1-3

 あれだけ探し求めていたというのに、見つかるときは意外にもあっけなかった。青年が歩いていった痕跡を辿りながら進んでいくと、暗い森の中には不自然なほど巨大な人工物が姿を現した。

「あれだ……」

 それは無機質なコンクリートに覆われた直方体だった。唐突に木々が途切れ、遮られていた陽の光が解放されて、その空間だけがスポットライトのように明るく照らされている。そびえ立つ灰色の壁が外界を隔絶し、窓一つないために中の様子を窺い知ることはできない。

「ともかく行ってみるしかないな」

 二人は慎重に周囲を警戒しながら、マチの入口へと近づいていく。遠くからでは実感しづらかったが、目の前にすると改めてその巨大さに圧倒された。森の木々から頭を突き出すほどの高さで、横幅も軽く数百メートルはあり、一周するだけでもかなり時間がかかりそうだった。

 そんな巨大な直方体はすべて一様な灰色で塗り潰されていて、周囲の自然物とはあらゆる面でかけ離れた異様な光景だった。唯一、壁の下部中央には扉らしきものが見えて、どうやらそこから中に出入りするようだったが、当然人の出入りは全くない。しかし、青年の残した足跡を見るに、ここへ入っていったのは間違いなさそうだった。

 ニシナは躊躇する様子もなく、さも当然のように扉に手をかざして中に入ろうとする。すると、固く閉ざされているように見えた頑強そうな扉は、まるで二人を招き入れるように何の抵抗もなく開かれた。

 中に入ると、そのまま真っ直ぐ廊下が続いていた。外の壁と同じようにコンクリートで囲われたさほど広くない廊下は、等間隔に設置された白い照明で明るく照らされ、どことなく落ち着かない清潔感に満たされている。

 反響する自分たちの足音に包まれながらしばらく廊下を進むと、一枚の扉の前に突き当たった。入口からそこまでは何もない一本道だったので、先へ進むにはここを入るしかない。

「行くぞ」

 先にニシナが扉の目の前に立つと、先ほどと同じように扉が自動で開く。その先にあるのは八畳ほどの小さな部屋だった。コンクリート張りの廊下とは打って変わって、その部屋は全方位真っ白い壁に囲まれて、まるで病室のように見えた。家具などは一切置かれておらず、ただがらんとした空間が広がっていて、ミツネはどことない不気味さを覚える。

 二人が扉をまたぐと、彼らを閉じ込めるかのように扉が閉まる。中からは開けられないようになっているらしく、触ってみてもぴくりとも動かなかった。同じように逆側にある扉も開く気配がなく、完全な密室となって閉じ込められる。ミツネは警戒心を強めて辺りを見回していると、唐突に背後から鈍い機械音が鳴り出し、壁から黒いタッチパネルのようなものが飛び出してきた。

『端末の上に手を置いてください』

 どこからともなく合成音声が流れ、一定の間隔で同じアナウンスが繰り返される。状況から判断するに、どうやらここはマチに入るための検問所のような場所のようだった。おそらくこのパネルに手をかざし、こちらの情報を読み取って受け入れるかどうかを判断するのだろう。

「まあやってみるしかないか」

 ニシナはそう言って、タッチパネルの上に手をかざす。ミツネもその後を追うように、隣にあるもう一台の端末に手をかざした。

『ID認証中…………エラー。未登録者のため、IDが確認できません。訪問者として仮IDの発行を申請しますか?』

 合成音声の質問と同時に、タッチパネル上にはい/いいえのボタンが表示される。二人はよくわからぬまま、とりあえず〝はい〟のボタンを押すことにした。

『仮ID発行のため、個人情報の照会を行います。…………エラー。データベース上に情報が見つかりませんでした。身元不明者として申請を行います』

『次に、メディカルチェックを行います。再度、端末の上に手を置いてください』

『採血を行いますので、十秒間手を動かさないでください。…………採血が完了しました。手を端末から離してください』

『対象者の健康情報を確認中…………指定感染病への罹患は確認できませんでした。その他、軽度の栄養失調が見られるものの、健康状態も良好。類人危険生物である可能性は0.01%です』

