第18話


 暗い道をひたすら走った。痛みは時間の経過と共に鈍くなる。ようやく部分麻酔が効いてきたようだ。

 二人が居なくなった後、傷が悪化すると判っていても重たい身体を引きずり部屋の中を物色した。どこの隊か判らないが、同僚たちが武器を一時的に置いていったようだ。

 軍から支給される弾丸は対ムクロ対策のため、特殊な液体が入っていた。変異体やムクロの再生能力を数分間、遅らせることが出来る。その新しい弾丸と装填できるライフルが運よく手に入った。

 武器を手に入れた時、このままどこかへ単独行動してしまおうかと考えた。あの二人が敵の可能性も捨てきれない。しかし死にかけの人間に、止めを刺さずに手当するのもおかしな話だ。特に少年は最初から此方を本物だと判って近づいてきた。あの子は敵を判別する何か特殊な異能を、他にまだ持っていたのかもしれない。

 少年の特異な点はそれだけではない。親しい人々を奪った元凶を前にして治療をしろと怒るなんて。普通の人間では絶対にあり得ない。皆、自分が一番可愛い。大多数は自分さえ良ければ極論、他の人間がどうなろうと知った事ではないはずだ。それなのに。

 世の中は広い。あんな子供もいるのか。

 子供だから、よく現状を理解していないだけかもしれない。それでも殺伐とした世界を生きて来たスティーブにとっては衝撃だ。

 二人の会話から推測すると目標が人の姿に化けている時の友達だったようだ。聞きなれない人間名で呼んでいた。

 ふと脳裏に女医の言葉が甦る。

 彼女も最初は渋っていたが自分の治療を丁寧に行ってくれた。追加の麻酔薬付だ。中途半端に気を使ってくれるところをみると異能研究所に関わる連中は、皆ずば抜けたお人好しらしい。あの目標でさえ手負いであっても彼女を庇い、身を挺して逃がした。

 上半身に巻き付けられた包帯を軽く摩る。

 例えここで二人を待って、上手く外へ出られたとしても足手纏いになるだけだ。任務遂行にあたった隊は自分の観測範囲で、己ともう一人の異能者を除いて全滅した。今回の任務の内容を考えると、もし生きて軍に戻っても口封じのため殺されてしまうかもしれない。

 軍に志願をした時、己は怪物から人々を守ると誓った。そのために戦うのだと。銃を始めて持った時も、ようやく戦う力を手に入れたと思っていた。だが時が経つにつれて理想と現実が必ずしも一致しないことを知る。どうして人々を守るために、他の無力な人々を殺さなくてはいけないのか。

 自分が何の為にここにいたいと願ったのか判らなくなる。何度も苦しい思いをした。睡眠薬に頼ろうかと思ったことさえある。同僚も友達も歯が抜けたように少しずつ居なくなっていくのを見ると気が狂ってしまいそうだった。表面では冷静を取り繕っても、いつ自分の番が回って来るのか常に怯えていた。

 しかし、とスティーブは思う。

 もしも殺されてしまうのならば最後は一人の人間として、やりたいことをやろう。あの時に誓った夢のためにも、誰かを守りたいと思った心は嘘ではないと証明してみよう。そうすれば軍人になると選択した自分が救われるような気がするのだ。

 そう思い、武器を手に取って出来る限りの速さで走り出した。通路の奥にあるエレベーターに乗り込み、一息つく。ここで一旦、隣の棟の四階に行き非常通路を通って、異能研究棟に戻る。三階の扉は軍が作戦遂行に当たり、使用不可にしていた。あそこは通れない。

 銃を構え、身体にしみ込んだ動きで安全確認を行った。通路を通る最中は音を立てぬよう慎重に歩く。

 ようやく目的地に辿りついた時、生臭い匂いが充満していた。この臭いを知っていた。恐らく大量の死体がどこかに放置されている。スティーブは潜在的に感じる恐怖を押し殺した。この程度で驚いていては軍人ではない。

 遠くから不気味な笑い声と悲鳴が聞こえる。意を決して声のする方へ歩きだした。研究室と書かれた扉をそっと開けて、隙間から身を滑り込ませる。

 部屋の中央にある悪趣味な手術台の前で二体の変異体が果物ナイフを振り回して、楽しそうに騒いでいた。手術台に縛られているのはスティーブの命の恩人だ。うつ伏せになっているため表情は判らないが、背中から血が流れている。

