第22話


 背中を誰かに押されたような衝撃があった。

 自動ドアを抜けて、外の正門が見えたところだった。バランスを崩し、顔面から地面に突っ込んでしまう。

 正門の方に見慣れない制服を来た人達が集まって、何かを叫んでいる。

 押された瞬間に脇腹が氷で斬られたような感覚を覚えた。そのせいか身体の力が抜けて、立ち上がれない。首だけ動かし、握った手の先を見る。

 巧は眉間から血を流して横たわっていた。驚愕に見開かれた目、半開きになったままの口、頭部から流れて、床に広がり続ける赤い血が瞳に映る。

 数秒間、何一つ理解できなかった。

「巧…?」

 手を解き、近づこうとするが身体が動かない。そこでようやく自分も血濡れになっていることに気が付いた。脇腹から見たこと無いぐらい血が流れている。

遠くでは逃がしてくれた大人達が呆然とこちらを見ているのを目の端で捉えた。

 再び巧に近づくため、腕の力だけで距離を縮める。歯を食いしばり、匍匐前進の要領で近づいた。彼の首に手を当てて何度も脈を探すが見つからない。眼の瞳孔が開いたままだ。心臓の音を聞こうとするが、自身の腕も力が抜けて地面に落ちた。

 視界が歪み、熱いものが頬を伝う。

「嘘やろ。だって外に、ようやく外に出られたのに。」

 青白い頬に手を当てる。

 自分以外に友達がいないと言ったから病棟の待合室まで連れ出そうとしたこともあった。流石に大人達に見つかって二人とも、すごく怒られた。

 臨海学校のお土産を研究室の人から貰った巾着に入れ、時折取り出して嬉しそうにしていたのを知っている。照れ隠しに散々調子に乗って、巧をからかってしまったが大切にして貰えて本当に嬉しかった。

 持ち込んだ端末のカメラでたくさん写真を撮った。最初は笑い方が判らないと言われ、両頬を引っ張っていたら、苛めと勘違いした先生達に叱られたこともある。

 今年のクリスマスに教授が勤務すると聞いて、二人でダンシングサンタを机に置いた。笑うか激怒すると予想していたが、いつもお疲れ様ですと書かれたメモ書きを見て、大号泣された。それを知ったモニカに貴方達は本当に小悪魔ねと笑われたのを覚えている。

 脳裏を過ぎる、一つ一つの思い出が宝物だった。

 もっと一緒に遊びたかった。美味しい食べ物を食べて、馬鹿なことを一緒にして、大人達に怒られて。時々、喧嘩もして。そんな日々がこれからも続くと思っていた。そう、思っていたのに。

「ごめん。ごめんな。堪忍してくれ、巧。」

 あの時、巧を事務室から連れ出さなかった方が良かったのだろうか。それとも変な夢を見たからと言って病院へ来なければ巧も先生も死なないで、今頃は無事に脱出していたかもしれない。

 守りたかった。ただ守りたかっただけなのに。自分はあまりにも無力だった。

 突如、目の前の遺体が青く輝き始めた。そして輝きは粒子となり、空へ溶けていく。

 巧の身体を包む輝きが増すに伴い、だんだんと身体が透けていった。血だまりさえも徐々に無くなってしまう。

(お兄ちゃん。情けない僕の腕をいつも引っ張ってくれて、ありがとう。大好きだよ。)

 頭の中で巧の声が響いた。たまらず行くなと叫ぼうとするが、もう大きな声が出ない。泣き顔なんて誰にも見られたくないのに。顔を上げて早朝の青く澄んだ空を見上げた。どんなに頑張っても嗚咽が止まらない。

 力を振り絞って空へ上る光へ手を伸ばす。

 最後の粒が空へ消えた時、吉田の視界は暗転した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る