『申請内容を確認して、問題ない場合は〝はい〟を押してください』

 流れるように合成音声が喋り続け、一通りの作業が終わったのか、端末上に細かい結果が表示されていた。どうやらこれを提出して、中に入れるかどうかの確認が行われるようだった。これ以上できることもないようなので、二人はそのまま〝はい〟を押して申請を完了する。

『申請を受け付けました。ただいま確認しておりますので、しばらくお待ちください』

 相手を待たせることへの配慮なのか、合成音声による案内が終わると、簡素な電子音で構成されたクラシック音楽が流れ始める。どこかで聞いたことはあるが、曲名も作曲者も思い出せない程度の曲だった。

「何だか変な夢を見てるみたいだね」

 突然人間の文明が洪水のように押し寄せてきて、ミツネはこれまでの生活との高低差がおかしくてたまらなくなった。子どもじみたごっこ遊びの世界に紛れ込んでしまったような馬鹿らしさがある。

「文明なんてのは、進めば進むほど滑稽になっていくのかもな」

 およそこの世界では無意味なセキュリティに待たされるこの状況を笑い合っていると、十分ほどして再び合成音声によるアナウンスが流れた。

『申請が受理され、入場が許可されました。お二人には旅行者として、最大一週間の滞在が許可されます。延長・移住を希望される場合は、中央管理局にてお問合せください』

 どうやら二人は無事にマチの中に入ることが許されたようだった。そもそもこの時代に自分の身元を証明できる人間の方が稀で、ましてやIDを持っているとなればほとんど絶滅危惧種と言っていい。そのため現在においてこのセキュリティは、鱗粉病をはじめとする種々のウイルスを持ち込ませないくらいの役割しか担っていないのだろうと思われた。

『それでは、ツクバ第三街区をお楽しみください!』

 合成音声のアナウンスが急に不自然な明るいトーンでそう告げると、ようやく閉じられていた扉が開かれた。

「これは……」

 まずミツネが驚かされたのは、マチの上に青い空が広がっていたことだった。外からはわからなかったが、どうやらマチの上部は透明になっているようで、外から太陽光を存分に取り込むことができる作りになっていた。

 そしてマチの中に目を向けると、壁に囲まれた箱の中だとは思えない景色が目の前に広がっている。そこにはまさに一つの『マチ』が出来上がっていた。

 赤茶色の煉瓦が敷かれ、中央には噴水を備えた広場の中で、子どもたちがボール遊びをして、若者がベンチに座って本を読み、老夫婦が仲睦まじく散歩をしている。色とりどりの花が咲く花壇は整然としていて、こまめに手入れされていることが見て取れた。

 その先に見えるのは、同じ形の建物が綺麗に並べられた街並み。細長く縦に伸びた四角い塔のような建物が等間隔で建っている。壁や扉、窓などには妙に鮮やかな色が使われていて、遠目で見るとおもちゃの街を見ているような気分だった。

 逆に、二人が入ってきた入口の方を振り返ると、空まで伸びる高い壁にも扉や窓が付いていて、どうやら壁の中も居住スペースになっているようだった。洗濯物が干されているところもあれば、ベランダでひなたぼっこをする人の姿もある。

 その街のさらに奥に目を凝らすと、まるでマチの中にもう一つマチがあるような、巨大な立方体の建造物が見える。マチの外観と異なるのは、その外壁が真っ白く塗りつぶされていることで、そのせいか何となく異国の霊廟のような不気味さを感じた。

「よかった。間に合った。あなたたちが先ほど申請を出していただいた方々ですね?」

 あまりに異様な光景を前に呆気に取られていると、突然ミツネたちのもとに一人の女性がやってきた。

「そうだけど、あんたは?」

 唐突に話しかけてきた女性に対し、ニシナがぶっきらぼうに応対する。

「すみません、ご挨拶が遅れました。私は笹川と申します」

「ミツネです」「ニシナだ」

 互いに軽く名前を言い合って自己紹介を済ませると、笹川は人当たりのよさそうな笑顔を浮かべながら、今度は二人に握手を求める。ミツネが少し戸惑いながら差し出された手を握り返すと、彼女は「ツクバ第三街区へようこそ」と歓迎の言葉を口にした。

