第7話


 二、三日の間、病院は上から下まで大騒ぎだった。

 不法侵入及び殺人未遂で捕まえられた男性は、その日の内に警察に連れて行かれた。動機は未だに分かっていない。現在も取り調べ中らしい。

 モニカだけは人生で初めて事情聴取なるもの何度も受けることになった。最初は大人しく事件の概要を説明していたが、似たようなことを異なる人間から何度も聞かれ、おざなりな説明になりつつある。一方、子供達は年齢を慮り、研究室の人間立ち会いの下で事実確認だけに留められた。

 当事者達と監視カメラ以外、誰も事件現場を見ていない筈が様々な憶測が飛び交った。

 黒い服装の大男が子供に襲い掛かりモニカが素手で撃退したとか。物理転移の異能者が強盗目的で病室に侵入し子供達が物を投げて反撃しているのを、たまたま目撃したモニカが後ろから絞め落としたなど。ほどよく事実と想像が織り交ざっている。

一々間違いを説明するのも面倒になり、半日で匙を投げた。もう勝手に噂をすればいい。

 しかも噂により時の人になった子供達を一目見ようとする職員が増えたので、巧の病室が三階に移動してしまった。

 いい大人達が何をやっているのよと、毒づかずにはいられない。

 お調子者の吉田が巧の代わりに喜々として対応していたと人伝に聞き、大きなため息をつく。あの子なら、さもありなん。この程度の事件でトラウマの心配をする必要などなかったか。どうやったら、あんな図太い神経を持てるのか。とても不思議だ。

 研究所の処置室の前にある鏡で右腕を見た。

 男性によって深く切り裂かれ鮮血が飛び散ったというのに、うっすらとしか傷が残っていない。事件当日も血の量の割には傷口が大きくないと首を捻っていた。恐らく明日には跡形も無く消えている。

「絶対、おかしい。」

 自分は異能者ではない。なのに、この治癒力はあり得なかった。見れば見る程、不安で心がいっぱいになる。

 駄目だ。もう限界よ。不自然な事が多すぎる。今日こそ石井准教授にお願いして診察時間を設けて貰おう。

 そう心に決めて五階のカンファレンスルームへ向かう。こんな時のために准教授の予定は逐一把握していたのだ。

 実際に行ってみて、五分ほど待った。だが会議が長引いていて、なかなか外に出てこない。我慢できなくなり、ノックしてみようと扉の前に立つ。

 部屋の中から二人分の話声が聞こえる。

「まさか、あの男は機構軍の差し金ですか?」

「さあ?証拠はない。さっき連絡があったが犯人は警察署内で自決した。真相は闇の中だ。」

 不穏当な会話を耳にした。声の主は教授と石井准教授だ。明らかに聞いてはいけない話だが犯人が亡くなったと聞き、思わず動けなくなる。

「しかし七年前、あんなに唯一救えた命だとか持ち上げておきながら、なんでまた。」

「機構本部の圧力だろう。あいつらはムクロを倒すことよりも生物兵器の開発にご執心だ。私たちが国から押し付けられた検体を全て持ち去りたいのさ。もう既に色々と難癖をつけて来たよ。」

 革の椅子が軋む音がする。同時にタイピング音が聞こえ出した。

「最近では、あの子の友達にも興味を持ってしまってね。能力特定テストもこちらでやらせろと煩くてかなわん。」

 吉田の能天気な笑顔が浮かんだ。普段はうるさくてしょうがないが、あの明るさは苛酷なリハビリで暗くなりがちな巧にとって、どれだけ救いになっていることか。

 本人も判っていて、わざとおちゃらけている節がある。実は頭が良いし、空気が読める少年だ。

「208の検体だけ渡してみては?ただ地下で保存しているだけでしょう?」

 地下に何かを保存する施設があるとは初耳だった。地下は駐車場や職員食堂ぐらいしか、よく知らない。病院敷地内にある建物は後から増築したものが多く、来院された人達の殆どが迷っている。モニカも未だにどこの建物が繋がっているか全体を把握していない。

「何故こちらが迷惑を掛けてくる相手の意思を汲み取ってやらなくてはいけない?…心臓の移送は手続きが煩雑だ。しかもあの子にどんな影響が出るか判らない。渡す意味がない。」

「そうですか。…貴方は彼を息子のように思っているのですね。」

「おや、精神感応者は直ぐに人の心を覗くのかい。無遠慮だな。」

 タイピング音が止まり、厳しい声音が響いた。

「推測ですよ。能力ではない。この研究所に何年勤めていると思っているのですか。」

 非常勤ですけどね、と溜息混じりに准教授が返事をする。

 まったく知らなかった。何年も前からの研究所に来ていたのか。

「私はね、あの子達にただ普通の人生を送って欲しいだけだ。友達や愛しい人と出会い、大人になり、好きなことを見つけて次の世代へバトンを渡す。それだけを願っている。」

「助力しますよ、私も。精神感応者って基本的に感情が引きずられてしまうんです。若い頃の青臭い正義感って年老いてからは修正できないもんですね。」

「私は年寄りになったつもりはないがね。酷い言い草だな。」

 室内に和やかな雰囲気が戻ったのを確認してから、扉から離れた。

 これ以上は聞いてはいけないと思い、遅まきながらも、なるべく音を立てないよう速足で距離を取る。

(待って。廊下の角から人が来る。トイレに隠れて。)

 前方から話声と影が二つ近づくのを確認し、反射的に脳裏に響く声に従った。気配が完全に過ぎ去ってから、トイレを飛び出し階下へと駆け下りる。

息を整え、手近にある鏡を覗き込む。

 貴方は一体、誰?

 目の前には今にも泣きそうな顔をした自分が映っていた。

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