付いた。

「さっきよりもぬかるみがひどいな。まるで泥沼みたいだ」

 ヒラヒラの花畑の中に入ると、踏み出す度に足が地面に沈んでいくのを感じるようになる。いくらひどい雨と言っても、ここまで足が取られるのは明らかに不自然だった。

「すごい! まだ蕾が開いていない状態のものもたくさんある! これを持って帰って研究すれば、マチの中でも栽培が可能になるかもしれない」

 一方の祥吾は近づいてくる兄にも全く気付かず、どんどん花畑の奥へと歩いていってしまう。

「待て! それ以上は危ない!」

 そこで大吾はようやくこのぬかるみの原因を理解した。このヒラヒラは土の養分を過剰に必要とする。そのせいでこの辺りの土は養分を失っており、水はけが悪くこの泥沼のような地質になってしまっていた。

 そして、祥吾が向かう先は崖になっている。この地質でこの雨量だと、突然崖崩れが起きてもおかしくない状況だった。

「クソッ!」

 依然として祥吾はこちらに気付かず、吞気に崖の方へと近づいていく。大吾はそれを必死で追いかけて、ようやく彼の腕を掴んだ。

「勝手な行動をするんじゃ……」

 そう怒鳴り声を上げようとした瞬間、大吾は自分の身体が急に傾くのを感じた。そのまま視界がぐるりと回転したかと思うと、覆いかぶさるように降ってきた泥に押し流されて、崖を転がりながら滑り落ちていった。

「一体何が……」

 祥吾は訳が分からないまま身体を起こす。顔を拭って目を開けると、全身泥だらけのひどいありさまだった。身体のあちこちが痛んだが、打撲程度で重篤な怪我はないらしい。

 周囲を見回すと、明らかに滑落したと思われる崖が頭上に見えた。状況から崖崩れに巻き込まれたことを認識する。

「とりあえず登れるところを探さないと」

 立ち上がって歩き出そうとしたところで、足に何かが引っかかる。どうやら泥の中に埋まっているようだった。軽く地面をかき分けると、その奥で生温かい感触に当たる。

「兄さん!?」

 そこに埋まっていたのは大吾だった。大吾は崖から落ちる瞬間、咄嗟に弟を庇うようにして抱き留めて守ろうとした。そのおかげで祥吾はほぼ無傷だったが、大吾の方は意識を失った状態で泥の中に埋まっていたのだった。

 祥吾は身体に負担をかけないようにしながら、慎重に兄を泥の中から引きずり出す。身体のあちこち傷だらけで、ところどころ骨も折れていそうな状態だった。特に左足には木の枝が刺さっていて、出血が止まらない。

 このまま放っておけば失血死しかねないと、祥吾は焦りを覚える。きちんとした手当をするためには他の隊員たちと業了する必要があるが、それまで保つとは思えない。

「とにかくすぐに手当しないと」

 崖崩れに呑まれて荷物を失くしてしまったので、手当に使える道具は何もない。ただ幸いなことに、彼らの周りには一緒に落ちてきたヒラヒラの花が散らばっていた。

 祥吾はその花を拾い集めると、その葉を石で潰してペースト状にし、破った服の端に付けて傷に巻く。かなり簡易的な処置ではあるが、止血と殺菌という面では有効なはずだった。

 その後、祥吾は意識のない兄を担ぎ、時間をかけて迂回しながら、ようやく滑落した崖の上まで戻ることができた。しかしそこで彼も体力の限界を迎え、最後の力を振り絞って何とか兄を木陰に下ろすと、張り詰めた糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。


「次に目を覚ますと、そこはマチの中にある病院の一室だった。兄さんが戻ってこないのを心配して、他の仲間たちが探しに来てくれたんだ。おかげで僕は大事に至ることもなく、数日してすぐに退院することができた。残ったのはこの額の傷くらいさ」

 そう言って祥吾は髪をかき上げて、生え際の辺りに付いた赤黒い傷跡を見せる。

「一方で、兄さんの容態はかなり悪かった。数日経って意識が戻っても、外傷がひどく、骨や内臓もやられていて、数か月は寝たきりの生活を余儀なくされた。そして何よりも、彼の左足はほとんど使い物にならなくなってしまっていた」

 辞めたあとだというのにあれだけ仲間たちに慕われているほど有望な人が、怪我によって自ら退かざるを得なかったというのは、一体どれほど苦しい決断だったことか。ミツネは足を引きずりながら歩く大吾の姿を思い出す。その後ろ姿がどことなく寂しそうに見えたのは、まだ心のどこかに未練を抱えていたからかもしれない。

「誰も僕を責めなかった。明らかに出来損ないの弟の勝手な行動が招いた結果だったけど、それを責めることは兄さんが望まないし、たとえ責めても左足が戻ってくることはないとわかっていたから」

