宛名のない手紙

Hoshimi Akari 星廻 蒼灯

宛名のない手紙

 星空の見える土地に住みたいと言ったら、彼女は笑って「あんたってロマンチストだよね」と言った。

 人からそう呼ばれることはたびたびあった。だけど僕はその言葉の意味がいまいちピンとこない。ただ思ってることを素直に言っただけなのに、どうしてそれが、何か変わった特徴のように人からは見えるのだろう。ロマンチストとは、夢想家、という意味らしい。けれど僕は現実の話しかしていない。

 逆に、どんなところに住んでみたいの? と僕は彼女に尋ねた。

「便利なところかな。友達に会いに行きやすかったり、買い物に困らないところ。たぶん、星空が見えるようなとこじゃないね」

「……そんな」

「逆に困んないの? 星が見えるようなとこって、地方とか標高の高いとこでしょ? 周りになんにもないとこだったりするんじゃないの?」

「まあ、それはそうかもしれないけど」

「プラネタリウムに行けばいいじゃん」

「プラネタリウムも……いいけど、星空とは違う。空がひらけてるかどうかが違うし」

「細かいこと言うなよ」

「細くない。壮大な違いだ」

 ただ、彼女と話していて、口に出して素直に言えはしないが、一つだけ星空の見えるような土地に行って自分にとって困ることがある、と僕は気づいていた。

 彼女は僕が住みたいと思うような遠く寂しい土地には、きっと住まないだろう。だとすれば、僕らがそれぞれ自分の望む土地に住むということは、僕らが離れ離れにならなければいけない、ということを意味している。

 もっとも、僕と彼女は恋仲とかそういうわけでは全くなかった。ただ単に、僕が彼女に一方的な片想いをしている、というだけのことだ。こうして話しているだけで、僕の心臓はずっと早鐘を打ち続けているけれど、彼女のほうは、クラスの他の誰と話している時とも変わりない、飄々ひょうひょうとした表情をしていた。この会話が退屈になったらすぐ別の場所へ行ってしまうだろうけど、僕のほうはなんとかこの時間が続くようにと考えを巡らしている。

「今度、引っ越すんでしょ? 引っ越し先はそういう場所じゃないの?」

 彼女に尋ねられて、僕は首を横に振った。残念ながら、そうじゃない。

「こことそんなに変わんない。都会でも田舎でもない、普通の街だって」

「へえ。残念だね」

 そう。残念だ。けど。

「住んでみたい場所には、自分一人で行きたい」

「は? なんで?」と言ってから、彼女は自分の疑問を打ち消すように、何かを察するような表情になった。

「なんとなく……。でもたしかに、友達とかと誰とも会えなくなるのは、寂しいかもしれない」

「でしょ」

 会話がそこで途切れ、少しの間僕たちは沈黙したまま、小学校の校庭のグラウンドと、そこで走っている生徒たちの姿を眺めてた。

 僕は自分がこの町から去った後で、彼女が中学に上がりそれからどんな人生を歩むのだろうと考えた。きっとモテるだろうから、いずれは誰かと付き合ったりするんだろう。そうして、きっとまともな幸せを手にして、そばにいる人たちのことも幸せにしながら生きていくんだろう。 ——今まで幾度となく想像したことであり、そしてそこに、僕の居場所は想像できなかった。人を幸せにすることなどできない、深い暗闇の中でしか安らぎを感じられない、僕みたいな人間の居場所は。

 話の接ぎ穂を考えながら、僕は今さらながら、自分が彼女の趣味とか、好きな漫画やスポーツとか、そういうことを全然知らないままで6年生になってしまったということを思った。

 彼女がどんなことに興味があるのか、関心がなかったわけじゃない。できることならどんな些細なことについての話だって、してみたかった。だけど僕は今日まで彼女と面と向かって話すことができなかった。今だって、校庭前の花壇のふちに座って、二人ともグラウンドのほうを見て話している。

