第5話
西森の四十九日、あたしはひとりで西森の墓の前にいた。ご家族たちはもうすでに来たあとらしく、花は新しくなりまだ線香の香りが漂っている。あたしも線香に火をつけて、香炉に供える。けれど手を合わせる気は起きず、墓石をじっと見る。西森家の先祖代々の墓なので、そこに西森の名前はなく、横にある墓誌に刻まれていた。
西森の遺骨はここにあるのに、西森は変わらずあたしの夢に二日に一度現れた。
ぶつかり男が階段から落ちてきたとき、西森のことが頭に浮かんだ。あれは西森がやったことで、そしてそれはあたしが彼女に話したからでは、と。課長の件だってそうだ。西森に話したあと、立て続けにあんなことが起こるのはただの偶然なのか、それとも西森がやったことなのか。
ぶつかり男が亡くなったのを知ったのは、次の日だった。新宿駅の階段で人が亡くなった、というのはそこそこの規模のニュースになっていた。西森と会う日だったので、あたしはニュースを見て怖くなっていた。西森が怖いというより、もし本当に西森がやったことだったらどうしよう、と思った。
そんなわけない、だって夢じゃんという考えと、でももしかしたら、本当にそうだったら、という気持ちが交互にやってきた。ホラー映画のような展開に、最後はきっと自分になにか起こるのではと怖くなった。
夢の中の西森はまったく変わらなかった。いつも通り静かで、あたしは切り出すか迷ったが、言わずにはいられなかった。
ぶつかり男が死んだこと、そしてそれは西森がやったことなのか、と彼女に尋ねると、彼女はいつも通りなにも言わなかった。声は届いていて、頷くことはできるはずなのになんの反応もない。
これは夢だ。そうでしょう? そう聞いて、頷いてほしかった。それなのに西森は微動だにしない。
確かめる術はあった。また誰かの愚痴を彼女に言えば、三度目はきっと確証を得られる。けれど同時にそれは、もし考えがあっていたら、誰かを殺してしまうのと同じことになる。
だからそんな勇気はなくて、西森の四十九日まであたしは西森に当たり障りのない話をし続けることしかできなかった。
いっそ忘れてしまいたいけれど、西森はやってくる。あたしがつい口を閉ざしてしまい、沈黙になることも多かったけれど、彼女は変わらずだった。
友達なのでお祓いに行くというのもためらわれるし、いったいどうしたら彼女がいなくなるのかわからなかった。なにが目的なのかもわからない。なにかを待っているような静けさで、四十九日をすぎればいなくなるだろうか、とこうやってお参りに来た。うまくいけばきっと今日の夜、彼女はでてこないはずだ。
「高田ちゃん、来てたんだ」
名前を呼ばれて振り向くと、そこにいたのは彩菜ちゃんだった。一緒に来る約束はしていなかった。昌也から一緒に行くかと連絡は来ていたが、断ったのだ。西森のことを話すのが気まずかったし、ふたりが一緒にいるところを見たくなかった。
「時間ができたから」
「そっか。真子も喜んでるよ」
あたしは一度も呼んだことない西森の名前を、彩菜ちゃんが優しく口にした。西森が喜ぶ? どうだろうか。ならどうして彼女はあたしの夢に出てくるのだろう。
「昌也は?」
「ライター忘れちゃって、今お寺のひとに借りに行ってるんだよね」
「ああ、それならあたしの貸すよ」
ライターではなく百均で買ったチャッカマンだったが、それを取り出して彩菜ちゃんに渡す。彼女は先にあげちゃおうと言って線香に火をつけた。手を合わせた彩菜ちゃんを見て、西森のことを尋ねた。
「ねえ、西森の夢とか、見る?」
「え?」
不思議そうな顔から、あたしだけなのだと察した。西森はあたしに会いに来ている。
いや、なにを言っているんだろう。あれは夢なのだ。あたしが単に狂っているのかもしれない。立っている地面が歪んだ気がして思わず後退った。夢だ。あれは夢なのだ、と深呼吸をする。
「高田ちゃんは、真子の夢見るの?」
「まあ、たまに……」
「そっかあ。真子、高田ちゃんのこと好きだったもんね」
「まあ、一緒に飲んだりしてたしね」
でも、西森が一番好きだったのは彩菜ちゃんなんだよ。そう言ってしまいたかった。けど西森がもしかしたら悪霊のようなものになっているのかもしれないと思うと、この話題は避けたかった。
香炉からあふれる煙を見つめていると、彩菜ちゃんが首を横に振った。
「そうじゃなくて、そういう意味じゃなくてさ。真子は本当に高田ちゃんのこと好きだったよ」
「え?」
彩菜ちゃんの顔を見ると、屈託なく笑いながらもう一度「真子、本当に高田ちゃんを好きだったよ」と繰り返した。その意味をようやく理解して、うろたえる。
「たまにね、話聞いてたんだ。高田ちゃんのこと」
「うそ……」
だって、あたしたちはあの夜失恋した。一緒に落ち込んだ。居酒屋で、ドレスで、最悪の酒を飲んだじゃないか。
「うそじゃないよ。真子はずーっと高田ちゃんのこと好きだったよ」
「でも、西森が好きだったのは……」
言いかけて、口をつぐむ。伝えてどうするんだろう。西森が隠していた恋心をわざわざ知らせてやる必要はないし、彼女はすでに既婚者だ。それにもし、今彩菜ちゃんが言ったことが本当だったら? どちらにせよ、彩菜ちゃんがうそをついているわけではないだろう。うそをつくメリットはないし、意味もない。そもそもそんなうそをつくような子じゃない。
うそをついているのは、西森だ。
でも、どちらがうそなのか。彩菜ちゃんに言ったことか。それともあたしにか。
「またたまにお墓参り来ようよ。夢に出るくらい高田ちゃんに会いたがっているんだから」
西森はあたしに会いに来ている。彩菜ちゃんの話を聞くと、気持ち悪いくらい、すっきりと点と点がつながる気がした。西森があたしを好きだから、夢の中に出てきてくれる。嫌いなやつも消してくれる。辻褄は合うけれど、納得がいかない。それなら西森はこれからずっと、あたしの夢に出続けるのだろうか。
もし、西森が彩菜ちゃんを好きなら? そうだったら、どうなる?
眼の前の彩菜ちゃんを見る。喪服ではないけれど、黒のワンピース。女の子らしい誰からも愛されるような優しい顔立ちが嬉しそうに笑った。あたしの後ろを見て、片手をあげた。
「昌也!」
振り向けば、彩菜ちゃんと同じように手をあげている昌也が見えた。
西森があたしを好きなら、嫌なやつを消してくれる。でも西森が彩菜ちゃんを好きなら、そうだったら、どうなる?
そう。そうか。
あたしは自分の思いつきに、その場に立ち尽くした。彩菜ちゃんが昌也に駆け寄って、その腕に絡みつく。ふたりだけの甘くやさしい日常。そこにあたしと西森が入る隙なんてない。一点の黒いしみのように広がるその気持ちを、あたしも西森も知っているはずだった。
昌也がなにか言ってきて、あたしは曖昧に微笑んだ。
西森のことで頭がいっぱいだった。あたしへのうそか、彩菜ちゃんへのうそか。どちらを選んでもきっと同じ答えなのだ。
過程が見えないのに、目の前に結果だけが現れてしまい、あたしは昌也と彩菜ちゃんをじっと見据えた。少なくともこのふたりを生き残るような主人公にはしない。
そう、今日の夜、きっと西森はやってくる。
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