 でも、と一度言葉を区切ると、しばらく沈黙が続いた。

 その兄の優しさは、祥吾にとってはとても残酷なものだった。

 そしてまるで深い沼から抜け出そうとするように、重たい口を開いて続きを語り始める。

「僕は聞いてしまったんだ」

 ――祥吾さんの左足はもう一生動かないだろうって。ヒラヒラの毒がよくなかったみたいだ。

 廊下で他の隊員たちが話しているのを耳にしてしまった。それは明確に、彼の左足を奪ったのが自分であるということを示していた。

 ヒラヒラには殺菌効果とともに、わずかな毒性があることは祥吾も認識していた。それは人が口にしても影響がないほどの微弱なもので、普通ならば無視しても問題はない。しかし、その葉を傷口に使用する場合、稀にその毒が傷口から侵入して細胞を壊死させてしまうことがあった。そのため、医療用途で使用する場合は、一度表面を炙って毒性を除去することが推奨されていた。

 確かに彼は植物の知識を豊富に携えており、それは調査隊内でも目を見張るものがあったが、あくまでもその興味は生態や植生に向いており、医療などの実用的な知識はほとんど持っていなかった。

「あのとき僕に知識があればと何度後悔したことか」

 祥吾がミツネたちの食事を気にして栄養面などを指導していたのは、そうした後悔があるからだった。この厳しい環境の中では、無知が死に繋がりかねないということを身をもって体感していた。

「結局僕は調子に乗って自分勝手に行動して、人に迷惑をかけることしかできないのさ。何もできない人間だというのに、すぐにそれを忘れてしまう愚かな人間だ」

 唇をぐっと噛みしめて、自身への怒りに身体を震わせる。

「ずっと兄さんに憧れていたんだ。強くて、優しくて、頭が良くて、頼りがいのある兄さんに。それなのに、僕は……」

 幼い頃から憧れだった兄を自らの手で壊してしまったことを知り、その憧れは強いコンプレックスへと変わっていった。他人に迷惑をかけないことを重視し、自分自身を決して省みず、ただ兄の代わりにマチのために尽くそうと努めた。

 それ以来、彼は一人で外界に出かけては、その植生や地形の調査、医療用・食用に使用できる植物の研究、そして外界調査における安全なルート開拓に明け暮れた。しかし、誰かとともに任務に行くこと拒み、自分が調査に出るときは、戻ってこなくても決して探さないよう伝えていた。周囲の人間も彼の気持ちを理解し、その行動に口出しする者はいなかった。

「今回、兄さんに初めて仕事を任されて、正直舞い上がっていたんだと思う。自分にもできることがあるんじゃないかって、分不相応にそんなことを思ってしまった。でも結局また自分勝手な行動で、君を危険に晒してしまった」

「そんなことは……」

 ミツネは否定しようとするが、その言葉はまるで祥吾には届かない。

「そもそも兄さんに憧れて調査隊に入ったのが悪かったんだ。余計な野心なんか抱かず、最初から僕が父さんの店を継いでいればよかったのかもしれない」

 隣で揺れる焚火の炎がはじけて、ぱちぱちと音を鳴らす。真っ暗な森の中でぽつんと取り残されたように明かりを保つその空間は、まるで孤独を浮き彫りにするスポットライトのようだった。

「……あんたは食ったことあるのか?」

 少し離れたところに座ってずっと黙っていたニシナが唐突に口を開いた。

「食ったことあるのかよ、あの人の料理を」

 そう言って立ち上がると、そのまま祥吾の方へと近づく。その顔はちょうど影になって表情が読み取れなかったが、いつもと違う平坦な声色は何かに怒っているようにも聞こえた。

「あんな美味いもの、そう簡単には作れない。あの人は確かにすごい調査隊員だったのかもしれないが、それ以上に、今は最高の料理人だ」

 ニシナは祥吾の目の前に立つと、彼の目を真っ直ぐ見て言う。

「それを自分がやればよかったなんて、あんたには無理だよ」

 重なっていた薪が燃えて炭になり、互いの重量に耐え切れなくなって崩れた。一定のリズムを保っていた焚火の音が途切れ、その瞬間だけ辺りが完全な静寂に包まれる。そしてすぐに環境音が元通りに鳴り出して、炎を見ると何事もなかったかのように燃え続けていた。

「君の言う通りだな……」

 祥吾は辛辣な言葉を浴びせられ、自嘲気味に笑った。

「どこに行っても、僕は自惚れ野郎なんだ」

 そんな風に溜め息混じりに俯く祥吾に対し、ニシナはずっと彼の方を見つめていた。

「でも今ここにいるのはあんただろ」

 視線を合わせようとしない祥吾の肩を掴み、力づくで顔を引き寄せる。

「あんたでよかったって思わせてくれよ。俺たちにも、マチの連中にも、あんなの兄貴にもさ。それができるのはあんたしかいないし、それができる人間だって、そう信じてもらえたからここにいるんだろ?」

 自分のことを無価値だと言う人間に、ニシナはどこか昔の自分を重ねていた。それでも彼が今生きているのは、自分を信じてくれた人がいて、その存在に気付けたからだった。

「……こんな姿を見られたら、また兄さんに怒られちゃうね」

 祥吾は軽く目頭を拭うと、再び自嘲を含んだ笑みを浮かべる。しかし、先ほどと違い、この表情にはどこか晴れやかさが滲んでいた。

「まあ、あんたの料理も美味いけどな。あの人の次くらいには」

 照れ隠しをするようにそんな軽口を口にして、ニシナはテントの方に去っていった。

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