第20話


 目の前で首だけは緑色のゼラチン状に変わった迷彩服の男が倒れていた。どうやらスティーブに化けていたようだが傷口が逆だ。医者がさっき処置した場所を覚えていないわけがない。馬鹿にされているのだけは判った。

 すぐに敵の体が再生されるため、何事もなかったように脇を走り抜ける。緊急時に使う近道は全て通った。途中で一体のヒトガタに声を掛けられたが構ってやる暇など無い。最短距離で敵を撒く。

 それでも異研に到着するまでに随分な時間を要してしまった。

(中に二体のヒトガタと人間が一人いる。交戦中みたい。)

「へえ、誰だかしらないけど、やるじゃないの。」

 渡り廊下の先にある研修棟へ繋がる扉が開かなかった。舌打ちをして、少し距離をとる。

「力を貸して、この扉を叩き壊す!」

 言うが早いか掛け声と共に扉へ体当たりをした。それなりに厚い扉なのに三回体当たりをしただけで電子蝶番が飛び、重力に従って床に叩き付けられる。

(えっ…?嘘でしょ。)

 頭の中でドン引きした声が聞こえた。

 うるさいわね。人間やれば、なんだって出来るのよ。胸中で毒づき、安全確認や敵の目視もしないまま、中へ突入した。

 まず目に飛び込んで来たのはスティーブの後ろ姿だ。すぐに手当てした傷の位置を確認する。本物で間違いない。そして次は奥に居る敵二体だ。一体は上半身が溶けて半透明の緑色となっている。もう片方は人間の皮を被ってはいるが右半身が監視室で見たムクロの姿をしていた。どうやら物理操作能力者のようで、空中に浮かぶ縄や椅子が腕の動きと連動している。

 銃を構え、躊躇いなく引き金を弾いた。敵の肩に当たり、一瞬怯む。

「あの子は無事?」

「ああ。先に待ち合わせ場所へ行かせた。君も行け。ここは俺が引き受ける。」

 敵が怒りの咆哮を上げる。もう人語を話す余裕はないようだ。

「指図するなって言ったはずよ。断る。」

「一回ぐらい、こちらの意見も聞いてくれ!」

 敵の能力によって投げられた物を躱していると、いきなり怒鳴られた。音を立てて、部屋の壁や窓が壊れていく。しかしお互いに視線を敵から逸らさない。

「…良い子でしょ。去る者は追わず来る者は拒まず。でも身内と認めたら力が及ぶ限り助けたいと思うみたいなの。勿論、相手の意見を尊重するから、ここには居ないようだけど。」

「何が言いたい。」

「あの悪童達は私の手に負えない。一回、貴方を助けた身としては後味も悪いし。加勢するから脱出するまで手を組まない?」

 部屋から奪って来たマグナムと弾を彼の足元へ滑らせた。これが精一杯の妥協案だ。

「…あの子より君の方がよほど残酷だよ。」

 スティーブは受け取った銃に弾を装填する。渋々だが、了承してくれたようだ。

(モニカ。私なら、あの出来の悪い人形を壊すことが出来る…。けど軍人さんに貴方が異能者だと疑われてしまう。)

「確かに。厄介なことになるわね。」

 面倒なことこの上ないが、スティーブにヒトガタが再生するかも知れないと疑わせつつ、偶然を装って確実に息の根を止めなくてはならないようだ。そんな事ができるのだろうか。

 とりあえず身体を共有している者が異能で作った弾を見えない様に装填する。

「なあ。君の職場は此処なんだろう。液体窒素はあるか?」

「そりゃあ、皮膚の治療や血液の凝固に使うから研究室か診察室のどこかに…」

 そこまで発言して、ようやく相手の意図が分かった。初めてまともに相手の顔を見て、頷く。壁は穴だらけだし、換気を気にする必要は無い。倒せずとも、足止めできる良い手だった。

 薬品の取り扱いには専門の資格が必要なのに。こちらを使い走りさせるとは、こいつとは絶対仲良くできそうにない。

「時間を稼いで。すぐに取って来る。」

「どうぞ。そのまま逃げ出しても構わないからな。」

 舌打ちで返事をして、未だに身体が再生出来ていないヒトガタの脇をすり抜けた。背後で発砲音を聞きながら階下へ急ぐ。

 二階の旧診察室から瓶を一つ抱えて持ち上げた。

(待ってよ!それ、重いでしょう?貴方の身体どうなっているの?)

「黙んなさい!徹夜明けでまともに睡眠をとれていない人間の底力と凶暴性を見せてやる!」

 寝不足で苛立っている。そのせいか来た時と同じ速さで三階へ戻り、どうなっても知らないからねと大声で叫んだ。

 そしてハンマー投げの要領でヒトガタ達の頭上に瓶を投げた。数発の発砲音のあと、瓶が砕け、中身が二体に降り注ぐ。

 白い煙が視界を覆い、雄たけびが上がる。彼女は角部屋へ避難してから二体に向かって更に発砲した。これはモニカの中にいるムクロの仕業だった。

 有機物と反応した液体酸素は数秒後、爆発を起こした。壁と床は粉々に砕け散り、あらゆる破片が驚異的な速さで飛び散る。

 恐る恐る目を開けた。咄嗟に耳に当てた両手を降ろした。自分のいる半径二メートルは何もなかったように床と壁が残っている。だが他は目が当てられないほどだった。夜風で前髪が揺れている。下を覗くと音によって集まった変異体が騒いでいるのが見えた。

 自分の身体が五体満足なのを確かめる。あれだけの爆発だったのに全くの無傷だ。冗談抜きに死んだかと思った。

「おい。生きているか?」

後方から声が聞こえたので顔を出すとスティーブが片手を挙げた。あちらも周辺のみ不自然に爆発から守られていた。誰のお蔭かは言わずもがなだ。胸に手を置いて静かにお礼を言った。

「あんたのせいで死ぬかと思ったわ。」

「だから逃げろと言った。俺は提案しただけだ。それで?こいつらが再生する前に移動しよう。この後はどこへ行けば良い。」

「そうね。まず、この人造アスレチックをさっさと攻略しましょうか。」

 二人が合流するだけでも骨が折れそうだ。しかし早くしないと、あの子は移動してしまうだろう。三十分はとうに過ぎている。

 これが全て仮眠室で見た悪夢であれば良いのに。モニカは、もう何度目か数えてはいないが、再びそう思った。そして、ため息をついて立ち上がる。

 弱音は絶対に吐かない。絶対に子供達と一緒に病院の外へ逃れよう。その時には熱いコーヒーが飲みたいな。

 希望は未だ潰えてなどいなかった。


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