第9話
それから少し時が経ち、そろそろ車椅子を外そうかと話が出ている頃、病室に吉田は駆け込んで来た。巧がサイドテーブルで食事を食べていたが、構わずベッドにダイブする。巧も分かっていて、テーブルや食器を押さえた。
「どうしたの?」
「聞け!俺な、来週から臨海学校に行ける!」
協調性回復プログラムが一定の効果を出したとAIに判断され、地域の学校行事に参加できることになった。
浜辺の施設で四泊五日、地域に住む子供達と様々な催し物を体験する。最終日に施設周辺の観光もできると書いてあった。初めて親元を離れ、宿泊するイベントに大興奮だ。友達百人できるかな。いや、百人も参加してないけど。可愛い女の子は絶対にいる。
嬉しくて転がりまわる吉田を見向きもせず、巧は苦手なピーマンを箸で突いた。俯いて皿の中を覗いている。
「…良いな。僕も行きたい。」
「おお。巧君、嫉妬かな?心配すんなや。お土産買って来るから!」
巧はようやく顔を上げて、頷いた。
その落ち込んでいる様子に多少の違和感は感じたものの、機嫌が良い吉田は無遠慮に頭を掻き回し、今日は何して遊ぼうかと問いかけた。
この時から、何だか嫌な予感はしていたのだ。そしてこういうものは、往々にして馬鹿に出来ない。
次の週に吉田は無事、臨海学校に参加した。そこで負けず嫌いを遺憾なく発揮し、水泳競争で上位にランクイン果たす。肝試しや施設見学、夜の恒例枕投げに参加し、友達を大量に作った。はしゃぎ過ぎて、一部の人達から騒がしいだの、顔が気持ち悪いなどと文句を言われたが痛くも痒くもない。
そういえばAIの診断に寄ると精神値が同い年の平均より随分高いそうだ。野次や罵倒、陰口も、ある程度耐えられるらしい。年の離れた兄にお前の場合は無神経って言うんやと呆れられたこともある。
本人に言わせればこういう事は楽しんだもん勝ちだった。人の悪口で時間を潰すなんて人生の損。喧嘩は売られた時に最高値で買うべきもの。ジャングルに住む百獣の王は無闇に力を誇示しない。
家族や親しい人々が聞いたら、ありとあらゆるツッコミが入りそうなことを考えながら、帰りのバスの座席に座り込んだ。
家族用と研究所の先生達、少年野球の友達に個別包装のお菓子をそれぞれ買った。巧と自分の分は甘い物を避けた。以前、チョコを一緒に食べたら、それだけで両親を呼び出され、かなり叱られた覚えがある。
巧は何でもない顔をしてはいるものの、不自由な生活強いられていた。そんな子の前で自分だけ好きな物を食べるのは良心が痛む。許可が下りたら、すぐにお菓子を持ち込んでパーティーする予定だけど。
巧がいつも寂しがっているのは何となく感じていた。きっと寂しいと言ったら逆に迷惑だろうと考え、黙っているのだろう。自分で強くなると宣言した日から吉田にあまり依存しないよう頑張っている。一人でいる時は全く遊ばずに歩行訓練をしているのも周りから聞いて知っていた。今回は、それを知っていて、敢えて目を逸らした形で参加した。
俺の周囲って年齢に関係なく強い人達ばかりやな。勿論、俺を含めて。
目の前に小さな紙袋を翳す。中にはグローブと野球ボールのキーホルダーが入っている。いくら何でも男同士でお揃いにはしたくなかったから自分用にサッカーボールのキーホルダーを買った。
お土産は、これと浜辺で集めた貝殻を渡そう。本物の海を見たいと言っていたし、必ず行くんだと強く思ってくれたら、もっとリハビリを頑張るだろう。そしたら来年には退院できるかもしれない。もし退院できたら海も街も行きたい放題だ。そんな期待が持てるぐらい最近の巧は、ようやく健常者に近い生活を送れるようになっていた。
バスが休憩所の中へと入る。駐車場に止まった途端、大人達が慌ただしく降車する。
「あれ?先生?」
付き添いの担任の先生と、顔見知りの病院の先生が何事か早口で話している。いつも厳しい顔をしている先生が眉間に皺を更に寄せてデジタル腕時計から医者免許を見せた。それを確認すると担任の先生がすぐに誰かと連絡を取り、頷く。
考えるより先に急いで荷物をかき集めた。きっと何か良くないことが起こったのだ。
間を置かずバスの降車口から二人の先生が顔を出す。
「吉田君、巧の容態が危ない!すぐに来てくれ!」
ざわつく子達を尻目に出来る限りの速度で吉田はバスから降りた。
先生は吉田の腕を素早く掴む。高そうな車の助手席に座らせた後、緊急事態のため法定速度をある程度無視して病院へと向かった。
車内で巧が臨海学校に行った日から突然体調を崩したこと。昨日、大きな発作が起きてしまい危ない状態が続いていると説明を受ける。
旅行に行く前の悲しそうな顔を思い出す。まさかあの時から体調が悪かったのではと勘ぐってしまう。
はよ、言えや。ボケ。皆をこんな心配させて。
重い沈黙で満たされた車内で吉田はぎゅっと服の上から心臓の辺りに触れた。
病院に車が停車すると、脇目もふらずに三階の病室へ駆けた。後ろで先生が静止の声を上げたが聞こえない。
手術着に身を包んだ大人達が病室の前に居た。その群れを押しのけるように入室する。
中には初めて会った時を彷彿とさせる青白い少年が真っ白なベッドに横たわっていた。人工呼吸器をつけ、目からポロポロと涙を流している。
形振り構わず巧の手を縋りつく。
神様仏様。お願いします。巧を救って下さい。こいつ、まだ何もしてません。やりたい事、なんも出来てません。お願いだから連れて行かないで。
震えが止まらなかった。こんな酷い発作は見た事が無い。呼吸器の音で声は聞こえないが、苦しみと痛みが伝わって来る。
どうしよう。このまま死んでしまったら。俺、何も出来ずに、間に合わなくて。そんなことになったら、どうしよう。
弱気になる心を必死に押さえつけた。祈るように両手で右手を包み込み、目を瞑って集中する。丹田に力を入れ、遠くへ行ってしまう巧の意識を必死に手繰り寄せた。
戻って来い!こちらに戻って来てくれ!巧!
蒼い温かな光が室内に灯る。光は手から腕、肩から頭と巡り、やがて少年の全身を包み込んだ。
「すごい…。」
室内にいる誰かが呟いた。あんなに手の施しようがなかった患者の呼吸が落ち着いていく。見開いていた瞳の焦点がようやく合った。
「お兄ちゃん?」
微かに巧の口が動く。
それを見た大人達もすぐに動いた。医療機器をテキパキとつけて、吉田をベッドから離し、危険な状態を脱したことを数値で確認する。
誰かが吉田の肩に手を置き、もう大丈夫だよと声を掛けた。
その様子にほっと安心して、疲れが肩に圧し掛かった。同時に視界がぐるりと回って、背後から床に崩れ落ちる。
「吉田君!」
流石にあんだけ動いて帰って来てから、すぐにこれはしんどくない?
そう話したつもりだが、言葉が口から発する前に吉田は意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます