1-6

「地図で見るとそろそろ着くはずなんだけどな……」

 祥吾が手に持った地図をぐるぐると回しながら、首を傾げる。こんな調子でかれこれ一時間近く同じところを彷徨っていた。

 マチを出て森の中を進み始めてから、およそ三日が経過していた。途中、想定以上にヒトデナシが多く迂回をしたり、雨に降られて上手く進めなかったりといったこともあって、元々の予定よりも少し遅れ気味だった。加えて、想定していたルートと違う道を通ったせいで、地図と現在地を照らし合わせることが難しくなり、もはや迷子と言っても差し支えない状況になっていた。

「とりあえず一度休憩しますか……」

見かねたミツネの提案により、三人は食事も兼ねて一休みすることになった。旅慣れている二人はともかく、祥吾は長期間マチを離れることは多くないので、その顔にはかなり疲労感が滲んでいた。

 周囲の安全を確認し、ちょうど良い木陰に腰を下ろす。祥吾はずっと顔を締め付けていた防護マスクを外し、足りていなかった空気を補充するかのように大きく息を吸った。

「申し訳ない……」

「いや、お腹も減ったところだったし、ちょうどいいですよ。むしろ疲れているのにいつも料理を作ってもらっちゃってすみません」

 明らかに自分が足を引っ張っていることを祥吾は気にしていた。思い詰めた顔で謝る彼に対し、ミツネは気を遣った言葉を返す。

 この旅ではすっかり祥吾が料理係となっていた。彼は外界調査隊の中でも植物研究を専門としていて、その知識は外界での食料調達にも役立った。加えて、飲食店の息子ということもあって料理の心得もある。元々は当番制だったが、ミツネたちがあまりに食に無頓着だったので、仕方なく彼が自ら志願したのだった。

「今日は野草を潰してチーズを混ぜて、とろみのあるスープにしてみたんだ」

 かえって料理がいいリフレッシュになったのか、食事が出来上がる頃には祥吾の顔にある程度元気が戻っていた。その様子を見て、彼を心配していたミツネも少し安堵する。

「相変わらず美味いな。流石はあの兄の弟」

「外でもこんなに美味しいものが食べれるなんて、思ってもみなかったです」

 なみなみと注がれたスープをぺろりと平らげ、ミツネとニシナは満足そうに呟く。

「正直信じられないな。あんな食生活でよくここまでやってこれたものだよ。食材が限られた環境だからこそ、食べ方を工夫して効率的にカロリーや栄養を取れるようにしないと……」

 そんな説教を真面目に聞く様子もなく、ミツネは刀の手入れに、ニシナは木に登って昼寝を始めてしまう。この旅で祥吾は初めて育ててくれた母親の気持ちを理解していた。

「おい、あれ見てくれよ! 何だか美味そうな果物がたくさんなってるぞ!」

 すると突然少し離れた木の方から、ニシナが嬉しそうな声を上げた。

「果物……? おかしいな。この辺りの植生にそんなのあるはずが……」

「ちょっと取りに行ってくるわ!」

「あ、ちょっと待って!」

 制止する祥吾の声を無視して、木々をかき分けながら軽やかに森を進んでいってしまう。

「そうか……まずいぞ……! ニシナを追いかけよう!」

「どういうことですか?」

 祥吾はミツネの腕を引っ張って、慌ててニシナの後を追いかける。

「この森にいわゆる果物がなる木があるはずがないんだ。せいぜいちょっとした野いちごが生えているくらいさ。でも存在しないからこそ、それを欲する動物たちをおびき寄せるいい餌になる」

「それって、まさか……」

「ああ。擬態だ。ニシナが見たのは、擬態した植物型のヒトデナシの可能性が高い」

 薄暗い森を抜け、急に開けた場所に出た。そこには少し背の低い木々が疎らに立ち並び、その枝には真っ赤な艶を放つ丸い果物をつけている。その光景は明らかに異質で、作られたものであることがすぐにわかった。

 見渡せるところにニシナの姿はなく、その気配も感じられない。しかし進んでいった方向的に、ここに来たのは間違いないはずだった。

「ってことは、あの中か……」

 植物型のヒトデナシは近づいてきた動物を取り込んで栄養分とするものが多かった。擬態して餌を誘っているということは、ミツネたちの目の前にいるのはそういった食肉植物タイプであるのは間違いない。そしてニシナの姿が見えないことを考えると、すでにこのヒトデナシに取り込まれたあとである可能性が高かった。

