読書家の妄想

まなつ

(お題:古本、夢の底、十字架)

 その古本屋の名前はちょっと変わっていた。古本屋『夢の底』。

 夢の底ってなんだろう。夢を突き詰めて考えた一番根っこのこと? それとも、自分ではわからないもっと奥の深層心理ってことだろうか? そんなことを考えながら訪れたそこは、昔ながらの古本屋って感じ。所狭しと本が積まれ、ビニル紐でまとめられたセット物は何年も売れてない雰囲気。本のジャンルも雑多で、岩波文庫があれば人気作家のハードカバーに、難しそうな学術書までなんでもありだ。


 その中でも異質な空気を放っている一角が、やたらと充実している音楽コーナー。古いロック雑誌やアーティストの自伝からギターの楽譜、スコア、音楽談義の対談本など、ともかくロック!って感じの品ぞろえがすごく面白い。ロックに詳しくない私でも、このコーナーにはお宝が眠っているんじゃないかって感じるくらい。

 古本屋は個性が出るけれど、ここの店主はロックが好きなんだなってのがすぐわかる。そこが気に入って、ちょくちょくひやかしに通ってた。本を買う日もあれば買わない日もあるけれど、店主は特に客を気にせず、黙々とカウンターで作業している。たまに、何か本を読んでいる様子も見られた。


 この店主がまた個性的で、見るからにいにしえのロックンローラー。年は40代くらいだろうか。そろそろ顔のシワもくっきりしてきて白髪交じり。ロックンローラーらしくやせ型で、中年太りはしていない。服装は、バンドTシャツって感じの、英字と知らない外国人の写真がプリントされたもので、やたらと細いジーンズを履いている。

 そしてなにより目立つのは、胸元の十字架。シンプルなただの十字架じゃなくて、ちょっとだけ装飾が施されている。中心には丸、四方の十字の先は三つに割れて花びらみたいになっている。花びらのくぼんだところから溝が中に向かって走っていて、年季が入ったそれは溝の部分が黒ずんで見えた。私はレジでのお会計の際、その十字架をこっそり観察しては、なぜ悪魔崇拝的な音楽であるロックンロールを好む彼が、敬虔なクリスチャンのように十字架を下げているんだろうと、想像してみたりもした。

 

 古くからこの土地に住んでいる父親に聞くと、あの古本屋はもともとおじいさんが店主だったらしい。おじいさんが亡くなって、お孫さんが継いだって話だ。お店の名前も、昔は古見書房だったらしく、その由来は単純に店主が古見さんだったからというもの。昔はわかりやすい古本屋だったのに、お孫さんの代になってから複雑化されたんだと思うと、俄然、その古本屋に興味がわいた。本好きは、想像を搔き立てられるものが好きなのだ。


 一年せっせと『夢の底』に通うようになり、無口な店主とも少しずつ会話ができるようになってきた。私は音楽コーナーには用がなかったので、仲良くなるには時間がかかったと思う。それでも、なんだかやたらと店に来ては本を買っていく常連さんとしては、認識されるようになった。店主の名前はやっぱり古見さんだった。

「いつもありがとうございまーす。お客さん、ほんと、いろんな本買うんっすね」

 古見さんはロックンローラーらしく、話し方がちょっとけだるくて砕けてる。

「うん。本が好きなんで。古見さんも、カウンターでいろんな本読んでるじゃないですか」

「おれのは、仕事」

「古本屋さんが本を読むのって趣味かと思ってた」

「おれは家では読まないんで」

「本が好きで、継いだんじゃないの?」

「あー。本はここで働くようになってから読んだかな」

「それまでは、音楽を?」

 私は思い切って、音楽コーナーを指さして聞いてみた。

「わかるんスか」

「うん。あの音楽コーナー、すごい品揃えだもん」

 私が褒めると、古見さんはへぇって感じで目を瞬いた。

「お客さん、音楽に興味なさそうだけど、わかるんだ」

「本のことならわかるんだ」

「なるほどね」

 いつも無表情の古見さんが、ふって笑った。これはなかなかレアな表情だ。ちょっとは気を許してくれたかな。私はさらに思い切って、ここに来てからの疑問をぶつけてみることにした。

「じゃあ、『夢の底』って名前も、音楽から?」

「あー」

 古見さんは、ちょっと言いにくそうに頭をかいた。嬉々として由来を語ってくれるかと思った私は、肩透かしをくらったような気分だ。

「あれは、さ、なんていうか、夢破れてどんどん落ちてって今が底の底って感じ。死んだじーちゃんが知ったら怒りそう」

 古見さんの目は天を向いて気まずそうにしている。なんだかチャーミングなしぐさに、私は思わず吹き出してしまった。

「ふふっ。でもすごく詩的でいいと思う。私、ここに来てからずっと、どんな意味だろうって考えてたから。すごくセンスいい名前ですね」

「そっすか」

 古見さんは口をすぼめて変な顔をしたけど、どうやら照れているらしかった。思ってたようなロマンチックな意味じゃなかったけど、まぁ現実ってそんなものか、と私は妙に納得した。そして、もうひとつの疑問についての質問の機会を逸してしまった。十字架のペンダント。亡くなった恋人の形見だったり、ほんとに敬虔なクリスチャンだったりしたら、気軽に聞いてしまうのはいけない気がした。

 秘密の半分を知ってしまった私は、今まで以上に十字架のことが気になってしまった。お会計のたびにちらちら、会話の度にきっかけを探しながら十字架のこと考える。だけど、あまりにプライベートな内容な気がして、ずっと聞けずにいた。古見さんと、もっと仲良くなりたい。ともかく、その疑問一点のために、私はそんなことを考えるようになっていた。きっと同世代の女の子に話したら、それは恋だって茶化されると思うけれど、これは恋なんかじゃない。読書家としての、想像の裏付けを取るための執念だ。だけど、その執念のために人の心を傷つけてはいけない。古見さんのプライベートに立ち入るには、『夢の底』に十年くらい通わないと駄目だなと、決意を新たにした。


 そんな私の気遣いは、最近ギターを始めた弟のせいで、一変した。弟は『夢の底』の音楽コーナーの話を覚えていて、一緒に行こうと言ってきたのだ。音楽は国境をこえるとはよく言ったもので、二人は世代をこえ、音楽の話ですぐに打ち解けた。私は本を物色しながら、二人の会話を聞くともなしに聞いていた。

 ひとしきり音楽談義で盛り上がったところで、弟は、あろうことか古見さんの十字架のペンダントを指さした。そして無邪気に言ったのだ。

「古見さんのそれ、かっこいい! なんかシブい!」

「……おぅ。ああ、これ、クロムハーツ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

読書家の妄想 まなつ @ma72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