「あの、あなたは……?」

「すみません。色々説明しないと、ですよね。私は中央管理局、いわばこのマチの役場みたいな場所で働いている職員です。そこで皆さんの生活をサポートしたり、こうして外部から人がやってきたときにその方をご案内する仕事をしています」

 笹川ははきはきとした口調で、さりげない笑みを絶やさないまま説明をした。この一瞬だけでも彼女がこの役割に適していることが伝わってくる。

「よろしければ、マチの中を簡単に案内させていただきますよ」

 右も左もわからないミツネたちにとって、笹川の提案は願ってもないものだった。そんな言葉に甘え、そのまま彼女に連れられて三人でマチを見て回ることにする。どうやらここは旅人に対して寛容らしく、外から訪れた人に対してマチの紹介から宿の手配、引いては移住の手配までしてくれるのだという。

「お二人は旅をされてるんですか?」

「ええ、まあ」

「すごいですね。このマチに住む人のほとんどが一生を壁の中で過ごすんです。もちろん私も壁の外には出たことがありませんし、出ないまま死んでいくと思います。決してそのことに不満があるわけではないですけど、やっぱり外の世界を知ってる人に会うと、少し羨ましいと思ってしまいますね」

 笹川はこちらの事情を深くは聞かず、それでいて会話を途切れさせないようにほどよく質問を投げかけた。訳アリの旅人たちに接することに慣れているのだろう。彼女は羨ましいと口にしたが、外がいかに悲惨な状況であるかを理解しているはずで、そんな場所で生きるミツネたちのような旅人が普通ではないことをわかっているようだった。

「このマチは大きく三つの区画に分かれています。まず外側の壁沿いにあるのが内壁地区。ここには住居や商店、備蓄庫などが入っています。次が市街地区。まさに今いるこの辺りですが、マチの中心を円形で囲うようにして、こうした背の高い建物が並んでいます。ここも住居や商店が中心ですが、内壁地区よりも少し家賃が高いのが特徴ですね。都心と郊外みたいなイメージでしょうか。そして、その中心にあるのが中央区画と呼ばれ、私たちのいる中央管理局をはじめ、マチを管理するための様々な施設が存在しています」

「家賃、ということは、この中では経済が回っているんですか?」

「はい。このマチではまだ〝円〟を使っています。もう外ではほとんど使われていないんですよね。あなたたちにとっては、ずいぶん前時代の遺物に見えるかもしれませんが……」

 彼女はポケットから財布を取り出し、中に入っていた貨幣を見せてくれた。それは数十年前、まだ辛うじて文明が生きていた時代に使われていたものと同じで、確かに現代に残っているのが不思議なほどの代物だった。

 そんな風に小慣れた説明を聞いているうちに、気付けば市街地区を抜けて、マチの中心部である中央区画へと辿り着いた。目の前に現れた中央管理局は他の建物に比べて遊びのないシンプルな外見で、デザイン性よりも機能面を重視した旧現代的な思想が垣間見える。

 そして何より目を引くのが、その奥にある巨大な白い立方体である。ちょうど中央管理局の裏側に位置し、大きさはおよそ五十メートル四方ほど。それぞれの四辺を取り囲むように、中央管理局と同じような建物が建てられており、おそらくそこからこの中に繋がっているのだと思われた。マチの外壁と同じように、窓や扉は全くない。傷や汚れ一つない純白だが、素材のせいなのか太陽光を全く反射しておらず、まるでこの建物だけ異次元に存在しているような不自然さがあった。

