第16話


 危機的状況に陥った時、観察力が何よりの武器になる。一つでも多くの情報を集め、組み立てて行けば、全体が俯瞰して把握できるはずだ。そうすれば自ずと何がこの状況を脱するために必要か見えてくる。

 力が抜けた足を叱咤して立ち上がり、エレベーターから飛び出す。

 病院全体の地図は抜け道も含めて頭に入っていた。約三年間通っていた場所だ。監視カメラの位置だって大体覚えている。また、ある程度の扉は腕時計の端末で解除が可能のようだ。

 確か二十六名の生存者がいると言っていた。子供が一人でここから逃げ出すのは難しい。さっきみたいにムクロと追いかけっこは、もうしたくない。大人を味方に引き入れる必要がある。でも誰かに助けて貰うには本当に人間かどうか見分けなければならない。

 とにかく人を探してみよう。そして遠くから観察し、人間だと判断が付いたら、説得して味方になってもらおう。

 病院の入り口付近で自分を病院に招き入れた人の皮を被った変異体。いや、ヒトガタは恐らく音に鋭く目が弱い。段ボールに隠れた時はこちらを見失っていたが、エレベーターの音には敏感に反応していた。つまり人間のふりをしていても、ヒトガタには何かしらの特徴がある。それを見極めなければならない。ここから出るために。

 ただムクロは違うようだ。確証はないが、さっきの様子だと眼も良いし、頭も良いと思う。それに音を立てた人間を分かっていて、敢えて騙されたふりをしていた気がする。また遭遇したら勝ち目がない。

 早速、遠くから銃声が聞こえた。静かに部屋を通り抜け物陰から伺う。武装した金髪の男が招待を現したヒトガタに向かって発砲している。音を聞きつけて、多くの変異体が集まっていた。

 男は銃弾が尽きてしまい、機関銃を投げ捨てた。サバイバルナイフを取り出し、近接戦闘に切り替える。

「くそっ!キリがない。」

 男のピンチに颯爽と亜麻色の髪をした女が現れる。彼女も武装していた。彼女は前方から来る敵に銃弾の雨を降らせ、男と共闘している。

 やがて目に見える範囲の敵が居なくなると男は女に近づいて、礼を言った。

「ありがとう。悪いが弾切れしてしまった。少し分けてくれないか。」

「貴方は誰?」

「おいおい。勘弁してくれよ。スティーブだ。それ以外に見えるのか?」

 腕を広げ、大げさな身振りで歩み寄る。彼女は片腕を伸ばし、掌を相手に見せた。

「今回の任務はこの病院にいる目撃者の全滅及び検体の奪取。それが駄目なら検体を壊せと言われた。私には貴方がヒトガタかどうかの見分けがつかない。大丈夫。例え全員死んでも私が任務を全うする。だから潔く死んで欲しい。」

 掌から水色の細かい粒がスティーブの右腹を襲った。大の男が後方に吹き飛んだ。身体が宙に浮き、外来スタッフルームの中へ消えていく。

息を呑んだ。味方が味方を殺すなんて現実とは思えなかった。

 彼女は脇目もふらずに前方の通路へ歩き出した。甲高い足音が十分聞こえなくなってから、吉田はスタッフルームを覗いた。

 案の定、スティーブと自ら名乗った男は血を流して倒れている。意識があり、何とか動こうともがいていた。

 荒れた室内を見渡すと書類や倒れた棚の間に救急箱が落ちている。それを夢中で開け、包帯や止血帯を取り出した。足りない分はリュックサックの中に入っている。

 異研に通っていた時、巧と一緒に応急処置の訓練を行ったことを思い出す。やんちゃで怪我の多い少年と、怪我をしただけで命に係わる少年に異研の大人達は辛抱強く技術を教え込んでくれた。道具も常に持ち歩くようにと耳にタコができるくらい言われた。もし子供達だけの時に、銃を持った大人に再び襲われても生存率を上げるためだ。やはり緊急時に力になるのは、それまで自分が蓄えた知識だ。吉田はそれを誰に教わらずとも知っている。

 子供の力では中途半端な処置になってしまうが、やらないよりかマシだ。

 スティーブは恐らく人間だ。ヒトガタや変異体に襲われて、殺されそうになっていた。ならばこの姿は本物である確率が高い。そして現在、死に瀕しても異形の姿に変化していなかった。状況証拠としては十分だ。

