第13話


 目が覚めたら天井裏にいた。閉所恐怖症の人が大金積まれても訪れない真っ暗な場所だった。モニカは小さな四角い扉の隙間から下の部屋の様子をじっと見ている。

 私はいつからニンジャになったのかしら。

 記憶を辿れば、今日は土曜当直の日だった。トラブルが続き、お昼休みさえ取れない。眠気で手元が疎かになっても嫌なので三十分ぐらい休もうと仮眠室に入り、寝転がったのまでは覚えている。よく眠っていたからって、天井裏に登るほど寝相は悪くないし、夢遊病者になった覚えもない。

 下の部屋に人の気配が無くなったことを確認し、音を立てずに床に着地する。これらは全てモニカの中にいる誰かの仕業だった。

「ちょっと勝手に人の身体を操らないでよ。約束と違う!」

(ごめんなさい。緊急事態だったの。さっきから武装した人間達が人を殺し回っている。)

 近くで人の悲鳴と銃声が響いた。咄嗟に姿勢を低くする。

「まるで二流ホラー映画ね。冗談じゃないわ。」

 暗闇に眼が慣れてくる。よく見ると仮眠用の小型カプセルベッドが十二個とも銃で粉々に壊されていた。廊下へ続く扉も開け放されて見通しが良くなっている。早くここから出て移動しないと、また戻って来られたら今度こそ殺されてしまう。

 ここは中央病棟の五階だ。関係者以外立ち入り禁止の区域なのに、どうやら闖入者達は字が読めないらしい。

(いつも驚くのだけど、こういう時は普通怖がらない?貴方の神経は狂っているかもよ。医者に診て貰った方が良いかもね。)

「安心して私が医者よ。あのねえ、これでも怖いのよ。でも私より貴方も怖がっているじゃない。だから少しは冷静になれる。」

 それは本当だった。ただ少し違うのは、モニカは仕事仲間や患者の安否を気に掛かけている。私の身体にいる誰かは巧君の無事をひたすら願っていた。

 とりあえずここで不安がっていてもしょうがない。

 白衣のポケットに旧式のIDカードが入ったままになっている。これは西病棟と異研を繋ぐ渡り廊下と西病棟一階裏口を開ける鍵だ。異能総合診療科の当直当番にのみ受け継がれ、知る人ぞ知る休憩室へ続いている。この病院は増改築を繰り返して、新旧の建物が混在し迷路になっていた。昔は異研が独立した建物ではなく、西病棟にあった名残だ。こういう状況である程度、病院内を動き回れるのは強い。正直、毎週の当直はかったるいと思っていたが何が幸いするか判らない。

 人の心配をする前に、まず自分の安全を確保しましょうか。

 モニカは廊下を索敵後、脇目もふらずに疾走した。

 病院の中は酷い有様だった。壁の至る所に血が飛び散り、廊下や病室関係なく、銃で殺されたばかりの人々が折り重なっている。

 時折窓から見える外の様子では、施設の外も完全に包囲されているようだ。逃げ惑う人々が惨殺されている。その凄惨な光景に目を見張り、拳を握った。

 テロだろうか。それとも精神病棟の患者に誰か銃でも持たせた?いや、それにしては手際が良すぎる。躊躇いもない。装備もしっかりしていた。これはプロの仕業ね。

 ご丁寧に病院関係者に配られた端末や、患者が所有している携帯から個人を特定しているようだ。人を殺した後に一々戻って個人情報を読み取っている。

 あまりの恐怖と迫り来る死の予感でパニックになりそうだった。この時ほど一人でなくて良かったと思ったことはない。普段はあまり考えない様にしていたけど。

(後ろから三人来る。前方の部屋に隠れて。)

 震える足を何とか動かしてやり過ごす。足音が遠ざかってから、再び動き出した。

 中央病棟と西病棟を繋ぐ渡り廊下まで来た。これも関係者なら知っているが、地図には乗っていない近道がある。渡り廊下へ抜ける手前のお手洗い横に壁と同化して見えづらくなった旧階段室が未だに存在していた。その階段は廊下の右側面にあり、西病棟の神経外科書庫へと繋がっている。