 そして今も、何でもない質問一つすることさえできずにいる。

 僕は彼女の名前を呼んだ。

 彼女は「何?」と聞き返す。

 口火を切ってしまえば、何か質問が思いつくだろうと思ったのだ。だけど最近あったクラスの出来事も、人気のテレビも配信者も、ゲームもアニメも、僕が本当に話題にしたいことじゃない。僕が聞きたかったのは——。

「たとえば、世界を作り変えられるとしたら、どんなとこを変えたい?」

「は? ……作り変えるって何?」

「そのまんまの意味。たとえばこの校庭の真ん中に高い塔を建てるとか、そういうこと」

「なんで塔なんか建てんの?」

「……理由はないけど、そういう意味不明なものがあったら面白いかなって」

「その質問が、まず意味不明なんだけど」

 彼女は呆れ返って笑って、仕方ないからつきあってあげる、という風な様子で眉をひそめて考えだした。

「とりあえず、全世界の人が毎月私に1円ずつ払うようにする」

「……豊かな国はいいかもしれないけど、遠くの貧しい国の人とかはすごい困るよ」

「じゃあそういう国はのぞいて。って、毎月じゃなくても十分か」

「そうだね。それで、何買うの?」

「さあ。何でも買えるでしょ。それで毎日遊んで生きれる」

「そうだね……。他には?」

「他にって、変えるもの?」

「そう」

「さあ……。その塔って、中に何があるの?」

「分からない。入ってみたら分かると思うけど」

「そりゃそう。けど、あんたが建てた塔なんでしょ?」

「いや、違う。いきなり現れた塔だから、どんな構造なのかとかは分からない」

「へえ……。あっそう」

 沈黙が流れる。少ししてから、彼女が言う。

「あんたって、今まで全然話してなかったから知らなかったけど、変わってんだね」

「……そう、かも」

「悪口じゃないよ」

「……おれは、ほんとはもっと普通の話もできるような人間になりたかった」

「——じゃあ、話してみる?」

「え?」

「連絡先交換する? あんたもういなくなっちゃうんでしょ?」

 無言で、口も開けず、僕はゆっくりとうなずいた。



 僕はずっと不思議だった。

 なんで、僕は人間が嫌いなのか。それなのにどうして離れて見ていたら、人間と関わりたいと思ってしまうのか。

 僕は彼女のことが好きだった。なのに近くにいると、こうして言葉を交わしていると、こんなにも恐ろしくて、何もかも全て壊してしまいたくなる。

 それは、きっと僕が人間を恐れているからだ。

 そして恐怖のあまり、その恐れが思い込みにすぎないものなんだと知ることができる前に、どんな人間との関係も崩れ去ってしまう。だから、そんな自分の人間観を、僕はいつまでも塗り変えることができなかったんだ。

 連絡先を交換して、違う街へと引っ越したあと、僕は自分と彼女が少しずつ仲良くなって、会話が弾んで、互いに互いの言葉が通じるようになる、なんてことは想像していなかった。そんなことは想像できなかった。無理がある、と、最初から分かっていたんだ。

 だから僕が彼女に願って、「どうか」と書いて頼んだことは、ただ、僕の見る世界を見ていてくれないか、ということだった。そこに記された物語に、感想とか、返事なんかいらない。ただ、見ていてほしい。そして、彼女の生きている世界を、同じように僕に教えてほしい。僕には君の見ている世界に、どんな感情を持つことも、どんな共感を示すこともできないかもしれない。それでも、君の生きる物語がどんなものなのか知りたいという気持ちに、嘘いつわりはなかった。

 それが〝会話〟と呼べる代物じゃなかったのだとしても、僕はそうして、君とつながっていたかったんだ——。



 君が今日、どこで何をしているのか、僕はもう知らない。

 それでもこうして物語を書いて、宛名もなく送り続けているのは、君という幻を、この世界のどこかに思い描いているからなのかもしれない。

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宛名のない手紙 Hoshimi Akari 星廻 蒼灯 @jan_ford

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