 一通り、処置を終えてから男の手を握った。

「おっさん、大丈夫か?今、助けを呼んでくるから。もうちょっと待っといて。」

 温かな光が両手を包んでいる。それでも少しだけしか顔色が良くならない。

 ここまで力の効果が薄いということは、この人は一般人だ。異能者ではない。

「俺のことは良いから、ナイフと荷物を持っていけ。何か役立つだろう。」

 処置する際に外した荷物を顎で指し、しかめっ面で言った。

「断るわ。俺は自分の扱える武器しか使わん。すぐ戻ってくるから、じっとしてるんやで!」

 手をそっと降ろして、近くに落ちていた毛布を掛けた。身体を出入り口から遠くへ移動させ、部屋の周りに散乱した椅子や機械で簡単なバリケードを作る。

 なるべく音を出さないように走り出す。こうなったら正体はヒトガタでも構わない。家から敵を無力化できる特別な武器を持って来た。ただのスタンガンだけど。逃げる隙ぐらいなら作れる。何かあったら、それを使えばいい。とにかく誰でも良いから大人を呼んで力を貸して貰おう。

 旧階段室の扉を開けた時、下から足音が聞こえた。少しの間、迷ったが腹を括って懐中電灯をわざとつける。

 足音がぴたりと止んだ。あちらも警戒している。相手だけにしか判らぬよう、暗闇に囁きかけた。

「お願いします。人が死にかけている。助けてくれませんか。警戒していても良いから力を貸して下さい。俺の力では弱くて止血できないんです。」

「…。」

「この道を知っているのは病院関係者だけ。医師や看護師が急いでいる時しか使わん道や。お医者さん、なんやろ?なあ、本当に早くしないと死んじゃう!助けて!」

 足音が心なしか足早に近づいて来る。下の踊り場を照らす丸い光の中から拳銃を持ったモニカが警戒しながら現れた。

「姉やん!今日は当直だったんか?」

「嘘…。まさかさっき院内放送で流れていたヘンゼルって、あんたなの?どうやってここまで来たのよ。」

「後で話すから、とにかく来てくれ!」

 有無を言わさず、モニカの手を引っ張り怪我人の元へと案内した。

 辿り着いた先の惨状を見て、背後の大人は眉を顰める。バリケードの前で腕を組み、中々スティーブに近寄ろうとしない。廊下への道を見ながら、早く移動したそうに立ち止まっている。

