1-3:コーヒーはブラックで

 押し込まれた部屋には窓がなく、中央に人魂のようにぶら下がっている白熱電球が唯一の明かりとして、二人の男を照らしていた。


 中央にある長方形の金属製テーブルは、軍部の無機質な冷徹さを表しているようであり、所々に見受けられるへこみは軍部の取り調べの壮絶さを物語っているようだった。しかしながら目前にいる男はそのような取り調べを行うタイプではなかった。


「ちょうど2週間前の話だ」


 軍服の男は、この2週間に起きた事の顛末について遠い昔ばなしでも語るような神妙な面持ちで話し始めた。

 

 事の発端は以下のような話だった。


 アウィングとの和平交渉に赴く前に、ハイリンク南西郊外の野営地にて、軍部の司令官複数名とフィスク11の間で会議が開催されることとなった。

 ハイリンクの南西部分は、ほとんどが未開拓地となっており、軍の野営地のみが点在する地域だった。

 

 それはつまり常々ゴシップ記者に嗅ぎまわれることを恐れる公人たちのたまり場でもあり、機密情報のやり取りなどにはうってつけの場所であった。



 会議の表向きの主題は交渉時に締結する条文の事前共有。


 裏の主題は、軍部側からフィスク11に向けた「意向伺い」


 軍服の男、曰く


「まあ、この手の話にはありがちだが、軍部内はアルウィグとの和平交渉に反感を持つ司令官が大半だ。中には国境際で先方とちょっとした小突き合いを起こしたヤツもいる」


「じゃあ、今回の和平交渉は王室側の意向ということか」


 グレッグが問いかけると、男はこめかみのあたりをグイグイと触り、眉を下げながら苦笑した。


「ああ。俺も和平交渉の話自体、例のパレードの数日前に聞かされた」

 

 あの時のお偉いさんの慌てっぷりといったらパレードどころじゃなかった、と男はため息交じりに呟いた。


「それに加えフィスクの連中のみが護衛として指名された。普段は未開拓地域の現地調査とか訳の分からん任務に従事している連中なのに、どういう風の吹き回しかと思ってね」


「しかしいざ前日になって、会議場所を変更したいという電報がフィスク側から入った。軍の野営地ではなく、奴らの本拠地でと。そしてそこに皇太子も同席すると」


 先ほどまで照明の光を反射するのみだった男の目に鋭い光が灯る。


 グレッグは男の目が深いブルーであったことをはじめて知った。


 改めて見ると肌はカサついた様子でシワが刻まれていたが、顔つきはシャープで若々しい。

 年齢はグレッグよりも一回り下であろうかと思われた。


「司令官ご一行は散々悪態をついたが、皇太子も同席するとなれば話は別だった」


 フィスクの本拠地は南西の野営地から少し離れた山の麓にある巨大な砦だった。隊員の数に比べ明らかに過剰な大きさではあったが、王室直属の部隊としての威厳を示すために十分な大きさだった。


「だがいざ辿り着いた時、俺たちは目を疑ったよ」


 軍部が辿り着いたのは日が暮れ始めた頃だったという。砦が軍部たちの前に姿を現したとき、幾つかの狼煙がモクモクと立ち上がっていたのである。

 

 すぐに遣わした偵察隊からの報告は衝撃的なものだった。

 

「生き残りはいなかった。見張りの一般兵士含め全員な」


 生き残りはいなかった。


 淡々と伝えられる死の事実をグレッグは未だに飲み込むことが出来ないでいた。


 ホルス、ロイド、アニー


 グレッグが教官として新人の頃から育てあげていた隊員たちだった。


 もう長らく思い出すこともなかった化石のような記憶も、今のグレッグにとっては今朝の出来事のように鮮明に思い出せる。


「中には顔が潰れていた死体もあったが、携帯していた身分証などから身元を特定することは容易かった。しかし、幾ら数えても死体の数が一つ足りなかった」


「皇太子か」


 グレッグは皇太子が連れ去られたという事実よりも、顔の潰れた死体が弟子達のものかどうかという点の方が気がかりであった。

 

 彼らの死体が安らかな形で回収されたことを祈るほかない。


「フィスクが全滅し、皇太子が攫われたということは」


「……ああ、単なる暴徒の仕業ではない」


 そう言うと男は後ろで書記をしている看守の方に振り返り、おいと声をかけた。


 すると、看守は自分の丸い腹に突っ返そうになっている机の引き出しから、一つの茶封筒を取り出し、男に渡した。


 ふと目に入った封筒の宛名書きには「ロニー・ブラック」と書かれており、グレッグはこの男の名を不意に知ることとなった。


 ブラックは封筒を右わきで器用に挟み(腕を失くしたのは最近のことではなかったのだろう)いくつかの品を取り出してテーブルの上に順番に並べていった。

 

 薬莢、モノクロ写真、クリップで留めた幾つかの文書。


 そして、数日前にグレッグの手元にあったリボルバー。


「特別なリボルバーなんだってな、極秘の技術書を受け継ぐ専門職人しか作ることはせきず、並みの職人複製はおろか、改造もできないと」


 ブラックはその重みを確かめるようにリボルバーを軽く振った。


「噂じゃ、フィスクの連中は、自分の武器の薬莢には必ず自分の名前が刻印されるってな、あれは本当か?」


「ああ。どうでもいい話だな」


「もういい、詮索はやめろ。一体何が言いたいんだ」


 グレッグは彼の振る舞いに多少の苛立ちを覚え始めていた。


「じゃあ、もう一度話を整理しよう」


 彼は乱れた白い毛の混じった前髪を軽く指でかき上げ、グレッグの目を釘付けにしているモノクロ写真に写る人物の顔に指を置いた。

 

 グレッグはそのモノクロ写真が、フィスク11の立ち上げ時に撮影された写真であることにようやく気がついたのである。



「ローズ、アンタは過去にフィスク11の団長として王室直属の任務に従事していた」


 

 そんな単純な話ではないと口を挟もうとした彼にブラックは畳みかける。



「そして今、アンタにフィスク11に対するテロ行為と皇太子誘拐の容疑がかかっている」

 

「さっきも聞いたさ。だから一体なぜ俺なんだ?」


 ブラックはテーブルに直立している薬莢をつかみ取り、刻印されている単語を見せた。


 その単語は老眼が始まりかけているグレッグにも明確に見て取ることができた。


『グレッグ・ローズ』


 目を見開くグレッグをよそに、今度は黄土色のファイルを手に取るブラック。


「襲撃されたフィスクの本拠地の周辺には幾つか農家があってな。襲撃犯の顔を目撃したやつも複数いた、どうやら襲撃の数日前から目撃情報があったらしい」



「犯人の似顔絵だ」



 ブラックは一枚の紙を取り出し、写真の横に並べた。


 その顔はモノクロ写真に写る目つきの悪い青年の顔と瓜二つだった。



「襲撃犯はアンタ自身だ。グレッグ・ローズ」



 その言葉を咀嚼するのにグレッグが時間を要したことは言うまでもない。



「しかし、問題なのはそれが"過去のアンタ"だということだ」



 グレッグは大きく深呼吸をした。


 彼は長らく煙草を吸っていなかったが、この時ばかりはあの口元から抜けていく煙のことが恋しくてたまらなかった。



「……とりあえず、腹が減った。コーヒーでもくれないか。"ブラック"でな」



「俺はウェイターじゃないんだ、ローズ」



 ブラックは鼻で笑った。

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