第5話


 自宅の洗面所で手を洗う。

 一人暮らしだからという理由にしては物が少ないねと、よく彼氏に言われる。医者として勤務時間が長く、掃除や片付けが億劫になってしまうため極力余計な物は持たないようにしていた。

 だから、なのだろうか。自分以外、誰も居ない洗面所に得も言われぬ不気味さを感じてしまう。

 ふと鏡を見ると、化粧を落とした自分の不安そうな顔が映る。

 最近、とても疲れていた。慣れない研修内容に、長時間の手術、我儘な患者の診察、院内システムの故障によって予約が一昔前の電話による応答になったのもストレスの要因だ。

 特に異研の特別病棟にいる少年たちの面倒を押し付けられてしまい、何か起こると連絡が必ず回ってくる。

 私はあの子達の保護者じゃないわよ、と何度異研の連中に言ったことか。

 そのせいか。慢性的な疲労と寝不足で朝起きて出勤したと思ったら、いつの間にか夜になり玄関の前に立っていたことが何回もあった。そういう時はいつも、その日に病院で勤務した覚えは一切ない。

 もしや若年性痴呆症かもしれないと強迫観念に駆られ、専門外の資料を取り寄せたぐらいだ。

 記憶が飛んでいる時は決まって、困難な問題を解決して己の株を上げて居たり、苦手な同僚を上手くいなしていたりしているようだ。

 この前も身に覚えのないお礼のメッセージカードと共に甘いお菓子がデスクに置かれたのを見た。

 最初はラッキーと思って前向きに捉えていた。しかし時が経つにつれて、記憶を失う間隔が短くなっているのに気が付くと、だんだん恐怖を感じるようになった。

 もしかして能力者が私を操っているのかしら。

 十数年前に、ようやく政府が能力者の把握に乗り出して、ほぼ全ての人が異能を政府公認の機関に登録している。しかしどこにでも悪人はいる。能力者の犯罪は絶えない。当たり前だ。能力者でなくても罪を犯す人々はいる。特に異能は被害者が一般人の場合、証拠が、なかなか出ないので立件が難しいようだ。

 モニカは異能者ではない。ただのしがない前期研修医だ。

 今のところ実害が無いだけで、もしかしたら凶悪な犯罪に巻き込まれている可能性だってある。

 だが相談できる近しい家族や友達がいない。愛している人々は全て、幼い頃ムクロに食べられてしまった。唯一、話を親身になって聞いてくれそうな彼氏も仕事の都合で明後日から数か月の出張へ行ってしまう。

 いっそのこと異研の非常勤で精神感応者の准教授がいる。その人の来院日を狙って相談してみようか。

 気のせいだよ。疲れているんだねと言われればそれまでだ。勘違いの可能性は大いにある。しかし、その言葉を貰えれば気休め程度にはなるだろう。

顔を洗い、化粧水をつけて寝室へ向かう。週に一回の当直明け勤務は体内時計が狂ってしまう。早々に寝て、明日に備えよう。

 モニカは気が付かなかったが彼女の去り際に、鏡に映る自分が悲しそうな顔でこちらを見ていた。

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