照継 安芸へ帰還

 韮山城の広間にて座椅子に座った老人が段の上に居る。


 伊勢宗瑞……応仁の乱と今川争乱の混乱期に京の奉公衆を辞して親族の今川家の建て直しをしつつ、与えられた兵力をもって伊豆、相模の2国を有する大大名に成長させた立役者である。


 身1つでの成り上がりだと山陰の尼子経久の方が凄いのだが、未来を知る照継にとって北条の一番の恐ろしさは家中争いが全く無く、分家と本家が常に協力し勢力を拡大し続けたこと、早くから分国法に着手し、四公六民や中抜き(家臣が勝手に税収をいじり、私服を肥やすこと 毛利だと井上がやっていたこと)の廃絶、難攻不落の名城かつ伊勢家本拠地小田原城の拡張等々功績を挙げればキリがない。


 なお一番凄いのは文官の整備であり北条亡き後徳川にノウハウが吸収され天下統一の原動力になったことは周知の事実であろう。


 照継は前世では北条家のファンであり、現世では毛利元就という生涯を仕えるべき主を見つけていたので靡かないが、関東の覇者の創設者の話を聞いてみたくまだ宗瑞が存命中の今だから元就の許可を得て旅に出たのだ。


「鬼を従えし猛者か。老いぼれのワシの話を聞きたいと菊寿丸に言ったそうだが?」


「はい、応仁の乱の生き証人であり、軍略知略、そして民を愛する宗瑞殿と一度話してみたく安芸国から参った次第」


「安芸とな。ずいぶんと遠くから来たな。多くの国を見てきたであろう」


「はい、多くの国を通って参りましたが、民が生き生きとしているのはこの国が一番かと」


「ホッホッホッ、そうじゃろ。民が有っての武士じゃ。守るべきは民、応仁の乱以降それを忘れた者がいかに多い事か……ワシが伊豆や相模を押さえたのも民を守る一心からよ」


「か、感銘いたしまする!」


 プロ選手に会えた少年の様に憧れであった人物と話せるだけで照継にとって至高の一時である。


「宮永照継……宮の字があるということは宮司の一族か?」


「お恥ずかしながら応仁の乱の混乱で足軽から武士になった者であり、遡れるのは私から数えて3代まで、それまでは村の持ち回りの村長をしていたただの農民でございました。父の代にて足軽大将と100石の知行を貰い受け、私の代で毛利家分家の馬衆になった次第でございます」


「馬衆とな!? 100をもの鬼を従える豪の者が馬衆とは……勿体無い」


「いえ、主である分家の毛利元就様は本家の棟梁がまだ齢4歳であるため後見人の地位に居られるお方、私が鬼を多く従えたのは元就様に知行を返納し、伊勢宗瑞殿にお会いするための旅をしている道中でございまするゆえに仕方がないことかと」


「そうであったか……ワシに会うために知行を返納とな! ……1武士として誇りに思うぞ。どれ、ワシの倅達や家臣らはお主の旅の話を聞きたくてウズウズしておる。ワシも年甲斐もなく興奮しておる! お主の話を関東武者の我らに聞かせておくれや」


「は!」


 照継はまず主である元就や志道広良、杉の方と仲間の妖怪達の話をし、孤児を拾い教育を施し文官にした話、商いの話、妖怪と交わった話、安芸武田を討ち取った話、旅をはじめて直ぐに黄泉の国に行きイザナミ様と会合し、イザナミの分霊である美命を妻として貰い受けた話、金屋子神を仲間に加えた話、京の情勢や風景の話、鬼の棟梁と一夜殴り合いをした話、河童と相撲をした話を次々と話していった。


 宗瑞から質問が時折飛び、イザナミから貰ったブドウの種の入った袋を見せたり、河童の軟膏、金屋子神本人から鍛冶屋を女がしてはいけないとは語ったことはない(本人が女神なのでそれだと自分もダメであろう)とか、陰陽師達から道中退治した妖怪達の話を語った。


 家臣達はその場に神が居ることに驚き、金屋子神に鍛冶場を貸すから1つ刀を打って欲しいと頼まれ数名の家臣を引き連れて離席する場面や、河童の秘薬である軟膏を怪我をし腰を痛めていたていた者に塗りつけると痛みが取れ、大喜びし、それに多くの家臣達が驚いたり感心していた。


 そのまま宴となり、城内に配下の鬼を招き入れ、相撲大会が開かれたり、金屋子神が打った大太刀が完成し、美しい湾れ刃と呼ばれる刃文と曲線美を兼ね備えた神が打った刀に一同興奮が隠せない。