 室内には水溜りに浮かぶスタンガンと拷問具が落ちていた。そして未だに血が広がり続ける、死んで間もない死体がある。椅子に座らされているが拘束が解かれていた。その死体の前に中身が散乱した少年のリュックが落ちている。

 静かに背負っていたライフルを降ろした。狙いを定め、二体が油断している隙に遠くから攻撃する。

 上手く弾丸が頭部へ当たり、怪物達は地面に倒れ伏した。

「大丈夫か!?」

 子供に近寄り持っていたサバイバルナイフで拘束具を外した。口に詰められていた汚い布も取り除いた。

 背中は酷い有様だった。上半分は木や太陽がいびつに刻まれ、下には○×ゲームの跡がある。まるで子供の落書き帳だ。どんな絵を描きたかったのか判らないが、肩と腕にも打撲と何か熱いものを押し付けた跡が左右対称にあった。

 痛ましい傷を隠すため上着を掛け、子供と荷物を抱えて部屋の外へ出た。途中で部屋の奥に綺麗に椅子に座らされている腕や頭部の欠けた沢山の死体を目にする。

 ここで悪趣味なおままごとでもしていたのだろう。胸やけを感じて、今は動けない怪物に罵声を浴びせたい衝動に駆られた。しかし早く逃げないと変異体が復活してしまう。時間を無駄に出来ない。能力者でないスティーブには確実に仕留める方法がないからだ。

 肩口に顔を押し付けた少年が三階に病室があると告げた。頭を軽く撫でて了承を伝える。

「おっさん、…堪忍な。鍵が無かった。誰かが持って行ったみたいや。」

「そうか。気にするな。次の手を考えれば良い。それより傷の手当てだ。」

 荒れた病室で消毒液と包帯を見つけた。椅子に座らせ、出来る範囲で処置をする。

 少年は俯いて肩を震わせている。現場を見て来た限り彼の身に何が起こったか大体は察せられた。

 何も言わず、頭を軽く撫でつける。少年は鼻をすすり、涙を右腕で乱暴に拭くと、取り繕ったような明るい声で話しかけてくる。

「手当て、上手いやん。俺ほどではないけど。」

「まあ、簡単なものは出来るさ。それよりも相談がある。」

「何?」

「先に待ち合わせ場所へ向かって、皆と共に脱出しろ。まだ方法はあるはずだ。俺のことは気にするな。」

 正直、いつヒトガタが身体を再形成して襲って来てもおかしくはない。この子を生かすためには敵を引き留める必要がある。この棟自体が恐らく、あの二体の狩場だ。彼に二度と、あんな酷い体験をして欲しくは無かった。

「おっさん。しょうもない冗談言わんでくれ。それ死亡フラグって言うんやで。」

 彼は椅子から飛び降りて、腫れぼったい目をこちらに向けた。言葉とは裏腹に顔は真剣な表情だ。

「ああ、そうだな。だが少しぐらい俺に格好付けさせてくれても罰は当たらないだろう。君ばかり目立ち過ぎだ。」

「でも、それじゃ…。せや今は俺、あ、足腰立たんし。幼気な青少年をここで見捨てる気?そりゃないでしょう~。な?一緒に行こう。あの敵を倒す方法を俺も一緒に考えるから。」

 再び泣きそうな顔になっていく。スティーブは彼の手を取り、拳を作らせた。己の拳と軽くぶつけ合わせ、にっこりと笑う。

 きっと今、彼と出会えたことは僥倖だ。夢と現実に押しつぶされそうになっていた自分に神様が与えてくれた最初で最後の奇跡に違いない。

「行け。二度は言わない。俺は最善を尽くす。だから君も最善を尽くせ。判るだろ?」

 立ち上がって、さっき持って来た少年のリュックを持たせた。一緒に部屋の外へ行き、躊躇う彼の背中を自分が行く道とは反対側へ押す。

「おっさんの格好つけ!馬鹿、ドアホ、この若年性ハゲ!俺が了承するのは先に行くことだけやからな。こんなん後味悪すぎる。…絶対、死なんでくれ。お願いします。」

 よく分からない悪口を吐いて、彼は去った。その背中を眩しそうに見つめてから、スティーブは足元に忍び寄る縄をサバイバルナイフで刺した。

耳を劈く悲鳴が上がる。

「生憎、ここから先は通行止めだ。」

 ニヤリと不敵に笑い、持っている武器を構える。

 ここを退く気は全くない。例え死ぬことになっても。


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