 その様子に首をかしげた。いつもの彼女らしくない。

「姉やん。どないしたん?」

「確かにそいつの傷は深いわ。放っておけば死ぬだろうし、さっさと移動しない?」

「あ、もしかして。この人をヒトガタと思っているんか?大丈夫、俺が保証する。おっさんは人間や。…多分だけど。」

「あら、そう。」

 肩をすくめて、どうでもよさそうに相槌を打った。彼女は呻いて動けない男へ近づき、見下ろしている。

「あんたは知らないかもしれないけど、そいつは病院の人達を虐殺した奴らの一員よ。私に助ける理由はないわ。こいつらのせいで同僚や患者が大勢、殺されている。」

 吉田は聞いたことのない冷たい声音に息を呑んだ。それから大人達を交互に見て、頭を抱えた。何があったのかは知らないが、何となく状況は察せられる。

 だが、だからと言って、この人を見捨ててしまったら恐らく一生後悔することになる。

 少し逡巡した後、顔を上げた。

 やらない後悔よりも、やる後悔を。もし何かあれば騙されるより先に騙せばいい。

 自分の長所は腹を括ったら、どんな大胆なことも出来るところだ。今、それを発揮しなくて、一体どうする。

「なら仕事として助けてくれへん?医者ならどんな人の命でも平等に救うのが仕事や。」

「無理よ。絶対に無理。あんたの知り合いも懐いていたご老人も全員こいつらに殺された。なのに、あんたは憎くないの?」

「…よく分からん。でも俺は目の前で死にかかっている人を見捨てたくない。」

 一階で死んでいたおじさんを思い出す。しかしおじさんはいつだって間違っていたら叱ってくれた。次は頑張れよと励ましてくれた。きっと生きるって、そういうことだ。

 横たわっている男が腕を上げ、ぎこちなく少年の頭を撫でる。

「良いんだ。君の気持だけで十分。その人の言う通りだ。任務のために酷いことをした。このまま、そっとしておいてくれ。自分のツケぐらい自分で払うさ。」

 スティーブが力なく笑っている。何を意地張っているのか良く分からない。どうでも良いことを、ぐだぐだ言っている要領の悪い大人達に頭にきた。

 立ち上がり、肩をいからせて怒鳴る。

「俺は、そんなに聞き分けの良い子供やないぞ。おっさんらも大人だったら、この病院を脱出するまでは手を組むとか生き残る為に頭働かせんかい!俺は誰一人死んで欲しくないんや。恨み辛みの精算は大人達で決着つけてくれ。俺が知るか、ボケ!少しくらい子供の願いを聞いてくれても罰は当たらんやろ!俺は、この人も、死んで欲しくない!悪いか!」

 二人は押し黙った。吉田は言うだけ言って、顔を背け黙って座り込んだ。そして救急箱を開け、処置の続きをする。はっきり言って、ふてくされていた。

ここまで言っても伝わらないなんて。もう大人に頼らない。自分のやりたい事は自分でやる。大きくなっても絶対、こんなつまらない大人になってやるもんか。尊敬して損した。もう、いい。

「…まったく。後悔するわよ。あんたって案外、残酷よね。」

 そう言うと隣に座り、子供から救急箱を取り上げた。そのままテキパキと止血を始める。さすがはプロだ。手際が良い。

驚いてポカンとした顔にモニカは笑いかけた。

「良い?私は仕事でしょうがなくしているのよ。ちゃんと感謝して、この子だけは命に代えても守りなさい。あと、あんたは処置の邪魔だから、その人の手を握っておいて。痛みも楽になるはずだから。」

「姉やん…、ありがとう。」

 素直にお礼を言うと、酸っぱい物を食べたような顔をされた。偽悪ぶってはいるが、根は大のお人よしだ。この人とは三年間、ほぼ毎週顔を合わせていた。それぐらいの性格はお見通しだった。

 手を握ると、三人の顔に温かな光が反射する。何だか、その光景に胸が詰まった。

「ありがとう。君達は命の恩人だ。君は治癒能力者なのか?」

「ううん。俺の能力は力の調整。暴走しているなら出力を弱め、不足しているなら力を補うらしい。」

 それだけではない。この力は自分も含めて、その人が最も必要としている力を一時的に増幅させることも出来る。異能の中で未だに解明されていない特殊な能力だ。

「何故か一般人に力が効きにくいんや。だからおっさん自身が生きたいって強く思わなきゃ、力を引き出せない。」

 治りたいと思う心と治って欲しいと望む心は力になる。巧と一緒に成長した三年間、異研の人達に教わったことだ。

「そうか。素敵な能力だ。」

 そう言って、瞼を閉じる。その拍子に水滴がポツリと床に零れ落ちた。



 処置を終えると、見ていたかのように変異体が襲ってきた。なるほど、合法的に射殺して良いのね。任せろ。今の私は気が立っている。と怒った美人なお姉さんが半分ぐらいハチの巣にしていた。

 あちこちに逃げ回りはしたが敵が多くて埒が明かなくなってしまったので、医局スタッフ専用エレベーターに乗り込み、使用されていない医局書庫へ逃げ込んだ。ここには出入り口以外の監視カメラがない。恐らくムクロは監視カメラで人間達の様子を見ている節がある。こちらの情報を悪戯に与えて戦闘になっても面倒だ。そもそも先の戦闘で弾丸が乏しいとモニカが判断したからだ。吉田もスタンガンを取り出し応戦していたが、こちらも電池切れとなってしまった。

 スティーブは吉田が大きな台車に座らせて運びこみ、書庫の死角に横たわらせる。ケアルームから持ってきた毛布を被せて、ぱっと見ただけでは人が居るか判別できないようにした。ほんの気休めにしかならないが。

 今のところ、この書庫には吉田達以外、誰も居ない。

 家から持って来たお菓子を二人に分けた。きのことたけのこを模したチョコのお菓子だ。兄妹に食べられたくなくて包装にデカデカと自分の名前を書いてある。モニカは最初、断っていたが苦笑いしつつも受け取り、懐かしそうに名前が書かれた包装を見つめていた。

