第23話
何が起こったのか判らなかった。ただ茫然と目に飛び込んで来る映像を見ていた。
敵は床に座り込んだままの彼女に狙いを定め、もう一度能力を発動させようと腕を突き出した。それでも全く反応しない彼女を見かねて、後ろで呻いていた男に腕を引っ張られ前後が入れ替わる。
「やめろ!彼女を殺すな、ユリア!」
銃口を向けたまま叫ぶ。名前を呼ばれたせいだろうか。一瞬、敵は躊躇ったように見えた。腕を下げて、何かを伝えようと口を開いた瞬間、巨大な食虫植物の形をしたムクロに頭から飲み込まれた。
背後から、その様子を見ていたモニカは思わず口を押える。骨が折れる音と何かが潰れる音が断続的に聞こえた。ムクロの足元に食べきれなかった敵の足がポトリと落ちる。小さな頃に何度もうなされた悪夢を思い出す。人がムクロにまた捕食された。
「立て!今の内に逃げるぞ!」
(お願い、モニカ!早く子供達の元へ!)
子供達という言葉にはっと目が覚める。頷いて、二人は怪物の脇をすり抜けた。
血に濡れた子供の一人は蒼く輝き、段々と透けていく。やがて吉田の腕が光を追いかけるように上がり、力なく地面に落ちた。駆け寄った時には、巧が着ていた衣服と彼が大切に持ち歩いていた巾着しか落ちていなかった。
急いで残っている少年の脈と傷口を確かめる。
意識不明。腹部に銃痕のような穴。専門機器が無いため詳細は不明だが臓器が傷つけられている可能性が有る。急いで出血を止めるために患部を救急ベルトで圧迫した。すぐに搬送、もしくは処置しなければ命に係わる。こんな所では出血コントロールが出来ない。
「ヒーィ、ヒィヒィ!人間共はなんて馬鹿なのだろう。父さんが何故ここで飼われていたのか判っていない。惜しかったねえ。オリジナルは僕たちナンバーズをやっつける細胞を持っていたかも知れないのにね。全てが水の泡だ。アハハハハ。」
「違う。あの子は難病を治すために、ここに居た。馬鹿なこと言わないで。」
モニカの声にムクロはゆっくりと首をもたげる。そして早朝の空へ向かい、おぞましい咆哮を上げた。すると病院の中や研究室の方面に列を成していた変異体が中央病棟の正門へ集まって来る。
あっという間に囲まれてしまった。
「人間風情が僕に反論するなんて許さない。兄弟の獲物だからと見逃してやれば、調子づきやがって。この僕に馬鹿?馬鹿だと?…根拠の無い戯言はよせ!人間ごときの知能で僕を測るな!」
「馬鹿を馬鹿と言って何が悪いのよ!あんたみたいに自分しか見えていない視野の狭い狂った奴は馬鹿で十分じゃない!」
「おい、やめろ。挑発するな。」
スティーブが敵に身体を向けたまま忠告する。しかし自殺行為だと判っていても口が止まらない。
「返してよ。私たちの穏やかな日々を。この子達はね学校に行くことや、外で遊ぶことをどれだけ楽しみにしていたか分かる?患者さん達も同僚も教授も、何故死ななければならなかったの。お願い、返してよ!私の掛け替えのない宝物を!」
涙はかろうじて出なかった。悔しくて唇を噛みしめる。なんだか悲しさを通り越して、ふつふつと怒りが沸いてきた。
「ふふ。良いね、君の表情。多くの感情を一度に表現できる人間の顔はとても素敵だ。だがさっきのヘンゼルには及ばない。ああ、何だろう。この狂おしい感情は。さっきの泣き叫ぶ姿はぞくぞくしたよ。あんなに儚く綺麗なものが、この世界にあるなんて。ああ!僕の力で蘇生させ、もっと残忍に痛めつけて、もう一度殺してみたい。そうしたらこの子はどんな表情を僕に見せてくれるのだろう。」
「この子はまだ死んでいないわよ!馬鹿じゃないの!?」
ムクロは再び気味の悪い笑い方をした。下品なことに笑う度に口から唾液と食べ残しのカスが飛ぶ。
