第8話

 事件から約一年の月日が流れた。

 その間、巧は一人で立ち上がり、ゆっくり歩けるまで回復していた。歩行訓練が開始された時、吉田の病室に訪れる頻度が毎日から週四日に変更された。発作の頻度も少なくなってきたため未特定の能力に頼るより、巧個人の免疫力と異能を底上げして通常の生活を送れるようにするためらしい。

 もうすぐ車椅子も要らなくなると先生達は太鼓判を押した。

 ある程度、動けるようになると研究所は子供達の遊び場と化した。建物の一階に使われていないホログラム室あったので二人は先生達に頭を下げ、外出しない代わりに入室権限を貰ったことが大きい。そこでは解像度の高い立体映像が何の装置も付けずに体感できる。巧達は流行りのゲームをしたり、外の映像を見て楽しんだ。

 また不審者が再度来た時に備え、一目見て病室と思わないよう工夫すべきだと吉田は提案した。病院内の一体どこから見つけてきたのか、人を駄目にするクッションなるものを置き、機材に布製のカバーを掛けて談話室を装うことになった。

 病室の内装を変えた後、何故かモニカが目に見えて落ち込んでいたので病室に招いたことがある。吉田が偉い先生、巧が秘書の役になり本物のコーヒーを入れて相談を聞いた。

「よう判らんけど、世の中に男は星の数ほどおる。俺はどう?これから出世間違いなしで、身長も高くなる予定や。将来有望株やろ?今ならお買い得やぞ。」

「僕もモニカさんの為なら頑張って美味しいコーヒー入れるよ。だから元気出して!」

 どう見てもインスタントコーヒーが入っている紙コップを眺め、重々しく頷く。

「私、失恋していないわよ。」

 子供達は顔を見合わせた。

「何や、つまらん。姉やんは笑いの基礎がなってない。そうなら、もっと早めに上手く突っ込まんかい!」

「何事にも基礎があるんだね。」

 一つ学んだと巧が真面目な顔をした。微妙に会話が成り立っていない。そんな子供達の様子に頭を抱えた。

「…心遣いは受け取るわ。ありがとう。でもね、良い女って簡単に弱音を吐かないものよ。私に見合う男になってから、もう一度口説きに来なさい。」

 余裕とも思える微笑みに二人は見惚れた。この人とは結構、長く顔を合わせている。だから心配を掛けまいと気丈にも振る舞っているのが判った。強くありたいと願う、その姿勢に幼いながらも吉田は共感した。

 こういう大人の女性もいるんだ。強い人だ。でも彼女にするなら、花のように可憐で清楚な笑顔の可愛い女の子が良いな。こう、守ってあげたいって感じの。

 真剣な表情で考え込んだ。それを見て勘違いしたのか、彼女は咳払いして話題を変える。

「それより職員の椅子に日替わりでブーブークッションを置いている犯人が知りたいのだけど。」

 二人は互いを指さしたので、モニカは言い分を一切聞かず、両方ともデコピンをした。

 室内に明るい笑い声が響き渡る。子供達が元気に遊びまわる日々が研究所で最早日常になっていた。



「巧のアホ!もう知らん!話しかけてくんな!」

 罵詈雑言を浴びせて、少年が部屋から飛び出すのが見えた。続けて病室からは大きな泣き声がする。十中八九、巧君のものだ。

 まったくもう。これじゃあ、本当に託児所じゃないの。

 モニカは所属科の外来担当が終わり、異研でお昼でも取ろうと思っていた矢先だ。あの子達に何があったかは知らないが、己の職業は保育士でも学校の先生でもない。医者だ。

 口の中で文句を転がして、巧の病室へ入る。

 誰かが室内に入って来るのを分かったのか、涙を見せないように、壁に向かって、うずくまっていた。嗚咽を漏らして、震える背中が痛々しい。

「何かあったの?」

 強情な事に涙声で何でもない、と言う。両手で何度も涙を拭いているのに。一丁前に隠しているつもりらしい。この子は本当に年齢の割には大人びている。

 この年頃の自分は、どんな風だったろうか。もう遠すぎて思い出せないけれど、もっと我儘で自己中心的で親に迷惑を掛けまくっていたはずだ。

 モニカはベッドに腰掛けて、背中を擦った。

「アイツが何かしたなら、私がまたきつく叱ってあげようか?」

「違う!お兄ちゃんは悪くないもん。」

 この期に及んで、暴言を吐いた相手を庇うとは大したものだ。

「そお?世の中っていうのは信頼と実績がものをいうのよ。その点、アイツはちょっとおイタが過ぎているわね。」

 ベソを掻いていた巧が顔だけ、こちらを向いた。目も耳も鼻も真っ赤だ。折角の男前が台無し。

 髪を優しくかき混ぜる。以前と比べて肌色が大分良くなってきた。ようやく丸みを帯びてきた子供特有の柔らかい頬にそっと手を添える。

 巧は添えられた手に自分の手を重ねた。

「‥お兄ちゃんには言わない?」

「言わない。言わない。」

 薄汚れた大人の嘘に騙されているとは知らず、案外、素直に何が起こったかを話してくれた。

 喧嘩の内容は、こうだ。以前から吉田は自分が所属する少年野球チームの試合を観に来るように巧を誘っていた。巧自身も吉田が幼馴染と一緒にやった完全試合の話を聞いたりしていたので野球に興味があり、行きたいと思っていたそうだ。