 この道の難点は渡り廊下に人が居たら足音が聞こえてしまう。逸る気持ちを抑えて、なるべくゆっくりと慎重に歩いた。

 扉を引こうと手を掛けた時、以前は無かった見知らぬ電子パネルが設置されていた。そこには、複数の質問が表示されている。二つ以上正解すれば開くと書かれている。

 巧が初めて喧嘩した日は何年前?忘年会の飲み物に天つゆを混ぜた悪戯小僧は何人?という質問が目に飛び込んで来る。こんなの絶対に教授が考えたに違いない。異研に最近配属された人間は解けないではないか。今年は誰も新規配属されていないのは分かっているが、こういうのを公私混同と言うはずだ。

 モニカは、質問に対して一年未満、二人と入力した。

 扉は静かに開く。やはり正解だった。

 左右を確認しようと、屈んで首だけ室内に出す。すると頭上に拳銃が付き出された。

「やあ、モニカ君じゃないか。君も生きていたのか。」

 拳銃を持った教授がにこやかに笑いかける。

「教授…。色々言いたい事はありますけど、ご無事で何よりです。」

 室内へと促され中へ入った。書庫を通り抜けてカンファレンスルームへ行く。そこには約六十人がひしめき合っていた。

「ここはまだ見つかっていない。休憩しながらで良い。外の様子を教えて欲しい。」

 モニカは頷き、冷静に今まで見た被害状況を説明した。



 世界人類平和機構という組織がある。異能者の存在が明らかになるにつれ、急増した差別や誹謗中傷から、能力の有無は関係無く人類全員が手を携え、平和を実現しようという理念で始まった組織だ。

 前身はボランティアが主な活動の国際人権保護団体であったが数年前にムクロを倒す大義名分の下、私軍を創設している。各国に著名な支援者が数多くおり世界平和実現のため奔走していた。というのも有数の資源大国には必ずこの組織を支持する政治家が数人いる。それほど世界に浸透し、官民問わずに期待されている機構であった。

 これが一般人の知りうる機構に対する知識だ。モニカも今、この病院を襲撃し殺戮を行っているのが、まさか機構の保有する軍だとは思わなかった。

「どうして、この病院を?こんなの頭のおかしい一般人が起こしたテロと言われた方がしっくりくるわ。」

「機構軍は、この病院にいる人々を全員皆殺しにして、それをムクロの襲撃に仕立てあげるつもりだ。敵への憎しみを煽り、機構軍という英雄を民衆は欲する。今まで人類が共通で行ってきた汚いやり口だよ。」

 モニカは周りを見渡した。例え憶測の類であっても明らかに他の生存者に聞かれたら、まずい内容だ。幸いにして皆は自分の事が手一杯らしい。様々な人々の囁き声に紛れ、聞いている人はいないようだ。

 今、モニカ達は斥候役として動ける数人が敵の目を盗んで外へ脱出する道を探していた。カンファレンスルームは長くは持たない。ここが見つかるのは時間の問題だった。目下、全員が安全に脱出できる策を模索している。

 教授は更に小声で話しかけた。

「すまんな。私は一番、正義という言葉が嫌いなんだ。お綺麗な正義と信念を振りかざす奴らが自分勝手な理論で悪戯に他者を攻撃する。自分達のことは棚上げしてな。奴らには対話なんて言葉はない。くそくらえだ。」

 言葉に憎しみが籠っていた。常に温和な教授が、ここまで感情を顕わにするのは珍しい。過去に一体、何があったのだろうか。

「教授の考えは判りました。でも、それと病院の襲撃が結びつかない。何でここが標的になったのですか?」

 窓越しに中庭の様子を見た。やはり二人一組の武装した連中が生存者を探している。完全に取り囲まれていた。いや、これは逆に誘導されている気がする。あからさまに研究所へ続く通路だけ誰もいない。