「マチの人間は外に出ないって言ってたけど、食糧はどうしてるんだ?」

「基本的にすべてマチの中で自給自足できるようなシステムが構築されています。まさにその根幹を支えているのが、この『ハコニワ』です」

 笹川は得意げな表情で自分の後ろにそびえる立方体を指さす。

「このハコニワの中には、人工肉の生産工場や植物の栽培場、そしてそれらを食料品に加工する施設なども完備されていて、完全に自動化された生産プロセスによって食糧の製造が可能になっています。エネルギーさえあれば半永久的に持続可能になっているので、このマチの住人すべての食生活がこのハコニワによって賄われているんです。」

 そう言われてみると、この巨大さも頷ける。ミツネは改めてそのハコニワに見上げた。

「そもそもお二人は『マチ』というのが何なのかご存知ですか?」

「一応、噂程度は……」

「『マチ』が建てられたのはおよそ七十年前。鱗粉病による世界的パンデミックが起こってすぐ、最初は感染病を防ぐためのシェルターとして構想されました。そして、鱗粉病が人類に尋常ではない被害を与え始めると、政府は当時の科学技術の粋を結集して、各地にここと同じようなマチを建設していったんです。そして、国という概念は半ば崩壊し、人々はマチ単位での閉鎖空間で暮らすようになった」

 鱗粉病に感染しない唯一にして最大の方法は、鱗粉病発病者、及び、その身体から発せられる鱗粉に接触しないことだった。しかし、鱗粉は風に流され非常に広い範囲に影響を与え、その毒性は数週間から長ければ数年にわたって残り続けると言われている。

 そのため、現代では日本の国土の40%以上が汚染されており、安全に外で活動するためには防護マスクの着用が必要不可欠になっていた。おそらくその当時も状況はさほど変わらなかったことだろう。

 だから、人々はマチの中に引きこもって、外部との接触を完全に絶つことで、鱗粉病被害からの脱却を図ろうとした。それを可能にしたのがこの『マチ』と呼ばれる存在だった。

「でも、そう上手くはいかなかった」

 ニシナがそんな風にあえて露悪的な言い方で口を挟む。

「俺たちはここに来るまでに、マチの残骸をいくつも見てきた。どれも何かしらの理由で破棄され、廃墟となったあとだった」

 その規模は様々だが、マチ自体は全国に数百か所も作られ、当時生き残っていた人の半数がその中に収容された。鱗粉病だけでなく、途中からヒトデナシによるリスクも加わったことで、よりこの閉鎖空間が求められたのだった。

 しかし、ニシナの言うように、そのほとんどが今は稼働しておらず、忘れられた遺跡として自然に吞み込まれようとしている。

「ええ、その通りです。おそらく今稼働しているのは、全体の1~2%ほどでしょうか。非常に高度な技術を寄せ集めて作ったがゆえに、少しの設備不良やシステムエラー、事故やイレギュラーが起こればすぐに破綻してしまう。その他にも、エネルギーをはじめとした資源的な問題も絶えません。このツクバ第三街区は、後半に作られた施設だったために安定性よりも他より高かったので、こうして今まで生き残ることができています」

 まさにこの場所は砂漠の中に偶然残された最後のオアシスだった。そしてその水がいつ尽きるかもわからない。

「まあ、こういった話もすべて前の世代の人たちからの受け売りで、今となってはその全貌を理解している人はこのマチにはおりません。もしこのハコニワに何かあれば、私たちは一瞬にして今の生活を失うことになるでしょう。そうやって仮初の楽園だと揶揄されることもありますが、ここで生まれ育った私たちはこの生活に誇りを持って暮らしています」

 あえてそんなことを口にしたのは、彼女がこれまで出会った旅人たちの中に、心ない言葉を投げかける者が少なくなかったからだった。文明が失われ、世界は病と怪物に侵された現代において、こんな風に閉ざされた楽園で幸福な生活を送っていることが、まるでままごとのように見えてしまう部分があるからだろう。実際にミツネもどこかこのマチの生活を滑稽に感じてしまっていた。

「いつ終わりが来るかわからないのは、どこにいても同じか」

 音もなくマチの人々を生かし続けるその巨大な物体を眺めながら、ニシナは少しだけ虚しそうに呟いた。

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