第3話

 その子は七年前にムクロの巣で見つかった。

 生まれたばかりの乳飲み子は巣の中でも食糧庫と呼ばれる死体置き場に放置されていた。

 異能者で構成された討伐隊の証言に寄れば、白い布に包まれて怪物達に食べられぬよう死角に隠されていたそうだ。

 当時、討伐隊の人々は初めてムクロの巣に乗り込み、本体を倒すことが出来た。しかし救出出来たのは、その赤ん坊ただ一人であった。

 三十年前、国際機関の研究所が不慮の事故で世に解き放ってしまった食人生物がムクロだ。現在、四体が未だに世界中で人を喰らい続け、人類とムクロとの戦いは膠着状態に陥っている。

 ムクロは大都市など人口が集中している場所に巨大な白い繭の作り、そこで人を食べて、知能の低い変異体と呼ばれる緑色の流動体生物を産み、その変異体が新たな獲物を捕らえ、巣に持ち帰る。このムクロや変異体は銃や剣では弱らせることは出来ても殺せない。止めを刺せるのは異能者だけだった。

 救い出された子供は引き取り手が無く、施設に預けられることになった。しかし間を置かずに病院へ入院してしまう。原因は彼の持つ異能が強大なため、幼い人間の身体に耐え切れず、徐々に衰弱してしまうからだ。それは一億人の一人の確率で発病する難病だった。特効薬も無く、対処法も不明。ただ死を待つばかりの子供がつい先日、手を握られただけで劇的な回復をした。これを奇跡と呼ばずに何と言おうか。研究所に勤め、この話を聞いた人々は口々に言った。

 奇跡は構わないけど、やることを増やさないで欲しい。状態がある程度は安定する予測なら一般病棟へ移してよ。

 大体、つい最近まで死にかけていた患者の診察を研修医に任すのも、どうかしている。指導医の帯同もないじゃない。人手不足もここに極まれりね。

 モニカは紙の書類を捲って、例の少年の部屋の前にいた。無機質な白い廊下に子供の笑い声が響きわたる。

 この建物は国際異能理化学生体研究所、通称異研と呼ばれている。病院と併設されて建てられた研究所だ。

 現在、研修医一年だがチームを組んでいた同期の一人が謎の腹痛や寝坊、身内の不幸によって来なくなってしまった。手術を体験した人間は一定数、医者が嫌になる人がいるらしい。今年は研修生の人手が足りないので異研に属する入院患者の回診はほぼ一人で行うことになった。異能に関する病気全般を扱うため中央病棟にも患者の病室が点在しており、ようやく異研に入院している少年を診察すれば退勤できる。当直明けの勤務で疲れ切っていたので気持ちが尖っている自覚があった。一旦深呼吸して、平静を装う。

 気持ちを切り替えてからノックをする。返事がないので静かに入室した。

「そういえば、お前なんて名前?」

 ほぼ息のかすれた声が苦しそうに返事をする。

「名前が無いの。親がいないから。呼ばれる時はID番号かキュウちゃんって言われる。」

「キュウちゃん?」

「部屋の番号らしいよ。ここは209だから。」

「かっこ悪い名前~!よっしゃあ、俺がもっと、ええ名前付けたる!」

 数秒間の沈黙後、華やいだ明るい声が室内を満たす。

「たくみ、や。今日からお前の名前は巧。異能が巧みに操れますようにって。」

 モニカは二人の話を聞きながら、カーテンの中を覗き込んだ。野球のユニフォームを着て、大きなバックを背負った少年が、ベッドに横たわる患者の手を握っている。

 どうやら患者のある程度の事情は聞いているようだ。

「ありがとう。嬉しいな。」

 巧は微かに微笑んだ。

 数日前より断然、顔色が良い。身体の筋肉はまだ全然ついていないが、表情筋を動かせるようになっている。

「ええか?名づけ親は本当の親も同然。巧は俺のこと大切にせなあかんで。具体的に言うと俺の言うことは絶対や!」

 会話の雲行きが怪しくなってきたので、野球帽を被った少年を患者から引き剥がした。

「馬鹿なこと言わないちょうだい。ほら、貴方も別室に呼ばれているでしょう。さっさと行きなさい。」

 しっしっと手で追い払う。二人は揃って、不満な顔をした。

「えー!看護師さんのいけず!今、良い話してたやろ!空気読め!」

「空気を読んだから割って入ったのよ。あと私は看護師ではありません。時間厳守でしょ。遅れたら親御さんに通知が行くわよ。」

 そうきっぱり言い切るといきなり舌を出された。その態度に、いらっとしたので、乱暴に髪を掻き混ぜようとする。しかし動きを読まれ、するりと扉の方へ向かってしまう。

「巧、また後でな!」

 ぶんぶんと手を振り回して、元気よく廊下を駆けていった。遠くで誰かに廊下は走るな!と怒られている。

 明るいが嵐のような少年だ。しかも口がよく回る。

 彼は一日に一回、少年のお見舞いと、この研究所に訪れて異能の診断を受けることになっていた。治癒能力の所持者と目されていたが違うようだ。本人の力が、どう作用して難病が改善されたのか解明できていない。彼がどんな異能か早急に特定しないと、まだ幼い身だ。何がきっかけで彼の力が暴走するか判らない。その為、異研に訪れる度に様々なテストを行い、能力の特定をしようとしていた。

 ベッドの高さをパネルで調節しながら、モニカはため息をついた。

 子供だから元気が有り余っているのは分かる。だが度が過ぎる気がした。研究所に勤めている人達に煙たがられないと良いんだけど。

 顔を上げたモニカの正面に悲し気な目で黙って俯いている男の子が見える。その表情に、こちらはちっとも悪くないが酷い罪悪感に駆られた。

「ほら巧君も、そんな顔しないで。また来るって言っていたじゃない。」

 名前を読んだら巧はまた目を細めて微笑んだ。番号以外の名前を貰ったことが相当嬉しかったのだろう。

 友達も親も居ない。病室だけで世界が完結していた少年に初めて出来た友達だ。しかも、その友達は近くにいるだけで日々衰弱していく身体を治してくれる。

 この出会いは奇跡で間違いないわね。この子が生きることを最後まで諦めなかったから、起こったのだ。神様なんているか判らないけど、幸運を掴んだのは間違いない。

 モニカはこの大人しくも儚い子供の気持ちを尊重してあげたいと思っていた。

「カンゴシさんも優しいね。」

「だから私は看護師じゃないの。モニカで良いわ。医者で間違いはないけど、まだ研修が終わっていないもの。」

 肩をすくめて、なるべく冷静に返した。勿論、ただの照れ隠しだ。

外の世界を知らない純粋な心だ。大人の世界に慣れて来た身としては、この子の一挙手一投足がキラキラ光る宝石箱のように感じる。世の中に慣れて擦れてしまえば、きっと素直に気持ちを伝えてくれなくなる。

 早く全快して退院してくれないかな。そうしたら未来ある患者と医療従事者の双方にとって、それはとても良いことなのだから。

 回診を行いながら、そんな事を考えていた。

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