 照継は宗瑞に今度は分国法や家族円満の方法、応仁の乱の混乱や国取り物語を質問し、最後は税や農法についても語り合った。


 宗瑞が残した書物にこの日の事を


『神より賜り物、家宝とする大太刀が三笠を与えられる』


『神や鬼を束ねる器の者現れたる。一族に召し使えとうござったが、既に主を見つけていたる。その者宮永照継、毛利元就という主は飛龍のごとき将器と呂布のごとき武、民を愛する慈愛の心を持つ者を召すに値する器、大国の主足りうるのだろう』


『黄泉へと近づき肉体のところに黄泉へ行き帰還した照継の話を聞き、儂も黄泉から舞い戻り北条を見守りたく候』


『これ程生きてきた中で楽しく興奮した日は無い』


 と照継を絶賛した。


 照継は1ヵ月伊豆に滞在した後に北条より水軍を出してくれたので同盟関係の有る今川領の遠江の港まで行くことができ、そこから尾張、美濃、近江、京までは一緒でそこから堺に寄り道をした。


 堺、日明貿易の中継地であり、京に近いこともあり、富の集まる場所になっていた。


 更に京から程よく離れていたこと、商人の大切さを理解している大内氏の尽力により堺は自治を許されており、それにより蓄えた富を船の改良や航路の開拓に使われており、東南アジアとも貿易を行っていた。


 ただ一番大きい利益は日明の勘合貿易であり、なぜ莫大な利益が出るのかというとこの頃の明はまだ元気で中華思想の絶頂期でもあったため貿易を朝貢貿易という特殊な貿易形態しか認めていなかった。


 この朝貢貿易というのは中華が一番偉いから気前よく品を下与する代わりに臣従しろよというもので応じれば中華の勢力圏に組み込まれる代わりに持ち込んだ品の5~10倍の貿易品を持ち帰る事ができた。


 この日明貿易にはこんな話がある。


 日ノ本で10貫分の銅を中華に持ち込んだら50貫分の絹が買えた、それを日本に持ち帰ったら250貫で売れた……最初の25倍の利益である。


 基本貧乏の室町幕府が三代将軍の足利義満の時代に金閣寺という金がめちゃくちゃかかる寺を建てられる資金力があったのもこの日明貿易があったからである。


 ただ武士としてのプライドを投げ出すのと同じなのでプライドの塊の武士達がそれを良しとすることはせずに度々貿易停止を繰り返していたのだが、大内氏が応仁の乱唯一の勝ち組といわれるのは幕府が機能しなくなったこの日明貿易を密貿易として継承することができたからであり、大内氏は倭寇と呼ばれる海賊集団を取り締まることで中華に貿易継続を認めさせることに成功する。


 ただ密貿易を続けるのも困るから正規貿易をしたいな~と思っていたら将軍が逃げ込んできたので将軍を復権させる代わりに勘合貿易の権利を譲ってくださいというのが大内が中国地方連合軍で上京した理由で細川氏の邪魔が入ったため京に長く居座る羽目になったが目的を達成して勘合貿易を大内氏の特権にすることに成功する。


 正式に貿易が出きるようになった大内氏の資金力というか国力ってどれくらいなのというの疑問が出てくると思う。


 第三次織田包囲網の織田家と同じくらいもしくはそれ以上の資金力を有していた。


 おいおい流石に盛り過ぎだろうというかもしれないがまず大内氏は中国地方4国だけでなく北九州2国を有する超巨大大名であり、世界の3分の1の銀を排出している石見銀山(灰吹き法というチート技術導入前だけど100万石分の銀を排出)を勢力下に置いている。


 更に山口文化と呼ばれる応仁の乱で逃れてきた貴族や職人達が文化レベルを跳ね上げておりそこから産み出される工芸品は貿易の主力商品。


 更に堺と並ぶ交易の中心地博多(後年に何度も焼かれて衰退するがこの時期は堺よりも栄えている)をガッツリ支配しているので日明貿易だけでも石高計算で500万石以上の利益を出していた。


 500万石ってどれくらい? 関東全域を支配した徳川家が250万石です。


 関東2つ分……更にえぐいのが南北朝や応仁の乱と乱世が続いたことで清酒同様銭を作る能力を日ノ本全体が喪失しており、銭=明からの輸入品に頼っていた。


 つまり大内氏は幕府でもないのに銭の供給量の調整が可能なのである。


 中央銀行を持つ地方政権と言えば良いか。


 大内氏凄いですよーって話をしてきたが、動員兵力は4万人程であり、信長みたいに職業軍人にしなかったので兵力は国力の割にはといった感じでまだ周りが対抗できる余力を持っていた。


