第14話


 搬送用のエレベーターからすぐに這い出て、身を隠した。小柄な体型を活かし、物蔭に隠れる。何度か深呼吸を繰り返し、手足の震えや混乱がある程度落ち着いてから、周囲を見渡す。

 ここは病院の地下。関係者以外立ち入り禁止と言われていた区域は一通り巧と共に冒険したが、この場所だけはまだ来たことがない。だが建物の構造は伝え聞いていた。この階のどこかに外へと続く地下駐車場がある。その道が塞がれていなければ、他の施設へ行ける。もしかしたら助けを呼べるかもしれない。

 吉田は音を立てないように気を付けて、部屋の外へ歩き出す。

 遺体は殆どない。だが空き巣が入ったような荒らされ方をしている。観葉植物は倒れ、重要書類であろう紙は散乱し、医療機器と思われる何かの機械や保存用の端末は無残に壊されていた。それらに足を取られぬよう、用心深く先へと進む。途中で何の部品か分からないが、役に立ちそうなネジを見つけたのでポケットにしまう。

 いくつかの廊下の角を曲がった時、一階の映像で見たムクロが無機質な観音扉の前で腹を抱えて笑っていたのが見えた。敵は後ろを向いているのが幸いした。声を上げそうな自身の口を両手で塞ぎ、じりじりと後ずさる。

「アハハ!感じる。確かに感じるよ!こんな所にオリジナルの心臓を隠していたのか!この程度の電子錠も壊せないなんて本当に愚かで可哀想だね。人間というのは!」

 そう言って、電子扉を力ずくで壊し、部屋の中へ入っていく。

 なんで、そっちに向かうんだよ!と眩暈がするほど焦る。ムクロが入っていた部屋の横に廊下があり、その先に駐車場があるからだ。

 確か駐車場の中には病院長や理事長、もしくはVIPな患者しか乗れない隠しエレベーターもあった。実はパスワードも知っていた。病院関係者は何故か身内に甘いところがある。セキュリティ面は特に。吉田の記憶力はとても良い部類だ。噂話が大好きでコミュニケーション能力の高いと自負しているので、毎日パスを変えるのが面倒な大人達が、曜日の頭文字とその日の日付を入力すれば中に入れるのを知っている。ということは外へ出られない場合でも、エレベーターまで辿り着ければ、この階からは脱出できるということだ。

 吉田はムクロが部屋から出て来るのを待った。部屋から出た後、こちらに来るならすぐに引き返して身を顰め、通り過ぎるのを待ってから駐車場へ逃げようと考えたからだ。

 案の定、ムクロは部屋から出て来た。片手には食いかけの臓物が握られている。

「これで僕がオリジナルだ!いや、それ以上の力を手に入れる。ふふふ、この地上、全てが僕の狩場になった。あの愚鈍で大馬鹿な兄弟達にも負けない力を手に入れたんだ!この僕が!」

 大きな独り言の後、手に持ったものを無造作に口へ投げ込んだ。するとムクロの身体から不可思議な青い光が漏れ出る。奇妙な唸り声と共に白い廊下の壁や床に反射して、ひどく薄気味悪い。

 いきなり、がさりと足元で音がした。前方ばかり気にしていたせいで、紙を踏んづけてしまったようだ。これは、かなりまずい。絶対に気付かれた。

「そこにいるのはだあれ?生贄待ちの哀れな仔山羊さんかい?」

慌てて近くの部屋の扉を少し開ける。その部屋には入らず、ポケットにしまったネジを室内に放り込み、わざと音を出した。それから足音を立てないように向かいの扉が付いていないトイレに素早く身を滑りこませる。

 ムクロはゆっくりと足音を立てて、近づいて来る。

 心臓が飛び出るのではないかと錯覚するほど自分の鼓動が聞こえる。恐怖に支配され身が竦んだ。呼気でさえ相手に伝わったら、まずい気がして両手で思いっきり口を塞ぐ。

 ガラリと扉を開けた音がした。立て続けに大きな破壊音が聞こえたので、身を隠していた場所から飛び出し、先程ムクロが壊した部屋まで走る。この世のものとは思えない大きな咆哮が轟いた。その声に背中を押され、壊れた扉の中に入った。