 普段は甘い物を多く食べないのにたった一箱では少し物足りない気がする。

 そう言えば夕食を食べていない。今日は俺の好きな麻婆豆腐だったのに。

 夕飯前に出かける時、行先は告げて来たから父や母が病院の異変に気が付いて助けを呼んでくれないだろうか。そんな淡い期待が心を占める。

 今、思えば正門の前にいた警備員二名はヒトガタだったのかもしれない。病院に用がある人を追い返しているようにも見えた。もし、そうだとすると俺を追って来た両親が危なくなってしまう。吉田家は自分以外、全員が一般人だ。ヒトガタに会ってしまったら一溜りもない。

 不安で眩暈がした。最悪の事態を想像して胃がシクシクと痛む。

 やめよう。考えれば考えるほど不安になるだけだ。不安な気持ちは一旦、置いて、今は現実に集中しなければ。

 モニカの目の前で少年は三本の指を上げた。

「目的は三つや。病院からの脱出と巧の救出。他の生存者と可能であれば協力すること。他に何かある?」

「…異論はないわね。でもどうする?病院の全施設はセキュリティのせいで要塞と化している。何とか外に出てもID権限を書き換えないことには見えない壁に阻まれてしまうわ。しかもあちこちにクリーチャーが徘徊している。大体あんた、どうやってここまで来たの。」

「正門の横にある設備室の小窓から侵入した。でもあそこはもう使えない。俺が来た時もヒトガタっぽい人達が見張っていたから。第一、子供一人がギリギリ通れる狭さや。」

 二人は腕を組んで唸った。

 モニカは意味ありげに、吉田を見る。その意図が判らず首を傾げた。

「ね、あんたは私を疑わないの?ヒトガタかもよ。」

「…うん?あ、ああ!そういうことか。」

 彼女はこちらを敵ではないかと疑っているわけだ。それか、モニカを敵かもしれないと疑問を持たない吉田に対して危機感持っている。脱出経路を模索している最中に不用意に信頼して裏切られたら元も子もない。

 信頼できる何かを示せと遠回しに催促しているに違いない。

「じゃあ、俺達しか知らないエピソードがあるわ。一年前に他科の偉い人から姉やんが、意地悪されたった。その時、ストレスのあまり異研の女子トイレの壁を素手で壊して、ゴキブリが現れたから思わず…とか何とか適当なこと言って請求書をきっちり総務課に提出してたな。覚えている?」

 こういうのを顔の皮が分厚いって言うんやで?と人の悪い笑みを浮かべた。

 モニカは真顔で訂正する。

「違うわ。私は壁を壊してない。ちょっと拳で軽く触ったら壁が自発的に穴を開けたの。老朽化していたから。しょうがないじゃない?そういうこともあるわよ。あと請求書は確かに提出したけど却下された。…ちょっと待って。どうして、あんた達が知っているのよ!」

 それは言い換えているだけで、壊したことに変わりはないと思うのだが。大人って面倒だなと思った。とにかく説明を続ける。

「だって慰めようと思ってトイレの前で待っとたら、中からすごい音がしたんや。」

 しかも大きな破壊音の後に盛大な舌打ちが聞こえた。大人は、ではなくモニカは怖い。

 経緯を知っているため、泣いているかもしれない彼女を励ますためにコーヒーとお菓子を持った子供達は面倒ごとになりそうと悟り、静かにその場を離れた。我ながら良い判断だったと今でも思う。しかもその後よくお世話になっている研究室の人が、この棟は古い建物が混在しているからね。そういう事もあるわと遠い眼差しをしていた事を忘れていない。皆の言い訳って似通っている。所謂、全員の暗黙の了解という奴だ。

「OK。分かった。一瞬、ここで口封じしたい気持ちになったけど、本人だって認める。」

「どーも。ちなみに俺が姉やんと思ったのは、服についている返り血の少なさと素手の破壊力、さっきの的確な応急処置や。」

 途中で頭から吹っ飛んでしまったが、スティーブの元へ連れて来たのは医療技術を試す狙いもあった。会話の途中で吉田が入院中のおじいさんに懐いている話が自然に出て来たのを聞いて確信を持ったのは確かだ。研究棟の人達は教授とモニカ以外、そんなに他の施設へ行かない。その事実を知っている人は限られていた。無論、ヒトガタが人間の姿だけじゃなく記憶まで似せてしまうのなら、あまり意味が無い。