 しかし外出の許可が出ない。リハビリを頑張っても駄目だった。痺れを切らした巧は野球に興味なんてないと拗ねてしまった。それを聞いた吉田が激怒し、言い合いになって飛び出して行ってしまったようだ。

「お兄ちゃん、何だかんだ野球が好きなんだよ。なのに僕は、あ、あんな、もの見たって、面白くもなん、なんともな、いって。」

 思い出したら、また涙が出てきたらしい。頬の手を外し、そっぽを向いて顔を隠した。

「お兄ちゃん。もうここに来ないって言ってた。僕、馬鹿だ。本当に来なかったら、どうしよう。お兄ちゃんの周りには一杯の人がいるけど、僕にはお兄ちゃん、たった一人しかいないのに。きっとすぐに僕のことなんて忘れちゃう。そんなことになったら、どうしよう。嫌だ。嫌だよ!」

 最後は泣き声になっていた。

 必死な巧とは裏腹に、モニカは心の中で少年の言動に拍手喝采だ。

 この子は勉学では測れない頭の良さを持っている。自分のやってしまったことを客観的に捉え、相手のせいにせず自らの反省点まで出してみせた。大人だって出来ない人が大勢いる。こんな限られた世界に生きる十に満たない年頃の男の子が、ここまで達観した物の考え方を出来るとは。とてつもなく、すごい。

「ぐずぐず泣かないで。あの子はかなりお調子者だけど、そこまで薄情じゃないわよ。次に会ったら、ちゃんと謝って仲直りしなさい。出来るでしょ?」

 涙に濡れた瞳を腕の中から少し出して、巧はうんと頷いた。

 巧は基本的に良い子だ。そして私は、そんなこの子に絆されてしまっている。

 モニカはその後に二、三の言葉を交わし、お昼を食べる名目で病室を一時退出した。目指すは外来病棟の五階にある屋上。吉田がお見舞いの後によく出没している場所だった。


 案の定、吉田はフェンス越しに外を見ながら、おにぎりを食べていた。

「隣、良い?」

 少年の許可が下りる前に隣に座り、お弁当を広げる。

 お昼休み時間の後は何があっただろうか。今日は救急当番ではないから呼び出される可能性は低い。予約のある外来診療は午前中で終わっている。少しお昼の時間が伸びても、今のところ問題なかった。

「何?今、お説教を聞きたい気分やないけど?」

「知っているわよ。だから私もお昼を食べてんじゃない。」

 自分で作っているから茶色の多いおかずに、ちょっと溜息が漏れる。なるべくバランス良く食べたいけど、朝に起きるのが辛いとおかずの品目にも手を抜き勝ちだった。ご飯も適当に詰めているから端に偏ってしまっている。彼氏には絶対見せられないお弁当だ。

「なあ、姉やん。何で巧は外へ出られんの?」

「要因は色々あるわ。まず普通の子達より体の免疫力が低い。足が思うように動かせないから車椅子のある施設じゃないといけない。あとは発作が起きても対応できる医者が数人は必要。でも異能を取り扱う専門の医者は数が多くない。ここも研修医と出向中の医者を含めても数人しかいないのよ。その人達全員の予定は合わせられない。いつも異研に詰めている人達は研究員であって医者じゃないし。もし巧君に何かあった場合、責任の所在も不明ね。ご家族がいないから。実質、無理。」

 唐揚げを箸で摘まみ、事もなげに話す。

 吉田はちょっと驚いたように、モニカを見た。

「子供やから、適当に誤魔化されると思ってた。」

「あんたの場合は誤魔化したら、答えが見つかるまで探りまくるじゃない。」

 少年の日頃の行いが頭を過ぎる。モニカはわざとらしく目頭を押さえた。

 その言動に少年はむっとした顔をする。

 風が通り抜けるだけの時間、二人の間に沈黙が落ちる。口火を切ったのは、やはり吉田の方だった。

「巧、野球の試合に行きたい言うてんねん。どうにかしたいやん。大人でもどうにかならんの?」

「ならない。命に関わるのよ。大人だからこそ、そんなことさせられない。」

「俺、発作は抑えられる。」

「発作後の処置は出来ないでしょ。抑えりゃ良いってもんじゃないのよ。抑えられるのは、すごい事だけど。」

 吉田は俯いて、おにぎりを見つめた。ぐずりと鼻を鳴らす音が聞こえる。

 こっちにも泣かれては困るので慌てて、モニカは言い募った。

「あの子はリハビリをいつも頑張っている。発作も段々少なくなって来てるじゃない。危険な状況からは脱している。今は未だ無理だけど、もっと容態が安定したら絶対に外へ行けるわ。野球の試合でも、なんでもね。それまで待ってあげて。」

