飛び降りようとしていた少女と考える、明日の気晴らし計画

ヘイ

第1話 明日を恐れる彼女と

 

 見慣れた部屋に、普段は居ないはずの女子が一人座ってる。


「……何であんな所に立ってたんだよ」

 

 びしょ濡れの同級生に乾いたタオルを渡す。外は土砂降り。俺は傘を持ってたから特には濡れてない。

 

「…………」

「言いたくないなら別に良いけどよ」

 

 頭に乗せたタオルに反応も示さず、これと言って動く素振りも見せない。何だって家まで連れてきたのかと言われたら、コイツに家の場所を聞いても答えなかったからだ。

 ここまで連れてくるつもりは全くなかった。

 

「何なの……お前」

「お前って、なぁ。俺は八木やぎ啓一けいいちだよ」

「知ってる」

「うん。クラスメイトだもんな」

 

 知らない方が……いや、知ってるのなんて名前くらいのやつだって居るか。現に俺は目の前の黒髪ボブの少女の事を、嶋野しまのみおであるという事くらいしか知ってないし。

 

「コーヒーとか飲むか?」

「……苦いの嫌い」

「よし、嶋野もココアでいいな」

 

 正直俺も苦いのは好きじゃない。

 大人はなんでアレを好んで飲むのか分からない。今のは単純に嶋野はコーヒーを飲むタイプかもしれないと思ってたから。

 

「…………」

 

 俺がココアを作ってる間もずっと静かで、ぼうっとしていて。何をするでもなく。ただ本当にどこを見ているかも、何を考えているかも分からないくらいだ。

 

「ほら」

 

 ココアだぞ、と俺はカップをテーブルに置く。

 

「…………」

 

 黙って見つめて、手に取ろうとしない。

 

「飲め。後、髪も拭け。ドライヤーも貸すから」

 

 このままだと風邪をひいてしまう。

 かと言って、世話焼きなんかをしてセクハラだとか言われるのも困る。

 

「……何なの、お前」

 

 ココアを手に取って、一口含んだ嶋野はポロポロと涙を溢し始める。

 

「…………」

 

 何か思い詰めてるんだろうとは思った。じゃなきゃ橋の上で、今にも死にますって感じにはなってないと思う。

 

「オレ、は……何にもない、のに」

「何にもないってのは?」

 

 俺の確認に「……何も、返せない」とボソリと呟きが返ってくる。教室の喧騒の中では聞き逃すような小声も、今は二人しかいないこの場所では聞き逃す方が難しい。

 

「あのな。俺が見返り目的で人を助ける奴に見えるか?」

「……知らない」

「うん……それはそうだな」

 

 ほぼ初会話の奴に印象もクソもあるかって話だ、よく考えれば。

 

「まあ、見返りに関してはなぁ。今は別に」

 

 欲しいものがある訳でもないし、そんな事を考えてる余裕もなかった。

 

「じゃぁ……」

 

 見殺しにすればよかった、と言う声。

 

「……あのな。俺は誰かが死ぬのを見て見ぬフリできる合理的な人間じゃないの」

 

 勉強すれば良いのに、と言われても中々そうできないタイプの人間なんだから。

 

「それに、俺は嶋野の事を知ってる」

 

 認識してるって程度だけど。それだけでも充分だ。知らない誰かでないから。

 

「……オレは、八木の事」

「良いんだよ、面倒臭い事は! 俺も嶋野もお互い名前は知ってるだろ、クラスメイトなんだから」

 

 嶋野が黙り込んでしまう。

 

「落ち着いたら帰れよ。犯罪だとかで騒がれるのはゴメンだし」

 

 親は居ない。

 別に死んだとかじゃない。

 ここには居ない。俺の一人暮らしだ。親父が「一人暮らしの練習しとけ。マジで苦労するから」と言った為に、こんなことになってる。まあ生活費だとかは出てくれてるから、そこはありがたい。

 

「…………うん」

 

 と、返事をしてから一時間。

 コップを片付けて戻ってきても動く気配がない。

 

「嶋野、まだ帰らないのか?」

「…………」

「あの、嶋野さん。親も心配すると思うんですが」

 

 流石にこれ以上は。

 

「……嫌な事でもあんのかよ」

 

 俺は正面に腰を下ろす。

 

「親に会いたくないとか?」

 

 首を横に振る。

 

「なら、何で」

「……怖い」

 

 俯いて、目も合わせないままにポツリポツリと話し出す。

 

「オレ……聞いちゃったんだよ」

 

 あそこに立っていたのは何年もの付き合いのある友人が自分の悪口を言っているのを聞いてしまって。

 それからギクシャクし始めて。

 目の前で笑って話してる人間が、裏では自分を悪く言っている。それが過って。

 色々と考えてしまって。

 

「明日が来るのが、怖い。帰って、それで今日が終わって……また明日が始まる」

 

 そんな一日のルーティン。決まりきったように進行して、不安が積もっていって嶋野は壊れかけていた。

 それが今日のアレだったんだと俺は理解できた。

 

「ここに居ても経つ時間は変わらないけどな」

「ここは……違う、から」

 

 嶋野の言葉の意味が俺には分からなかった。ただ、直ぐに答えが示される。

 

「ここなら、違う。だって、今日は」

 

 いつもと違ったから。

 

「…………」

 

 俺が助けた事。

 この部屋にいる事。今までと違う一日が彼女に流れてる。少しの精神安定剤。

 

「嶋野はなんか好きな事とかあるか?」

「……何で、いきなり」

 

 俺が良いからと答えを催促すれば。

 

「……食べるのが好き。ご飯を作るのも好き。買い物も、オシャレも」

「じゃあ、明日は買い物行くか。買わなくてもウインドウショッピングって奴だな」

 

 これは俺の思う所だけど。

 

「ちょっとでも楽しみがあれば、その日は乗り切れる気がしてこない?」

 

 俺は嶋野が立ち上がるのを見て、一緒に玄関まで向かう。

 

「……ありがとね、八木」

「気をつけて帰れよ」

 

 これで大丈夫だろう。

 傘も渡した。ずぶ濡れで帰るとか言う事にはならないと思う。いや、もう既に大分濡れてるけど。

 

「ねえ、ここって何処?」

 

 どうにも川にスマホを落としたらしく、この辺りも分からないらしい。

 

「……嶋野の家って」

「言われても分かんないから」

 

 玄関先、手を引かれる。

 俺は慌てて靴を履き、外に出て鍵を閉める。

 

「送ってってよ」

「…………分かりましたと」

 

 断るのも気分じゃないし、俺もまあいっかとなってた。そんな感じだ。

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