 部屋は良く分からないダクトと機材が複数あり、中央に壊された小さなポッドが置かれていた。その周りにはガラス片が転がっている。ガラス片の一つに208と書かれていた。

 何の研究をしていたか知らないが、人が常にいるような気配はない。部屋のあちこちには埃が見てとれた。掃除もしていないのか。確か地下は掃除のおばさんも業務外だから行ったことは無いと零していたから当然なのかもしれない。仰々しいのに倉庫というよりは何かを保存する施設みたいだ。

 吉田は散乱した室内に背を向けて、廊下の先にいるムクロがどこにいるのか耳を澄ませた。足音はどんどん遠ざかっていくようだ。

 こんなに上手くいくはずない。根拠はないが、わざとらしさを感じた。

 敵の罠のような気もするが駐車場に行けるのは、このタイミングしかないだろう。

 そう思い、廊下に出て歩き始める。最初はゆっくり。しかし逸る気持ちのせいで、どんどんと足早になり、最後はほぼ走っていた。

 非常口の緑色ランプが光る不気味な雰囲気に包まれてはいたが、予想した通り駐車場はあった。出入口は塞がれていない。まずは一安心。

 自動扉の近くにあるパネルに腕時計を翳すと、静かに扉が開く。

 広い空間だった。車は一、二台しかない。今日は休日だから当たり前だ。本来なら医療関係者でさえ、そんなに病院に訪れる人はいない。だが、そのせいで見渡しが良く、身を隠す場所がないのは少し怖く感じる。

 一旦、背後の様子を確認してから慎重に歩を進める。残念なことに行こうと思っていた道は重量のある大きな車体が無造作に何台も倒れ、塞がれていた。どうにか隙間から外へ出られないか見てみたが隙間が小さく、子供の体躯でも危ない気がした。無理をして車の間に挟まれると一人では抜け出せない。ここは諦めて違う道を探した方が良さそうだった。

 そうだ。エレベーターはどこにあるのだろう。確か駐車場の壁に見分け辛いように隠されていると聞いた。他棟の駐車場の管理人さんと仲良くなって、お菓子を分けて貰った時、本当にそんなエレベーターが存在するなら秘密基地の扉みたいだとはしゃいだので、よく覚えている。

 壁を右回りで歩き、怪しい所を叩く。耳を付けて怪しい駆動音が聞こえないかを試したり、壁紙の色にあからさまな変化がないか注意して、ぐるりと駐車場内を一回りした。

 ようやくパスワードを入力するパネルを見つけた時、駐車場に来てから大分時間が経っていた。

 早速、今日の曜日と日付を入力すれば甲高いブザー音と共に大きな扉が出現する。漏れ出る光に安心感が増す。これでようやく地下からは抜け出すことができるだろう。

「なあんだ。そんなものがあったんだ。ヘンゼルは物知りだね。」

 ぎくりと肩をすくませて振り返る。駐車場の入り口付近に停めてある車の上にムクロが胡坐をかき、肩肘をついて座っていた。

 吉田はすぐにエレベーター内に入る。一階以外の適当な番号を押して、閉ボタンを連打した。ムクロは軽やかな足取りで、こちらに向かい、エレベーターの扉に手を掛けた。

「まったく。何をやっているんだい。もうちょっと楽しませてくれないと駄目だよ。せっかく僕が招いたんだ。もっと僕のお人形さん達と遊んで欲しい。じゃないと、どうなるか分かるだろう。君の命はたった一つだけだよ。取り返しのつかない大事なものだ。その輝きを見たいんだ!まだまだ僕を楽しませてくれるね?」

 そう言って、うっそりと微笑んだ。吉田はボタンを連打しながら、金切り声で反論する。

「俺はお前のオモチャやない!どっかいけ!近寄ってくるな!ボケ!」

 反応が面白かったのだろうか。不気味な笑い声をあげ、わざとらしくムクロは扉から手を離した。扉が閉まり、エレベーターは思い出したかのように上へと動き始める。

 吉田はその場にへたり込んで、しばらくは立つことも出来なかった。

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