 だから血の浴び方を観察した。彼女の白衣は赤い血よりも緑色の血が多い。得物は拳銃だけであって、遠くから浴びている。そういえば、さっきの戦闘でも弾丸が無くなった後、いつの間にか右手に手袋を嵌め、その上からどす黒い尖った金物を巻き付けて近接戦闘をしていた。こっわ。まるで元ヤン。マジ怖い。これで本物じゃなかったら相手が一枚も二枚も上手だ。

 疑心暗鬼の末に殺しあえとムクロは哂っていた。吉田は大の負けず嫌いで天邪鬼だ。誰がアイツの言いなりになるもんか。あのふざけた言動を見た時、自分が設けた基準をある程度満たしてくれれば、他人を絶対に信用すると心に決めていた。

「お互いが本人と認めたところで腹の探り合いは無し!なんか良い案あるんでしょ~。」

 暗い雰囲気を払拭するように場違いなぐらい明るい声で意見を促す。モニカは目を丸くしてから頷いた。

「案という程でもないのだけど。」

 彼女が言ったのはこうだ。

 ムクロは病院のセキュリティシステムもしくはサーバーを乗っ取り、端末を使った通行を不可にしている。

 しかも、もう一度端末にID権限を付与しようとする人間が一定数いるのを見越して罠を張っている。ならば、その隙を突いて異なる方法で外へ出るしかない。幸いなことに施設同士を結ぶ渡り廊下は二重構造になっていて、犬走と呼ばれる関係者用の通路があった。その道を通行できるID権限を二人共持っている。犬走から他棟へ渡り、機械によって閉ざされていない出口を使う。

「西病棟と異研はまだシリンダー錠で開ける裏口の扉が残っている。犬走を通ってどちらかの建物へ行けば、そこから外へ出られるわ。」

 ただ鍵がどこにあるのか判らない。また至る所に監視カメラがあり、敵が見張っている。それに外へ出たとしても、市街地へ助けを呼びに行くには電気で作られた透明な壁に阻まれる。

「誰や。こんなセキュリティをがっちがっちにしたの。」

「半分ぐらいはあんた達のせいだからね。」

 子供達が病院に侵入した不審者に襲われた事件はネットニュースにも取り上げられた。国際機関から預かりものをしている立場としては重い腰を上げざるを得なかったのだろう。事件後に設置された最新鋭のセキュリティシステムが仇となっている。

 現在、端末による外部との通信を行えないのもシステムのせいだった。より正確に答えるならばシステムと機構軍のせいだ。軍が来る前は普通に使用できていた。何をしたのかは知らないが余計な事ばかりしてくれる。

「せめて西病棟か異研の鍵の在処さえ判れば、計画立てられるのに。」

「そんなら俺、知っている!異研の裏口の鍵は研究棟四階の動く本棚にある缶の中や。」

 モニカは何も言わずに頭を抱えた。

 そう、彼女の目の前にいる少年は異研と病院が白旗を上げそうになるぐらい追い詰めた悪戯常習犯だ。いや、最近では異研の名物になりつつある。脳裏に今までの悪ふざけと叱った日々が過ぎる。本当に色々あった。だが絶対に懲りない。それがこの少年の良く判らないポリシーだった。

「それに、あのおっさんが木登り出来るぐらい回復すれば外へ抜けられる道はある。」

 駄目なら森の秘密基地に大きい椅子があるから、どうにか工夫して持ち上げようと提案してみた。いつの間に、そんなもの作ったのよとツッコミが入る。

「…言いたい事は山ほどあるけど。話が進まないから今は触れないでおく。あとは巧君の居場所ね。」

 そう呟くと不自然に沈黙した。正確に言えば、彼女は口を開けて何かを言おうとしては首を振っていた。あからさまに挙動不審だ。

「な~に~?今更、子供は隠れてろって言うつもりか?どう見ても無理やん。こんなに、がっつり巻き込まれて。」

「それは確かに、まあ。隠れて大人しくしとけって、いつでも言いたいわよ。でもそんな事を言ったらあんたの事だから絶対、動き回るだろうし。どこにいるか分かっていた方が精神的に楽だわ。」