突然周囲の変異体の一部がムクロと同化し始める。その気色の悪い光景を呆然と見ている内に巨大な流動体と化したムクロは笑い声を上げ、頭から三人が居る場所へ突っ込んだ。
今度こそ死んでしまうと思い、スティーブは二人に、モニカは少年に覆い被さった。
しかし覚悟していた衝撃が起こらない。ゆっくりと注意深く目を開けると、正門と中央病棟の中間付近まで移動していた。さっきまで三人が居た出入り口付近にもう一体のムクロが立っている。
施設内で何回も見た輝く透明な壁を出して、新たに出現したムクロは三人を守っていた。
「おっと兄弟。何の真似だい?」
「私の獲物だ。手を出すな。」
「食べない癖に何を…ふふ。そう、そういうことか。お前の偽善ぶりに反吐が出るよ。良いよ。一回、同族殺しをやって見たかったんだ。君の悲鳴は僕を満足させられるかな?」
「やってみなさい。悲鳴を上げるのはどっちか思い知らせてやる。」
頭の中で時間を稼ぐから安全な場所へ逃げてと声がする。だが周囲は変異体に囲まれて、身動きが出来ない。
スティーブにありったけの武器を渡した。そしてモニカは吉田の持って来たリュックを漁り、予備の救急バックを見つけ出す。
やはりあった。スティーブを治療しようとしていた時、道具をどこから見つけてきたのかと思ったが、言いつけ通り、何かあった時の為に持ち歩いていたんだ。
「この子に応急処置をする間、手が離せなくなる。私達を守って。」
「指図するなと言いたいとこだが…。お互い、その道のプロだ。プロの矜持を見せてくれ。」
「言ってくれるじゃない。」
やれる事は限られていた。だが諦めるのは全てを行った後で良い。
救急バックにある小型の端末機を立ち上げ、治療を開始した。
一体、どれくらいの時間が経ったのだろう。一分が一時間にも感じられた。周囲の銃弾や爆発音さえも耳慣れた頃に何とか処置を終えた。
しかし、いくら異能者で自然治癒力があるといっても血を流し過ぎている。この場に治癒能力者か輸血パックがあればと唇を噛みしめる。
これでは少しの時間しか持たない。目前で銃やナイフを振り回している大人ぐらいの体力があれば死なないが、この子には恐らく無理だ。何か次の手を考えないと。
「くそ、銃弾がもうすぐ無くなる。早くその子を連れて離脱しろ!」
背中越しに怒鳴られる。
周囲は血と埃に塗れた怪物達が舌なめずりをして、こちらを見ていた。今、動かそうにも自分一人の力では慎重に運ぶことが出来ない。また無理に運ぼうとしたら傷が開くかもしれない。それに少年は意外と背が高かった。両手が塞がったままで敵の攻撃を掻い潜るのは至難の技だ。
どうすればいい。どうすれば、この子を救える。
「どけや、こらあ!」
八方塞がりで途方に暮れていた時だ。猛々しい怒鳴り声が聞こえた。肌を刺すような恐ろしい殺気を感じた。すると周りを取り囲む敵が突然硬直し、炎を身に纏う男に殴り倒されていった。
「誰だ!?」
スティーブは銃口を下げた。炎の男が作った敵の合間から見慣れない制服の人間が数人こちらへ駆けて来る。
胸と右腕には十二種類のモチーフが描かれた紋章がある。能力者と一般人で組織された警察と同様の権限を持つ特殊警備隊のマークだった。
さっき異研の辺りで誘導音を出していたのは、この人達だったのか。
一人はすぐさまスティーブの援護に回り、あとの二人は吉田の元へ駆け寄った。もう大丈夫ですよと淡く微笑み、治癒能力を発動させる。
その間に炎の男と他二名によって、殆どの変異体が駆除されていく。
いつの間にか正門の前に中背中肉の夫婦が立っていた。制服こそ着ていないが、鳥が描かれた腕章を付けている。
片割れの男性が一歩前へ進む度に、重苦しい緊張感が辺りを漂う。
病院の建物を破壊しながら戦っていたムクロ達は手を止めて、闖入者達を睨みつけた。
