Ⅵ 勝手に終わらせんな。

第26話

 あれから、奥宮おくみや先輩と話せていない。




 その日の放課後、僕は屋上にいた。何をするわけでもない。ただ、風にあたりながら向かいの校舎を眺める。


 ぼーっとする。そのつもり。そのハズなのに、いつのまにか奥宮おくみや先輩の姿を探していた。まずは、1-Dの教室。ただ、角度的によく見えないから諦めて、図書室に目を向ける。居るとすれば、交換日記の定位置なんだけなんて思考を巡らせるが、考えるまでもなくドンピシャの場所に座っているものだから、思わず顔がニヤけてしまう。


 けれど、すぐに僕はそんな自分が嫌になる。



「……はぁ。なにやってんだよ。これじゃあ、ただのストーカーだ」



 額をフェンスに当てる。


 聞こえてくるのは、部活の音。グラウンドで甲高く響く金属音。ホイッスル。そこに体育館からの音も聞こえて来る。それから、下手くそなサックスの音も。時折、破裂音にも似た音が響いて来るが、それは霞的かすみまとを射る弓道部のものだろう。


 色んな音が混じり合う空間にあって、それらを展望しているようで、一種の優越感を味わう。


 けれど、そこに自分の音はない。図書室にも、グラウンドにも、体育館にも、教室にも、廊下にも、僕の姿はない。僕のいない学校。僕のいない世界。それが、歴然として目の前にある。そう意識した時、目の前のフェンスは忽ち檻に変わってしまう。


 ここは天代あましろ鈴音りんねという動物を閉じ込めるための、少し広めのケージだった。風通しが良くて、日当たりもいいが、ただ「日常」を見つめることしかできない。手を伸ばしたところで、到底届かない。――奥宮おくみや先輩はこちらに気付くこともない。当然だ。彼の「日常」のなかに僕はいない。


 ゴールデンウィークが明け、生徒会室の前には「学園祭まで三十日!」の看板が出現していた。生徒会室への人の出入りはこれからますます増えていくだろう。それはやがて周りに波及して、あたりは学園祭の色に染まっていくだろう。放課後に聞こえる音も、合唱練習や演劇練習に変わり、奥宮おくみや先輩も図書室ではなく、1-Dの教室でクラスの出し物の準備を手伝うことだろう。当日も、友人たちと楽しむのだろう。


 けれども、そこに僕はいるのだろうか?



「なーにしてんの?」



 不意に、背後から声が聞こえた。


 凪咲なぎさ先輩だ、と思う間もなく、頬をツンツンされる。その手を振り払うが、お調子者の彼女は、相変わらずニシシと笑みを返す。ただ、いつもと違ったのは、凪咲なぎさ先輩が袴姿なこと。そう言えば、この人は弓道部に所属していたんだったなと思い出しては、さっき射場から響いて来た音は、凪咲なぎさ先輩が的を射た音だったのだろうかと妄想する。


 そんなことをしているうちに、凪咲なぎさ先輩は、僕が先ほど何を見ていたのか気が付いたようだ。手で日よけを作りながら、「おっ、奥宮おくみやくん発見~」と報告してくれた。



「いやー、めっきり寂しくなっちゃったねー。またみんなで〈アストラル・クレスト〉やれる日は来るんかなぁ……」

「……」



 僕は顔を伏せながら、中庭に目をやる。そこには、公安の姿。いいや、中庭だけではない。根雨ねうの話によれば、いまこの学園には十数人の公安が配備されていると言う。そのなかには月雲つくも奏人かなめ朱墨あけすみ燎莉かがりの姿もある。混乱を避けるために、幻術で姿を隠しているようだが――全部、僕を見張るためだ。



「にしても、やることエグいよねー。週刊誌に『〈アストラル・クレスト〉は救済RI合党Pと共謀してる』みたいなゴシップまで書かせて、活動停止に追い込むなんてさー。ごめんね、うちのバカ義兄貴あにきが」



 週刊誌の報道は、奏人かなめ燎莉かがりに襲われた次の日におこなわれた。内容は、〈アストラル・クレスト〉と国際テロ組織の救済RI合党Pが裏で繋がっているというものだ。本当に馬鹿馬鹿しい内容。だから当然、名誉棄損で訴えようとしたが、週刊誌の方も「情報源は公安」であるとして強気だった。


 反応したのは世論だ。最初こそ、決定的な証拠を出さない週刊誌に疑問の声が寄せられたが、天代あましろ財閥に恨みや妬みを持つ人間も多い。〈アストラル・クレスト〉もまた天代あましろの傘下だと知った人々が、陥れるチャンスだとここぞとばかりに悪評やあることないことをバラまき始めた。そうなると、世論は逆転。株価も暴落し、さらに〈アストラル・クレスト〉は営業停止を迫られることになった。


 なんでそんなことを?