「嫌や。今が良い!今すぐ!だって巧、野球のこと、あんだけ馬鹿にして。俺に下手くそなんて言ったんや!一回も観てもないくせに!絶対に見返したる。あのバカに野球は面白いって言わせる!あの、アホ。バカ。巧のバーカ!俺の華麗なる活躍でも目に焼き付ければええんや!バカが!」

 悔し涙が一筋、頬を伝う。なのに、文句を言い終わった後はご飯をもぐもぐ食べていた。

 なんだ。自分が貶されたことと、好きな野球を馬鹿にされたこと、巧が外へ出られないことの全てが悔しくて、こっちも空回っているのか。

 そういえばこの子達、仲良くなってから初めての喧嘩だったかしらと内心で思った。喧嘩しても、すぐに仲直りできたり、日に何度も会えるのは子供の特権だ。大人になったら、こう上手くはいかない。

「酷い事言われたみたいだけど、あの子の本心じゃないわ。上手くいかないことがあって周囲に当たってしまうなんて、よくあるじゃない。職業柄ね、子供でも大人でも、そういう人達を沢山見てきた。まして巧君はあんたより三歳も年下よ。あんたに追いつこうと、いつも焦っている。だから言葉が空回ってしまっただけ。巧君の性格を私より知っているんだから分かるでしょう?」

 その発言を聞いて、吉田は目を三角にして怒りだした。

「やっぱり姉やん、説教しにきたな!裏切者!いつも巧の肩ばっかり持って!」

「失礼な。説教じゃないわよ。たまたま通りがかったから、お昼を食べながら諭しているの。全然、違う。」

 言いながら、おかずを素早く食べる。お茶に手を伸ばし、ご飯と共に飲み込む。こんな不健康な食べ方をいつもはしない。

 吉田はじっと、その様子を見て何か考えているようだった。そして何かを察して身体ごと、そっぽを向く。

 全然、素直じゃない子供に更に声を掛けた。

「あの子、落ち込んでいたわね。きっと次に会ったら、すぐに謝ってくれると思う。何かあっても、あんたのせいにした事がこれまでにあった?自分に非が無くても、いつも庇ってくれるじゃない。格好いいなー。年下とは思えない。自分の過ちに気付けて、ちゃんと謝れるのは大人ね。そこのところ、あんたはどう思う?巧君より三歳年上の吉田君は。」

 少し煽れば、背中が震えた。

 ああ、色々と心当たりはあったのか。思っていたより、こちらもかなり精神的に大人だったようだ。

「姉やんが何と言おうが俺からは絶対に謝らん。絶対や!俺はちっとも悪くないからな!で、でも巧の病室に忘れ物したから、それを取ってくることにする!べ、別にちょっと言い過ぎたなーなんて、ちっとも思っていないからな!」

 それは言い過ぎたと思っている人の発言じゃない。今は少年のツンデレでも流行っているのだろうか。一周回って最先端の流行りを行っているかもしれない発言に少し笑いが込み上げた。

「もうちょっと待ってくれれば、お昼を食べ終わるから一緒に付いて行ってあげようか?私も巧君の病室に忘れ物しちゃったかもしれない。」

「お断りしますぅー!ゆっくり食べなはれ!」

 品が無い事に舌を出して、少年は、さっさと立ち上がる。脇に置いていた荷物を片手で取って、異研への道を歩き始めた。

 肩を、わざといからせて歩く背中にダメ押しで声を掛ける。

「友達は大事にしなさいよー!大人になってしまったら作るの、大変なんだからねー!」

「うっさい!巧は俺の弟や。友達やない!勘違いすんな!」

 可愛くない発言に堪えきれず、笑い声をあげた。

 自尊心の塊かと思いきや、こちらも中々見どころがある。大人の遠回しな当てつけも分かるなんて。それに感情に支配されても周囲を振り回さず、ちゃんと反省した。今時の子供は情緒の発達が結構速いのか。それとも、あの子達が特別なのだろうか。どちらにしても今回の喧嘩は丸く収まりそうだった。

 慣れないお節介をした甲斐があったわね。そう思って肩を竦める。

 モニカには昔、弟がいた。両親がムクロに食べられてしまった後、二人で避難している最中に離れ離れになってしまい、それきり行方も掴めない。生きているのかさえ分かっていなかった。

 私はあの二人に弟の面影を重ねている。だからなるべく仲違いなんてして欲しくない。怪我もして欲しくないし、元気でいて欲しい。泣くのも苦しむ姿も見たくなんてなかった。こんな風に思うのは傲慢で馬鹿なことだと百も承知だ。でもせめて私の目の届く範囲で起きたことなら、助けてあげたいと思う。

 食べ終えたお弁当を風呂敷の中へ包み、顔を上げた。見渡す限り広がる青空と暖かな太陽に目を細める。

 これで午後の回診までに仲直りしなかったら、ちょっと二人にお灸をすえてやろう。でも、もし仲直りしていたら時間の許す限り、二人の相手をしてあげよう。

 凝り固まった身体を伸ばし、新鮮な空気を吸い込んだ。

 さて、午後のお仕事も頑張りますか。思ったよりお昼時間が多く取れたことだし。

 そうしてモニカは自らのデスクがある医局へと歩き出したのだった。

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