箱と選択肢
草場そう
箱と選択肢
「その箱を開けるのかい?それとも……」
うわっ、と突然横から現れた声に驚き僕は久しぶりに大声を出してしまった。
なにせ普段はたくさん喋る人間ではないから自分も内心驚いた。こんな声が出せるんだなと正直他人事のように感心してしまった。
いや、そんなことを考える状況ではない。
冷静な判断を促す自分が心の中でセルフツッコミをした。
見知らぬ男に声をかけられたんだ。
なぜという疑問が沸き立つ。そもそもこんな人気の少ない田舎道でわざわざ話しかけるのだ。
不審者と思われたのか。
そういうことなら一理あるかもしれない。だって僕は目の前の冷蔵庫ぐらい大きな箱の前で突っ立っていたのだから。
その箱は観音開き形状で中央の取手に手をかけて引けば、開くことができるだろう。
田んぼや川が近くで流れるいかにも田舎というこの場所で箱は異質な存在感を放っていた。
この男は僕が箱を開けようとしていると考えたのだろうか。
まあ、黙っていては何も始まらないだろう。
「誰ですか、あなた?」
至極当然の疑問を男にぶっきらぼうな声で投げつけた。
「私はただ君が何をしようとするのか気になっただけだよ。興味本位というやつさ」
「質問に答えてください」
「まあまあ、ここで会ったのもなにかの縁だ。ちょっと話を聞いてくれないかい。箱の話さ。箱は何のためにあると思うかい?」
僕の質問に答えずに話を進めようとする長身の男は不思議と強引さを感じなかった。不快感はない。少し話をしただけだけど、理知的な印象を受けた。
だから僕は名も知らない彼の言葉に耳を傾け答えることにした。
「えっと、物を入れるためとかですかね」
「そう。箱とは何かを入れる容器と言ってもいい。つまり重要なのは箱ではなく中身なのだ。例えば君がネット通販で前から欲しがっていた物を購入したとしよう。宅配便でそれが届いたらすぐさま開くだろう。そして中身を受け取ったらその箱の役割はそこでお終いだ」
「まあそうですね」
男の話を聞くと自分の家にある山積みのダンボールをそろそろ片付けないといけないなぁとぼんやり考えた。
最近はもっぱらネット通販に頼りきりの生活を送っていたのだ。
あと部屋の掃除もしないと。汚くてとてもじゃないけど人に見せられない。
偶然だと思うが、男の例え話は僕の生活に身近に感じるほどのものだった。
「では、なぜ君は箱を開けたのかな?」
「どういう意味ですか」
「なに、先程の例え話の続きだよ。宅配便が届いて箱を開けたのはなぜかという問いだね」
「それは受取人に僕の名前が書いてある伝票が貼ってあったからでしょう。加えて通販会社のロゴがある箱と気付いたから開けたとか」
「そうだ。君は箱に身に覚えのある荷物だと判断できたから開けたんだ。箱には中身の情報を示す役割がある。では伝票どころか何も書かれていない小さな箱が玄関先にぽつんと置いてあったら君はどうするのかな?」
「だったら、」
開けない、と反射的に言おうとしたがいったん考えるために、言い切らなかった。
その状況なら気味悪がって開けないと思ったが、まず中身を確かめるために開ける自分も否定できない。
開けずにどこか遠い所に捨てるのも違う気がする。
玄関先に誰が何のために置いたか分からない。分からないままにすることは僕にとってかなりストレスだろう。
とにかく白黒はっきりさせたいのだ。
同時に、僕は日々変わらない穏やかな毎日を暮らしたい。
僕の生活の中に差出人不明の異物を入れ込みたくない。
頭の中が箱で埋め尽くされるなんて考えたくもない。
だから、開けて中身を確かめた上でその後どうするか。中身次第で次の行動を決めるだろう。できればさっさと処理して普段の日常に戻るように僕なら動くはずだ。
そう思考を逡巡させて結論を出した。実際は数秒の間だっただろうが。
「とりあえず中身を確認しますね、僕なら。開けて中身を見ないと気が済みませんから」
「ほう。君はそう選択するんだね。なら君が悩み立ち止まる必要はない。開けたらどうだい?」
そう言うと男は僕の隣にある箱に目線を動かし、片手でどうぞ、とでも言うかのように促した。
僕の隣にある箱に何が入っているのか。
箱というには大きすぎる。大の大人がすっぽり入るほどだ。
もしかしたら何も入っていないかもしれない。
ただ真っ白で明示もない。
極めて異質。
何のためにあるのか。誰のためにあるのか。
箱からは一切想像の余地なく、中身を確かめないとこれ以上の情報は出ないだろう。
だけど僕は迷っていた。箱の中身に興味がないわけではない。
ただ、開けたら開けなかった未来は二度と訪れない。
明らかに得体の知れない白い箱に恐れているのかもしれない。
僕は変わらぬ日常を続けたいのだ。さっきの例え話とは条件が微妙に異なる。
この場所にいるのもたまたま散歩に立ち寄っただけである。僕に直接関係があるわけではない。
「いや、開けるつもりはないですよ」
「……そうか。ならば、最後にひとつ話をしようか。先程の宅配便の例では箱というものは中身を手に入れたら用済みだと言ったがね。中身を手に入れるではなく、保管目的なら話は変わる。絶対に中の物が傷ついたり汚れたりしないように、あるいは中身そのものを隠し通すために鍵をかけて閉じ込めるという用途もあるだろうね。その箱は開けたら用済みの箱かな。それとも保管するために必要な大切な箱なのか。ハハハ、どっちだろうね」
男は気味の悪い笑みを浮かべ饒舌に語る。
蛇みたいだ。話しかけられた当初の優しそうな雰囲気は消え、威圧感と正体の分からない妖怪のようだ。
動けない。僕は蛇に睨まれた蛙といったところか。
奇妙な男は話を続けた。
「私は箱の中身を知っている」
「はあ?」
男は突然真顔になり予想もしなかった言葉を発した。
僕はとっさに素っ頓狂な声を出した。
「その箱の中にはとびきりの非日常を詰め込んだ。開けたら君は間違いなくもう元の生活には戻れない。が、きっと刺激的な毎日を送ることになるだろう、と言ったら開ける気になったかな?」
「もっと具体的に教えてくださいよ。あなたの言葉通りならこれは開けたら用済みの箱で中身が重要な物なんですか?」
「おや、当たらずとも遠からずだね。だけどこれ以上は言えない。箱が目の前にあるだけで君は開けるか開けないかの選択肢を強いられる。ただそれだけのことだ。あとは君自身が決めたまえよ」
なんだこの男は。
奇妙な男を通り越して胡散臭い男に印象が変化した。男の言うことを真に受けるほど僕は純粋ではない。
だけど僕の内から出てくる好奇心を抑えきれずにいた。
本当に男の言うことが正しいのか。気になる。
それでも平穏な日常を失うほどのものだろうか。
ぐるぐると頭の中で考える内に僕はある一つの結論を出した。
「決めた。僕は……」
僕は今日の選択を後悔しない道を選んだ。
箱と選択肢 草場そう @sousou34
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます