春塵(しゅんじん)2人台本 (女2)

サイ

第1話




そよぎ(m):長い箸で白いかけらを掴み、陶器の入れ物へうつす。


そよぎ(m):換気のために開けられた窓からは、微かに風が流れ、手元から白い粉が風とともに飛んでいく。


そよぎ(m):外は桜が咲き始めていた。






そよぎ:…おつかれさまでした。ありがとうございました。


(骨壷を抱えて帰ろうとするそよぎ)


(そこへ駆け寄ってくる女)


いろは:あの、すみません!佐倉さんの葬儀って…。


そよぎ:…どちら様?


いろは:あ、えっと、職場で佐倉さんにご指導していただいていた、卯月と申します。佐倉さんは…。


そよぎ:あら、すみません。ちょうど今しがた、葬儀を終えたばかりでして。


いろは:それは…間に合わず、すみません。


そよぎ:いいのよ。これから家に帰るところなのだけれど、よかったら来られます?お線香、あげていってくださいな。


いろは:そんな…いいんですか。お疲れでしょうに。


そよぎ:せっかく来てくださったんですもの。それに、職場での主人の様子も聞きたいわ。


いろは:…では、お言葉に甘えて。






いろは:おじゃまします。


そよぎ:どうぞ。ちょっと散らかっているけど。


いろは:いえ、お気になさらず…。


そよぎ:お写真とかお骨とか置いてくるから、そちらで座っててくださる?


いろは:わかりました。…失礼します。


(部屋を見回すいろは)


いろは:すごい…綺麗な写真がいっぱい…。海に、繁華街…あ、このお寺、お花で有名なとこ…。


そよぎ:綺麗でしょう。主人がお出かけするのが好きで。週末になるとよく車であちこち行ったの。


いろは:素敵です。この夜景なんて…ため息が出そうです。あ、お線香よろしいですか?


そよぎ:ええ、どうぞ。


(線香を焚き、手を合わせる)


いろは:……。


そよぎ:職場の後輩まで来てくれるなんて、愛されているわね、あなた…。


いろは:(小声で)どうして、こんなことに…。


そよぎ:何か?


いろは:いいえ、なんでも…。


そよぎ:…お茶をいれたから、どうぞ。


いろは:すみません、何から何まで…。




そよぎ:主人、口下手なほうでしょう?変なこと言われたりしなかった?冷たくされなかった?


いろは:いえ、そんな…丁寧に教えてくださる、素敵な先輩でした。


そよぎ:そう…。


いろは:上司に厳しく叱られたとき、励ますためにケーキを買っていただいたこともありました…あのときは本当に、その優しさが嬉しくて…。


そよぎ:まぁ…そんなことも。


いろは:私、先輩の支えがあったからここまでやってこれたのだと思っています。なのに…これからどうしたら。


そよぎ:励ます、ために…。


そよぎ:あの旅行も、励ますためだったのかしら。


いろは:旅行?


そよぎ:行ってたでしょう、1泊2日で。


いろは:……。


そよぎ:私が、何も知らないとでも?


いろは:……。


そよぎ:ご飯にだって、何度も行っているはず。あなたと主人の関係は、職場の先輩後輩以上だって知っているのよ。


いろは:(小声)知らなかったんです…。


いろは:知らなかったんです!結婚していらっしゃるなんて、奥様がいらっしゃるなんて…!不倫関係になると知っていれば、こんなことしなかった…!


そよぎ:本当かしら…。


いろは:ほ、本当です…!信じてください!


そよぎ:…それで、葬儀へはどんな気持ちで来ようと思ったのかしら。


いろは:…奥様がいると知ったのは、先輩が倒れたあとで…ずっと、直接謝ろうと思っていたんです。でも、先輩は、自分の口から奥様に伝えたい、と…。


そよぎ: そんなの…ずるいわ。真実は死人しか知らないじゃない。


そよぎ:それに、伝えたいって何?私と別れようって話?


いろは:それは…。正直先輩がどこまで本気だったのか、私にはわからなくて…。


そよぎ:…あの人は年下の女の子と遊ぶような人じゃないわ。あなたがそそのかしたんじゃなくて…?