 誰もが思った疑問。それにいち早く気が付いていたのは、風花ふうか先輩だった。



「いや……。もう何を恨めばいいのかさえ分からないよ」



 ヒントは、あの日におこなわれた首相の声明のなかにあった。その主な内容は三つ。一つ目は、事故の原因究明に向け速やかに調査委員会を立ち上げること。二つ目は、各国・関係機関と連携しながら、事故被害者の遺体の回収をおこなうこと。三つ目は、宇宙ホテルを衛星軌道上から退去させるために適切な処置を速やかに実施するとのものだ。ここから、〈アストラル・クレスト〉は三つ目を担当すればいいと、それしか見えていなかった。


 見方を変える必要があった。


 一つ目を担当するのが公安だ。だが、彼らからすれば三つ目をやられては困る。だって、現場を調査する前に、現場を掃除されてしまうのだ。場合によっては、現場自体を消してしまいかねない。そうなると調査どころではない。仕事泥棒もいいところだ。


 しかも、奏人かなめ燎莉かがりがいるのは警視庁警備局宇宙テロリズム対策課。国の機関とはいえ、一つの課が宇宙にアクセスできる方法など限られている。他方で、相手はデブリ除去を生業にし、それなりに実績もある〈アストラル・クレスト〉。宇宙活動のプロフェッショナルだ。手をこまねいているうちに、片づけられてしまう。焦ったに違いない。


 だから、宇宙ホテル事故には、事件性があると判断を下した。それにもかかわらず、早々に宇宙ホテルを衛星軌道上から除去しようとするのは、なにかを隠蔽しようとしているからに違いない――そんなロジックを作り上げた。〈アストラル・クレスト〉は、裏で救済RI合党Pと共謀していて宇宙犯罪を隠蔽しているとでっち上げ、週刊誌には状況証拠だけを提示する。すべては、調査委員会立ち上げまでの時間稼ぎをするため。自分たちが出遅れないようにするためだ。


 なんとしてでも、〈アストラル・クレスト〉を表舞台から葬りたい意図が見え見えだと風花ふうか先輩は呆れていた。要するに公安は、僕を疑っているというより、僕たちの足を引っ張りたかっただけなのだ。



「ゴシップで済めばいいけどね。外堀から埋めて、事実関係すら書き換えるつもりだ。……いっそのこと、嘘から出たまことにしてしまおうかな」

「おっ? じゃあ、いっちょ国家転覆しちゃう?」



 ピクニックかなにかと同じノリで提案されるものだから、大きな溜息が出る。が、吐き出してみれば、それもアリかなと思えてしまう自分もいる。おまけに、頭のなかではが「とっくの昔に、この国には愛想が尽きてるんだろう?」と呟いている。やろうと思えば、やれるかもしれないし、凪咲なぎさ先輩なら本気で付き合ってくれるかもしれない。何しろ、僕の馬鹿みたいな予言を信じて、〈アストラル・クレスト〉の立ち上げから、なにかと手伝ってくれた人だ。


 しかし、それ以上に、罪悪感が勝る。


 僕が先輩を巻き込んでしまった。公安の監視の目は、僕だけに向けられているものではない。図書室に向かって手を振る凪咲なぎさ先輩も、それに気が付いてこちらに目をやる風花ふうか先輩も、いまや僕と同じくだ。奥宮おくみや先輩もそうだ。僕は、僕の身勝手で、「日常」にいた人を巻き込んでしまった。――檻のなかへと引きずり込んでしまったのだ。



「……凪咲なぎさ先輩」

「うん?」

「それはそうと、部活は大丈夫か? 抜けてきたようだけど……」

「休憩時間だから大丈夫よー」

「……」



 射場の方を見ると、なんだか慌ただしい。遠くていまいち聞き取れない部分も多いが、「アイツ、どこ行きやがったァっ!」とか、「探せー! 捜索隊を編成しろ!」とか尋常ではないやり取りがなされている。明らかに、部活中に無断で抜け出した部員をとっちめてやると息巻いている様子だ。


 極めつけは、「凪咲ナギサァーッ!」と部長と思しき人物が怒号を上げているところだった。ならば、凪咲なぎさ先輩のいう「休憩時間」というのは、きっと自分ルールなのだろう。