 このタイプは消化器官が弱く、取り込まれてから消化されるまでには少しタイムラグがあった。すぐにニシナの後を追ってきたことを考えると、まだある程度時間的猶予があるはずだが、かと言って彼がいつまで耐えられるかはわからない。

「ニシナが消化されちゃう前に何とかしないと……。祥吾さんは後ろに下がって隠れていてください」

 ミツネは刀に手をかけてゆっくりと周囲の様子を窺う。あくまでこのヒトデナシはこちらの動きを待って果物を取ろうとしたところを狙ってくるタイプらしく、一定の距離を保つ彼らに対しては何もしてこなかった。

 このヒトデナシの農園は、中央にわかりやすく異質な大木が鎮座し、その周りを果物の生えた小さな木々が囲っているような構図になっていた。おそらく中央の大木が本体で、他の木はその手足のような役割を果たしている。ニシナを助けるには、その本体を直接叩く必要があるが、そう簡単に通してくれるようには見えなかった。

「とりあえず強行突破しかないか……」

 ミツネは作戦を考えるよりも先に、真っ直ぐヒトデナシに向かって駆け出す。案の定、彼が本体に近づこうとした途端、静かだった周りの木々がざわざわと枝を揺らし始めた。果物が次々と地面に落ち、ぺしゃりと潰れて腐るように溶けていく。

 そして農園の領域内に一歩足を踏み入れると、木々が一斉に枝を伸ばし、まるでナイフのように尖った先端を彼に向かって突き刺す。彼はそれをいなしながら前に進もうとするが、全方位から飛んでくる攻撃に誘導され、どんどんと本体から遠ざけられてしまう。

「ダメだ。なかなか近づかせてくれない」

 一度距離を取って体勢を立て直す。すると、まるでミツネが離れるのに呼応するようにして、枝が縮んで木々は元の姿に戻っていった。どうやら接近を感知すると、防衛システムの役割を果たす周囲の木々が攻撃をする仕組みになっているようだった。

「ニシナがいればな……」

 近接戦闘型のミツネとは相性の悪い相手だった。中遠距離からも攻撃することができるニシナがいれば戦いが楽だったが、その彼は今まさに目の前の木に取り込まれてしまっている。

「僕に考えがある。こっちに来てくれ」

 草の陰に隠れながら本体をじっと見つめていた祥吾は、突然何かを思いついたようにそう言って、ミツネを再び森の中へと連れ出した。

「この辺がいいかな」

 何かを探すように軽く周囲を見回したかと思うと、彼は鞄の中からロープを取り出した。

「一体何を……?」

ロープを高いところにある枝に向かって放り投げ、器用に引っ掛けたあと、強く結んで固定する。同じようにもう片方の端を隣の木に結ぶと、木の間にまるで綱渡りでもするようなロープの橋が完成した。

「あいつはたぶん視覚がなくて、基本的に触覚を頼りにしているんだと思う。その証拠に、さっき鳥が本体の近くを飛んでいたのに全く気付く様子がなくて、翼が枝の先をかすめた途端に慌てて攻撃をしていた」

 祥吾が指さす先には、まさに本体の周りを気ままに飛んでいる鳥の姿が見えた。

「でもあいつは明らかに僕が近づくのを感知してましたよ」

「それはたぶん地面の振動を感知してこちらの動きを把握してるんだ。あの広場一帯にあいつの根が張り巡らされているんだろう」

 祥吾は空中にピンと張られたロープに別のロープを引っ掛け、無理矢理引っ張って自分の方に手繰り寄せる。そこでようやくミツネも彼が何をしようとしているのかを理解した。

「だから鳥と同じように空を飛んでしまえばいいんだよ」

 その作戦は非常にシンプルなものだった。木に括り付けたこのロープを限界まで引っ張ることで、枝のしなりを利用した天然のパチンコのようなものが完成する。そこにミツネが入って、解き放たれる張力によって空を飛び、地面に足をつけずに本体まで接近しようというのである。