いろは:それはないです!最初に近づいてきたのは先輩ですから…信じてもらえないでしょうけど…。


そよぎ:私はあの人のこと信じたいの。信じたいけど…。


いろは:…すみません。


そよぎ:…謝ったって、あの人はもう戻ってこないし、あの人の心も、離れたままなのよ…。


いろは:……。


そよぎ:……。


いろは:…こんな状況で聞くのはどうかとは思うんですけど。


いろは:先輩は、どうしてお亡くなりになったのですか。


そよぎ:「どうして」…?


いろは:えぇ…たしかに先輩は病気で寝たきりでした。もうすっかり弱ってしまって、立つことも辛いとおっしゃっていました。


いろは:しかし、意思の疎通ができるくらいにはお元気でいらっしゃいました。


いろは:どうしてそんな急に…と思ってしまって。


そよぎ:急性の発作よ。周りには見せないようにしていたけど、きっとものすごく辛かったのでしょうね。


いろは:…そうですか。


いろは:…毎日、お見舞いに行ってらっしゃったと聞きました。大変だったでしょう。


そよぎ:愛する主人のためだったもの。主人の心は離れてしまっていたとしても…私は愛していたかったから。


いろは:……。


そよぎ:…でも、このままで良かったのかもしれないわ。主人の口から、他の女を愛しているだなんて…聞きたくないもの。


そよぎ:焼かれて、何もかも灰になった。もうあの人はいないのよ。


そよぎ:神様はきっと、私たちが取り合いの喧嘩をする前に、両成敗してくれたのね…。


いろは:…いいえ、ひとつ…。墓に仕舞い込む前に、確認したいことがあります。


いろは:そよぎさん、私に隠していることがありませんか。




そよぎ:…なんのことかしら。


いろは:発作を起こしたことは、私も病院側から聞きました。


いろは:しかし、おかしな点があったそうです。


そよぎ:…おかしな点。


いろは:そよぎさん、毎日病院にいらしてたんですよね?当然、先輩が息を引き取った、あの日も。


そよぎ:えぇ。


いろは:ずっと、付きっきりだったのですか?


そよぎ:他に行く場所なんてないわ。


いろは:そうですか。


いろは:しかし、にしてはおかしいのです。


いろは:先輩の心肺が止まってからナースコールがあるまで、やけに時間が空いていたような…。


いろは:病院の先生はそうおっしゃっていました。


そよぎ:私が主人の心肺が止まっていると気づいた時は…ちょうどお手洗いから帰ったあとだったわ。


いろは:どちらのお手洗いに?お部屋の前のスペースで見舞いに来ていた人と話をしていたという患者さんは、その時間、誰も人は通らなかったとおっしゃったそうですよ。


そよぎ:…どうして私を疑っているのか知らないけど。主人の病室にもトイレがあったことは、あなただってよく知っているはず。


いろは:だったら、心肺が止まったことにもすぐ気づくでしょう。大きなアラートが鳴り響くはずですから。


いろは:病室内のトイレにいたなら、アラートは聞こえますよね…?


そよぎ:……。


そよぎ:あなたは、私が主人を見殺しにしたって、そう言いたいの?


いろは:…本当のことを教えてください。




そよぎ:…ふ、ふふ。


いろは:……。


そよぎ:……。


そよぎ:火葬場にね、窓があったの。


そよぎ:そこからは、春の暖かな風が吹き込んできて。


そよぎ:主人の灰を舞い上げた。


そよぎ:灰は反対側の窓へ流されて、


そよぎ:咲き始めの桜並木に向かって旅立った。




そよぎ:…あんな浮気男でも、花咲か爺さんの灰くらいにはなれたのかしらね。




そよぎ:私達、これっきりにしましょう。あなただって、不倫した女だと思われたくないでしょう?


そよぎ:不倫していたことが発覚すれば、あなたも私も疑われる。


そよぎ:でも、あなたが黙っていれば、あなたが聞いた状況証拠すらもなかったことになる。


そよぎ:主人は病死した。病気だったのは本当のことなんだから。


そよぎ:あんな男のことはもうすっかり忘れて、お互い前を向いて生きましょう?






いろは(m):結局、私はこのことを誰にも話さなかった。


いろは(m):元はと言えば、私が先輩を好きにならなければ、こんなことにはならなかった。


いろは(m):私が、先輩の薬指を、見て見ぬふりをしてしまったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春塵(しゅんじん)2人台本 (女2) サイ @tailed-tit

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る