「僕が思うに……先輩には戻るべき場所があるんじゃない?」

「さぁ? 私は私の行きたい場所に行くだけだよ」

「……」

「ほらっ! 風花ふうかだって……」



 射場の異変に、風花ふうか先輩も気付いたようだ。凪咲なぎさの方を見ては、下の方――射場の方を指さす。



「……どう考えても、『戻れ』と言ってないか?」

「あれはね……えっと……、多分、『物事の本質が現実世界に在る』ことを言いたいんじゃないかな? ほら、似たような仕草を絵画のなかでアリストテレスがやってた」

「なら、君はソクラテスか? 生憎、ここはイデア界じゃないんだが?」

「そうだね。ひょっとしたら、洞窟のなかかも」



 半分冗談で言ったのだろう。


 けれども、凪咲なぎさ先輩の言葉は言い得て妙だった。言い返す言葉が見つけられずにいると、凪咲なぎさ先輩は「ねぇ」と語り掛ける。



「なんで、奥宮おくみやくんだったの?」

「……」



 気になった人だったから。なんて、ありきたりな答えを返しそうになって、僕は言葉を飲み込んだ。凪咲なぎさ先輩を前に誤魔化しはきかない。だから、ちゃんと言葉にしなきゃと思った。


 でも、そうしようとすればするほど、言葉が出てこない。そのまま、一秒が過ぎ、二秒が過ぎ……言語化して、言葉を束ねようとすればするほどに、手から流れ落ちてしまうように、消えていく。そして、虚しい時間だけが過ぎる。



「……分らなく……なっちゃいました」



 最後に交換日記を書いてから、もうどれくらい経つだろう。あれから、返事はまだないままだ。


 最初は、僕が奥宮おくみや先輩にしてしまったことが原因なのかと思った。守ってくれたにもかかわらず、お礼よりも先に手が出てしまったこと。どこか自分の力に己惚うぬぼれていて、先輩の気持ちに気が付けなかったこと。振り返れば、たくさん失礼なことをしてしまったと思う。


 けれども奥宮おくみや先輩は、次の日になると。僕が叩いてしまったことは忘れていたし、何があったのかあまり覚えていない様子だった。挙句には、どうして両手を火傷しているのか思い出せないといった様子なものだから、苦笑いを浮かべるしかなかった。黒い炎の使い方を覚えているかと訊けば、「ファンタジーかなにかか?」と首を傾げられ、〈棲脊食念虫ディマーガ〉についての話をすれば「物知りなんだな」と感心される始末だった。


 〈疑倣現写シミュラクラ棲脊食念虫ディマーガ〉は確かに強力な能力を保持している。だが、代償に求めるのは宿主の記憶。バスケでのフェイントのやり方をコピーするくらいなら、その日の昼ごはんを忘れるくらいで済みそうだが、燎莉かがりの黒炎をコピーするのは、かなりの記憶を犠牲にするようだった。



 ――で? 朱墨あけすみ燎莉かがりって誰?



 本気で聞かれたから、困ってしまった。



「ねぇ、凪咲なぎさ先輩」

「んー?」

「あの人は、僕の知ってる奥宮おくみや先輩なのかな?」



 押し付けられた天代あましろ財閥の後継者としての日々。酷く退屈で、窒息しそうな日々。それを変えてくれたのが、奥宮おくみや先輩との交換日記だった。最初は、退屈しのぎの気晴らし程度に考えていたが、気がつけば、他人ひとには話せない悩みも打ち明けるようになっていた。


 奥宮おくみや先輩は、いつも真摯に向き合ってくれた。宇宙に興味を持ってくれたのだって、僕の話に付き合うためだ。だから、僕も奥宮おくみや先輩のことが知りたくなった。


 ところが、知れば知るほど不思議な人だった。すごく優しいのに、冷酷にもなれる。共感能力が高いのに、酷く鈍感。物覚えがいいのに、忘れっぽい。まるで、捉えどころがない。


 極め付けは、占おうとしても、いつも未来が見えたことだ。まるで二人いるような不思議な光景。味わったことのない感覚は、たちまち僕を虜にしてしまった。


 けれど……。


 いまはそれが、なんだか怖い。



奥宮おくみや先輩は、大切な人のためなら、大量殺戮兵器になれてしまう気がする」



 僕はポケットのなかのタロットカードを握りしめる。襲撃を受けて以来、未来が見えなくなってしまった。僕の異能力が失われたというわけではない。カードを引いても矛盾する結果ばかり。


 未来の光景が、収束しない。







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