「祥吾さんって、結構クレイジーですよね」

 お世辞にも名案だとは言えなかったが、他にいい策が浮かぶわけでもなかったので、ミツネは諦めてその作戦に乗ってみることにした。

 ミツネはロープの内側から、祥吾は外側から、限界までロープを引っ張って張力を溜めていく。途中で枝が折れることもなく、綺麗に弧を描いてしなっていた。

「この木はしなりに強いんだ」

 祥吾は顔を全身に力を入れて苦しそうにしながらも、自慢げにそう呟く。

「よし、今だ!」

 その張力が限界まで達したタイミングで、掛け声に合わせて二人が一斉に力を抜く。そして両側の枝が一気に元に戻ろうとする瞬間に、ミツネはロープに両足をかけ、前に押し出される力を使って勢いよく空に飛び上がった。

 思わぬ大成功に、ミツネは宙を舞いながら吹き出してしまった。後ろを振り返ると、地上に残された祥吾がまるでペットボトルロケットを飛ばした子どものように、キラキラした目でこちらを見つけていた。

数秒間かけて上昇し、最終的に地上から五十メートルほどのところで勢いを失って落下に切り替わる。方向・角度・距離のすべてが完璧で、そのまま重力に乗って真っ直ぐヒトデナシの本体へと向かっていく。

「ニシナを返してもらうよ!」

 位置エネルギーを全て刀の先に乗せ、大木の幹に突き立てる。しかし刃が樹皮を貫いた瞬間、ヒトデナシは自身に振りかかる緊急事態に気付き、ミツネを排除しようと四方から枝が襲いかかった。

 その反応はミツネが想定していたよりもわずかに早い。寸前で避けるのが間に合わず、枝の切っ先が彼の足を勢いよく貫いた。それによって動きを封じられた隙をついて、一本目を追いかけるようにして次々よ枝が彼の全身に突き刺さる。

「ミツネくん……!」

 離れた位置から見守っていた祥吾は思わず声を上げた。同時に、彼は戦いに参加して高揚していた自分に気付いた。何もできない自分が勘違いをして、ミツネを危険に晒してしまったことに後悔の念を覚える。

 串刺しになった身体が空中で制止し、手足がだらんと伸びて動かなくなる。全身に空いた穴から滴る赤い血を見て、祥吾は最悪の想像が頭をよぎった。

 ――あのときと同じだ。何も成長していないじゃないか。

 蓋をして思い出さないようにしていた記憶がフラッシュバックする。過去の自分が亡霊のように取り憑いて、動かなくてはいけないとわかっていても、どうしても前に足が進まなかった。結局こうして目の前で誰かが傷つくのを、無力な自分はただ見ていることしかできないということを痛感する。

「痛ぁ……」

 しかし、そんな祥吾の心配をよそに、完全に死んだように見えたミツネの身体が突然動き出した。右腕で身体に刺さった枝をしっかりと掴むと、そのまま強引に一本ずつ引き抜いていく。そして器用に枝の根本に足をかけて顔に飛び散った血を軽く拭うと、何事もなかったかのように刀を両手で持ち直した。

 たとえどんな反撃を仕掛けようと、すでにミツネが懐に入った時点で詰みだった。この程度の傷は彼にとって致命傷にはなり得ない。ヒトデナシが勝つためには、一瞬の隙をついて首を切断するくらいのことをやらなくてはならなかった。

 彼は再び迫りくる枝を避けながら、再び落下の勢いを利用して。木目に沿ってヒトデナシの本体を垂直に切り伏せる。ぱっくりと割れた部分からまるで血のような赤い液体が噴き出し、急激に彼を追う枝の動きが弱まっていった。

「おい、あっぶねえな……」

 ちょうど地面まで到達した刀のすぐ隣に、木の根に埋もれたニシナの姿が現れた。数ミリずれていれば幹とともに彼の頭も真っ二つになっていたので、危ういところだったとミツネは安堵の息を漏らす。

「中に俺がいること忘れてたろ」

 身動きの取れないニシナは不満そうな目を向けるが、それに気付かないふりをして、ミツネは死にかけのヒトデナシにとどめの一撃を刺した。

「食い意地張って死にかけるなんてみっともないよ」

「……それに関しては弁解の余地もない」

 全身に巻き付いていた根を除去し、土の中からニシナを引っ張り上げる。泥と体液にまみれて汚い姿ではあったが、特に大きな傷もなく無事のようだった。

「でもどうせ捕まっちまうなら、あの実を無理矢理にでも食っとけばよかったな……」

 本体が倒れ、萎れていく木々を眺めて口惜しそうに呟く。そんな吞気な態度と、身体から放たれる腐臭に顔を歪めながら、ミツネは心底呆れた様子で溜め息を吐いた。

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