 もし大内氏に信長みたいな先進性の塊とそれを支える先進的な家臣団がいればたぶん10年かからず天下統一できる。


 閑話休題


 まあ博多には劣るが栄えている堺に到着し、産業都市で大きな商船が並び、東南アジアや中華からもたらされた珍しい物が並ぶ並ぶ。


 特に香辛料と砂糖が大量に輸入されている。


 香辛料も輸入品なのでそこそこの値段がするが購入したり、嫁達に簪や着物を購入。


 他に良いものはないかな~と物色していると紫色の芋が捨て値で籠に売られていた。


「お、おっちゃんこの芋あるだけくれ!」


「あ、ああ、10籠分あるが売れなくて困っていたんだ。1貫で良いぞ」


「買った!」


 フィリピン経由で届いたらしい薩摩芋を購入。


 品種改良が進んでいないため現代みたいな凄く甘い芋ではないが、生命力、繁殖能力はピカ一であり、更に酒の原料にもなる。


 照継は大喜びで鬼達に芋を紹介したが半信半疑。


 ただ豆狸の鶴亀は興味を示していた。


 流石に豪商と呼ばれる人達には繋がりを持つことはできなかったので中堅商人達と商談や関東の伊勢家は安定していて商売しやすいとかの話をしたり、毛利家の売り込みもしておいた。


 ちなみに商人達からすると毛利家は海を持っていないので商売がやりにくいが椎茸と蜂蜜がよく売られる秘境扱いであった。


 悲しみ。


 大量に買い物し、堺から船で厳島まで渡り、厳島から陸路で毛利領に戻った照継一行は9月に到着し約1年ちょっとの旅を終えるのだった。








「ずいぶんと大所帯で戻ってきたな照継、何で1人で旅しに出したら160名近くで戻ってくるんだよ」


「成り行き……ですかね」


「成り行きか、相変わらずのうつけぶりだな。で、どんな旅をしてきたんだ」


「はい!」


 志道広良を含めて主と家来、志道広良は執政という毛利家の筆頭家臣だから良いとしても、馬衆という比較的低い身分である照継と鍋を囲んで同じ釜の飯を食べるという待遇は異例中の異例であるが、照継が元就があばら家住み時代に幾度と無くこうして3人で飯を囲んだ仲であるため許されていた。


 元就にとって志道広良が師であり杉の方が母であれば照継は兄であり友であった。


 そんな照継から出るわ出るわ旅での仰天エピソード


 元就は頭を抱え、広良はゲラゲラと大笑い。


「誰もが知る様な神の妻を増やし、鬼を家臣に加えるとかどんだけだよ」


「伊豆の風雲児から飛龍と称されたのは面白いですな! それを従える元就様の格が上がるのもまた良い」


「広良、笑い事じゃないぞ。黄泉だぞ黄泉」


「良いじゃないですか神をもなし得なかった黄泉から妻を連れて帰ってきたのです! 更にイザナギの残したブドウの種とは食べてみたいですな」


「金屋子神もそうだ。鍛冶の神だぞ。よく連れてきたな」


「尼子の鍛冶屋に嫌がらせを受けていたらしくてね」


「トドメに鬼の百鬼夜行超えをやりやがって」


「伊豆の町はさぞ愉快なことになったのでしょう」


 報告を終えると1年で毛利がどうなったかを今度は語られた。


 まず元就様の婚姻が決まり、来年の1月頃に輿入れが決まっていた。


 この婚姻をもって尼子への鞍替えを行うとのこと。


 他には尼子経久が元就を見にこの領地に訪れ、嫡子尼子政久の右腕として才を振るえと言ってきたとのこと。


 まず国主自ら弱小国人である毛利の更に分家である元就の元を訪ねるなどお忍びとはいえ異例中の異例であり、更に嫡子の右腕に抜擢するなど毛利家に安芸国を任せるのと同じである。


 ただ元就達はまだ知らなかったがこの時尼子の嫡子、尼子政久は城攻めの最中に流れ矢を受けて亡くなっており、経久が描いた文武共に花があると称された政久と知略の元就を両軸とし、足りない武力は尼子最強軍団率いる次男尼子国久(その才経久を優に超えると言われるほどの尼子最強の武将)、補佐を三男塩冶興久にさせてという構想が崩壊しており、尼子経久は方軸となった毛利元就の排除を画策しているなど知る由もなかった。







 毛利家に戻った照継は鬼を従えたと知ると重臣達からも武人として一目置かれるようになり、神を従えたことで知行の代わりに役職と神主、神社を建てること、新たに開墾した土地の領有が許され、毛利家本城である吉田郡山城と多治比猿掛城の間に宮永神社を年内に建築。


 水を井戸に頼らなければならず、交通の便も悪く、田畑にも向かない山の中の土地であり、それを知行代わりに貰ったのだった。


 母親は先祖代々の土地を返納した照継を怒ったが、気にもしないで神主を兼任しながら毛利家の為に行動を開始。


 まず美命と交わることで国産みの儀式を行い、10日かけて孕ませ、異界を産んだ。


 中国で楽園を意味する桃源郷からもじり、東源郷(東=日本にある理想郷)とし、郷の整備を始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チート一族になりたくて 星野林 @yukkurireisa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