「僕の人形さん達を大量に壊したのは君達かい?酷いな、君達には相手を思いやる心って言うのが無いね。自分達のことばかりだ。」
「よう言うわ。お前にも無いやないか。化物共が。」
戦闘時に巨大化して、より気色の悪い姿になったムクロにさえ顔色一つ変えずに言い返した。
銃火器を持った救援部隊が正門から雪崩れ込んで来る。その中には担架を持った人達が居て、少年を運ぶために近寄って来た。
「化物だって?人間はすぐに自分の物差しで万物を測ろうとする。傲慢でなんて悲しい生き物だ。では君達にとって化物らしく恐怖と怨嗟を届けよう。何人、来ても同じことだよ。能力者でさえ関係無い。僕の食欲が満たされるだけなのに。」
救援部隊を誘導し、激を飛ばしていた炎の男が何かを言いかけた。しかし正門で二体のムクロを睨みつけている初老の男性に手で制される。
「やってみ。え?わし等を喰ってみんかい!出来ないものを言うもんじゃないね。全く。そっちのデカいのは、もう制限時間切れや。」
「時間切れ?何の事だい?」
「すっとぼけて。大根役者やな。人間は三十年前からムクロを観測しているわ。お前らが現世界に滞在出来る時間は十六時間。それを過ぎた場合は全能力に制限が掛かる。証言が正しければお前さんが姿を現したのは昨日の十五時頃やないか。今、何時や。え、言うてみい!」
モニカは利き腕の腕時計を見た。現在時刻は午前七時十三分だ。そうか。だからゲームを日が昇るまでと区切っていたのか。
「アハハハ。すごいじゃないか。この場でカマをかけてくるなんて。良いよ、分かった。君に免じて僕はこの舞台から降りるよ。色々と収穫もあったことだしね。今回はなかなか楽しい狩りの時間だった。ヘンゼルに伝えてくれ。次は最高の舞台を用意して、君を僕のコレクションに加えてあげる。それまでお元気でと。」
巨体の足元に黒く大きな穴が開く。ムクロは気味の悪い嘲笑を浮かべ、ゆっくりと穴に吸い込まれていった。
「で、お前はどうする?」
息が出来ないほどの殺気を放ち、炎の男が残ったムクロに問いかける。
「私も興が冷めた。引いてあげる。ただ人間達に一つだけ忠告して置く。そこにいる女医と子供は私の獲物だ。人間が難癖付けて殺しでもしたら、兄弟達より先に人類を滅ぼす。全員を根絶やしにしてやるから。」
殺気をものともせずに言い返すと、モニカの方に目を向けた。お互いの表情からは何も読み取れない。ふと最初に出会った時の悲しい顔をした自分を思い出した。真意は全く分からないけれど、決してモニカ達に危害を加えはしなかった。それどころか、今も何かを危惧して守ってくれようとしている。
いきなり全身から眩い光を放つ。その場にいる全員が腕や手で目を庇った。
数秒後に光が収まると、そこには姿形さえ無くなっている。
「あんた!何で逃がしたのよ!」
正門にいた女性から叱責が飛ぶ。夫の方は、さっきまで敵の前で威圧していたと思えないほど眉を下げて後ろを振り向いた。
「無理でしょうよ。早期救出を目的で組んだチームだもの。戦える人材が少なすぎる。」
「そう。なら、しょうがないわね。そういう事は早く言いなさいよ。」
「はいはい。おお、怖い。」
炎の能力者は屈託のない夫婦の会話を尻目に周囲の人々へ指示を飛ばした。
「何、ぼさっとしている。生存者の救出を急がんかい!」
立っているのもままならない満身創痍のスティーブ。弟と可愛がっていた友達の死を間近で見た上、重症を負った少年。外に救助を呼ぶため命を落とした教授。半壊している中央病棟の出入り口。施設内に未だ残る殺された大勢の人々。
モニカが、この病院が、積み上げてきたもの全てを粉々に壊れて、砕け散ってしまった。
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