捻くれ少女の皮肉は、宇宙を掃く

げこげこ天秤

Ⅰ ようこそ、アストラル・クレストへ。

第1話

「これなーんだ?」



 俺は戦慄した。

 高々と掲げられたのはセピア色のノート。

 訪れた沈黙に、心臓の鼓動が止まる。

 



 授業が中断したのは、不敵な笑みを浮かべる少女の闖入のせいだった。昼下がりのこと。挑発的なタレ目のセーラー服少女の訪問に、誰もが唖然とする。


 どうして、中等部生がここに? 彼女が持つノートは何なのか? 何が目的で教室に突入してきたのか? そして、彼女は何者なのか?



天代あましろさん……? 一体何のつもり……?」



 疑問符に埋め尽くされた教室にあって、最初に口を開いたのは教師だった。戸惑いつつも発せられた「天代あましろ」の名に、クラスメイトたちはお互いに顔を見合わせたりし始める。



 ――コイツが天代あましろ鈴音りんね



 そんな驚きの声が、教室内から聞こえてきそうだったし、一部では小さく口にしていた人もいたかもしれない。

 

 この波ノ万江なみのまえ学園の中等部に、天代あましろ財閥の令嬢が在学していることは、高等部の俺たちにとっても周知の事実だった。だから、天代あましろ鈴音りんねの名前は知れ渡っていたが、基本的には中等部と高等部の間の交流はない。俺も名前は知っていても、顔を見るのは初めてだった。それに特段、彼女に興味があったわけでもない。画面のなかにいるような遠い世界の存在。ただ、令嬢というくらいだから、きっと育ちの良さそうな雰囲気の子なのだろう――


 ――なんて考えは、一瞬で消え去った。


 艶があるのにどこかボサボサなセミロング。中性的で人を食ったような声色。そして、小柄なのに逆に見下ろされているかのような気分にさせられる視線。彼女は、まるで先生など見えていないかのように、手にするノートを気の赴くままにひらひらさせては、悪魔のような笑みを俺に向けていた。



「君に訊いてるんだよ、親愛なる奥宮おくみや先輩」

「……ッ」

「まったく、駄目じゃないか。公共の場である図書室の本棚に私物を置いちゃあ。しかし、お洒落なノートだね。――おや、だんまりかな? それなら、どれ。何が書いてあるのか、拝見するとしよう」

「やめ……」



 ペラリと、嫌な音が響く。



「『一月二十四日。はじめまして。本名は明かせませんが、俺のことは気軽にと呼んでください。これから日記を綴ろうと思います――』。ほほう、これは交換日記というやつかな? このご時世にアナログとはいい趣味をしてるじゃないか」

「ばk……ッ、なに読み上げて――」



 教室内の視線が俺に集まる。


 最初のうちは、反射的なもの。しかし、読み上げられた内容を理解するにつれて、周囲の視線は奇怪なものを見る目に変わる。それはまさに、俺――奥宮おくみや日向ひなたの明日からのあだ名が「コスモス」に変わっていく時間だった。



「で、この最初の日記のお返事が……。おっと、あるじゃないか。どれどれ〜? ……ふふふ、結構な量が書いてあるんだな。一年ぐらいと日記を書き合う子がいるなんて、物好きもいたものだ。そうは思わないかな、奥宮おくみや先輩」

「……」



 ニマニマとする鈴音りんね。対して、俺は視線を逸らして、なるべく遠くを見つめる。咄嗟にとった、無関係ですよを示すための無駄な足掻き。今更シラを切り通せるとは思えないが、そうする以外に方法はなかった。



 ――どうしてこんなことに!



 内心、先ほどと打って変わって、心臓は暴れっぱなしだ。


 恨むべきは、二年前の自分。

 中等部二年だった頃の自分だ。


 何を思ったのか、誰も目を向けないような図書室の禁書コーナーに、交換ノートを置いてしまったのが全ての始まり。最初のうちは、当然返事は来ず、そのうち俺も存在自体忘れていた。けれど、一年越しに回収のために訪れた俺を待っていたのは、無いハズの返信だ。そこから、続けざるを得なくなって――そして運悪く天代あましろ鈴音りんねに見られてしまったらしい。


 と。


 そこで見かねた教師が、コホンと咳払いをした。



「あのだね、天代あましろさん。いまは授業中なんだ。出ていってもらえるかな?」



 俺にとってはこれ以上にない助け舟だった。


 珍事に呆気に取られていた教師の常泉じょうせん史敦ふみあつだったが、ようやく状況を飲み込めたようで、授業を妨害されたことに語気を強めはじめる。


 ところが、鈴音りんねには全く詫び入れる様子が無い。それどころか「ふふん」と鼻で笑いながら身を翻すと、俺に挑発的な視線を投げた。



「ああ、出ていくとも。だが、これはスクープだ。早速、放送室へ向かい、全校放送するとしよう」

「!」

「では、失礼」



 鈴音りんねは、そのまま教室を飛び出すと、スキップをするかのように去っていく。



「ま、待てッ!」

 


 このままでは、誰とも分からない相手に、内面を曝け出し続けた一年間が、全校放送で音読されてしまう。そんなことをされては、死んだも同然だ。


 ガタンと椅子の倒れる音を背に、俺は駆け出す。

 廊下に響く常泉じょうせんの制止の声。

 そんなもの、構っている場合ではなかった。




 *****




「もう少し追いかけっこしたかったのだが、こんなにも早く追いつくとは。流石はバスケ部だ」



 ――められた。


 

 鈴音りんねが向かったのは、放送室ではなく校門。きっと、俺をくために遠回りをしているのだろうと、深追いしたところで、相手が一人ではないと悟る。


 風が吹きこみ、桜色に包まれる視界。セーラー服の人影を追って、飛び込んだベールの向こう側。そこで俺の目に飛び込んできたのは、黒いスーツに身を包んだ複数の男女だ。その誰もが、緊張感と威圧感を放っている。その傍には、黒の高級車も停まっており、彼ら彼女らが天代あましろ鈴音りんね専属の警護人であることは察しがついた。



「……ッ」



 身構える俺。そんな俺を嘲笑うかのように、鈴音りんねは春風に髪をなびかせながら、セピア色のノートをひらひらさせる。


 強面の黒服たちは精鋭たち。だが、そんな黒服たちがモブに思えてしまうほどに、鈴音りんねは悠然と構えていた。タレ目から覗く瞳は、獰猛な爬虫類のようでいて、その奥にシリウスの光を宿している。そして、穏やかなのに、どこか邪悪さを感じさせる表情は、さながら底意地の悪い敵役ヴィランのようだった。



「なんのつもりだ! それを返せ!」

「そう怒るなよ、奥宮おくみや先輩。用が済んだら、もちろん返すとも」

「なんのつもりだ!」

「なぁに、君を退屈から連れ出すだけさ」



 交換日記の最新のページを見て、ほくそ笑む鈴音りんね。一番最後に返事を書いたのは俺だ。俺は顔が熱くなるのを感じ、ノートを取り上げようと詰め寄る。



 差し込む陽光。

 舞い上がる桜。

 そして、鈴音りんねの手が差し出される。



「さぁて行こうか。いまから宇宙へ」







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