「この病院にムクロを作ったオリジナルの検体があるからだろう。」

 地図を確認するのを辞めて、教授の顔を見上げた。皺が一層増えて、疲れ切った顔をしている。

 教授の話に寄れば、生物兵器として、一般人のみを排除する目的で作られたのがムクロだった。その元は異界の穴付近で大昔から祀られていた知恵と豊穣の神だ。

 十数年前、機構の前身であるボランティア団体に所属していた、ある異能者が異界の穴を通って現世にやってきた生物がいること。そして、その生物はとある神社に神として祀られていると仮説を立てた。その仮説の元、権力者の団体と手を組んで、権威と大金を見せびらかし、神主らに土地ごと神を引き渡すように要求した。だが予想外に住民や関係者の猛反発にあってしまう。

 そこで彼らは一番邪魔な神主らを含む神社関係者の全員殺害し、神を奪取した。メディアにも圧力を掛けて表向きに、この事件は狂人による無差別殺人と処理される。疑問を持った住民やジャーナリストは金や名誉棄損の訴訟で黙らされるか、あの世行きとなってしまった。

 その後、支持者を増やし潤沢な資金を蓄えた組織はボランティア団体から機構に生まれ変わった。そして捕らえた神にナンバーをつけ、研究の名の下に惨い仕打ちをした。その神を元に人為的に作られたのが五体のムクロだ。

 ムクロは心を持ち、人のように経験と知識を蓄えることができた。だが、だんだんと人間の手には負えなくなる。凶暴さと残忍さが増し、人間の命令に背く様になっていく。その後は世間が知っての通り、施設にいた者達を文字通り食べて研究所の外へ逃亡し、全世界に被害を齎すこととなった。

 この施設の運営は機構の下請け会社と他の組織が共同委託で行っていたため、ムクロの誕生と機構に関わりがあったことは、あまり知られていない。

事件の際、生き残った職員が命からがら持ち帰ったオリジナルの心臓と、神社で祀られていた神具が国際研究機関に渡り、この病院に秘密裏に保存されている。

 モニカは地図に二つのルートを示した。それを見て、教授は首を横に振る。

「その心臓と神具を今更何に使うって言うの?こんなに人を殺しておいて!」

「さあ、そこまでは何とも。私の推測では異界の穴を増やして、ムクロの天敵となる新たな生物を呼ぶつもりじゃないかと疑っている。彼らはハブとマングースの話を知らないみたいだ。まあ、法治国家に住みながら、一方的な人殺しを容認する偽善者どもの思考なんて私には到底理解できないな。」

 顔は笑っていたが相当の怒りが読み取れた。目の前にいる人物も、この極限状態を引き起こした連中に頭に来ているようだ。

 この話に巧君はどう関わっているのかしら。

いつだったか、此処ではないカンファレンスルームの前で立ち聞きしてしまった話を思い出す。

 喉元まで込み上げる疑問を、今は押し込んだ。そんな場合ではない。とにかくこの場にいる皆を生きて、病院の外へ逃がすために全力を尽くさなければならない。

「教授、私も…。」

 次の言葉は節くれだった大きな掌に遮られた。

「何を考えているか。察しはつく。だが君は駄目だ。若く、未来と才能がある。私が囮になる。私はね、妻と子供はムクロに殺されている。この世に未練などない。」

「お断りします。一人より二人の方が生存率も上がるわ。私だって家族はいない。貴方と同じ立場です。」

「…彼氏は良いのかい?」

「彼は私には勿体なくらいの良い男です。きっと、この決断を理解してくれます。」

「女傑という言葉は恐らく君のためにあるのだろうな。」

 もう一度変更したルートを表示すると、今度は大きく頷いた。作戦が決まる。

「ベストを尽くそう。なに、心配はない。人にはいつかお迎えが来る。それが速いか遅いかの違いだ。」

 震える足を叱咤して、取り急ぎ大勢が待つカンファレンスルームへと急いだ。無理と分かっていても誰一人死なせる気などない。

 斥候で散った人々が戻ってきたので、教授はすぐに作戦の説明を始めた。


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