「わかっとるやんけ。」

 苦虫を噛み潰したような顔をしている。しばらくすると顔を上げて、吉田と目線を合わせた。

「全棟に設置された監視カメラの映像を見られる場所がある。十中八九、ムクロか変異体が居ると思うけど、そこなら巧君の居場所が分かる。私はそこへ行く。あんたは異研の鍵を取って来てちょうだい。監視カメラにくれぐれも見つからないように。得意でしょ。そういうの。」

「分かった。得意だからしゃーない。」

 待ち合わせ場所とお互いを判別する合言葉を決める。またスティーブは置いていくことに決めた。まだ動かせる状態ではない。

 彼女は巧を見つけ次第、迎えに行くから三十分待っても自分が来なかったら書庫に戻り、スティーブと逃げるよう言い含めた。

「人を見たら、どんな姿をしていても敵だと思って逃げなさい。あっちから殺しにかかって来る。鍵は別に無くったって、他の方法を考えればいい。無理そうなら様子を見るだけでいいわ。お願いだから、無茶はしないで。これはあんた達が普段遊んでいるゲームじゃないのよ。下手したら死ぬの。それだけは肝に銘じておいて。」

 吉田は能天気に笑い、頷く。少年の行く道は電気が付いていない。心なしか暗闇が迫って来る気がした。充電が不十分なスタンガンを回収してポケットに押し込む。これが吉田の生命線だ。

 ま、怖がってもしょうがない。なるようになるだろう。動かなければ何も始まらない。だから嫌な事や怖い事は早く終わらせよう。

 奇しくも二人は同時に同じことを考えていた。

「おう。姉やんも気を付けてな!」

 リュックを背負い直し、異研に向かい走り去る。手が震えていたことに大人達は最後まで気が付かなかった。

 モニカは少年が大きく手を振り空元気に走り去ったのを見送った。子供を単独行動させてしまったことに良心が痛む。あの子は恐怖や悲しみを笑ってごまかす性質だ。わざと明るい性格のふりをして周囲を和ませる。また気を使わせてしまったのかも知れない。一緒に付いて行けば良かったのではないかと、もう既に後悔し始めている。それでもあの子に今の巧の姿を見て欲しくはなかった。醜く変貌したあの姿を見て、もし吉田が拒絶してしまったら、巧はきっと立ち直れない。事情を知っていて、臨機応変に誤魔化せる大人が仲介に入る必要があった。

 危機的状況に直面している場面で、こんな事を考えるなんて末期症状だ。でも二人に絆されてしまった。あの子達の友情が壊れるところを見たくはない。

 モニカはムクロに憎悪を抱いている。両親を殺した怪物を未だに許せない。現在に至ってはアイツのせいで病院に閉じ込められ強制的に殺し合いに参加させられている。恐らく一生許す気はない。 

 しかし巧は違う。異能研究室の皆と過ごした三年間は嘘ではない。あの子の優しさや努力、成長を全て無かったことにして思いのまま罵るほど自分は子供ではなかった。

 それに私は巧君にまだお礼を言っていない。

 武器を手に取り中身を確認する。弾丸はもう無い。現地調達は必須だった。溜息をついて立ち上がる。戦意はまだ挫かれていない。この程度は問題にならなかった。

「本当に良いのか?連絡が取り合えない中での単独行動は命取りだ。それに君達が言っている巧はムクロだ。あの子はそれを知っているのか。」

 毛布の中から掠れた声がした。まだ顔色が悪い。そんな弱った身体じゃ動けないだろう。いい気味ね。

「あんたに指図される覚えはない。」

モニカはスティーブの近くに麻酔薬と注射器を置いた。痛みがぶり返したら、自分で勝手に打てという意味だ。

「もし少しでも恩を感じるなら、一刻も早く動けるようになって、命に代えてもあの子を守って。それとあの子の前で巧君をムクロと言ったら、問答無用で拳銃をぶっ放すわよ。」

 荷物を整理し直して、電気が付いた通路へ向かう。誘導されているみたいで、かなり不気味だ。

 でも私は一人ではない。そっと胸に手を置く。

「…巧君の正体がムクロでも関係無いのよ。研究室に勤めている人達は知っているわ。私、健気に頑張っている子に暴言を浴びせるような人間になりたくない。それだけよ。」

 背中に痛いくらいの視線を感じる。振り返らずに手を振って、ゆっくりと歩き出した。


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