第2話

 吉田は不満だった。低学年の時に協調性に難ありとAIに診断され、学校に通わず自宅学習をさせられていた。そこまでは良い。決して良くはないが。数学では毎回高得点で、全体の教科でも優秀な成績を修めているから、勉強のノルマをこなしておけば近所で仲間と遊びたい放題だ。だからこの際、良いとしておく。

 協調性回復プログラムの一環で少年野球のチームに所属しているが、今日の試合前のことだ。なんと保護者に数名の異能者が居て、その人達が何故かチームの人事に口を挟み、やりたくもない捕手に抜擢された。

 人間は誰だってミスするだろうに、少しエラーしたり、ヒットを飛ばさないと悪口と陰口を叩かれた。

 試合結果は接戦後に負けてしまった。でも最後は俺のミスじゃない。外野のエラーだ。

 負けて皆が苛々している中、自分達が横槍を入れた癖に監督の人事に対して悪口を言った親の言葉を真に受け、チームメイトがあからさまに吉田に喧嘩を売り、それを高値でお買い上げした。これはもうしょうがない。どうも喧嘩を売られたら脊髄反射で買ってしまう性分のようだ。損な性格をしていると思う。変えようだなんて、ちっとも思わないけど。

 ちなみに喧嘩では勝った。俺って口論も強い。売る相手を間違えたな。

 大体、こっちにだって言い分がある。大人はお金を稼ぐ能力があるかどうか知らないが、何の人事権もない保護者が自分の子供の投手姿を見たいからって、お前は捕手をやれだなんて横暴だ。初めて出る公式試合だったのに。そりゃあ、もう何回もやったこともあるから捕手は出来るけども。本当は投手だってやりたかった。一番の花形だし。

 言い争いが見つかり、喧嘩両成敗で監督のお叱りを受けた。その後は家に戻らず、市内の外れにある病院の裏庭まで走って来た。ここには丁度良い壁があって、壁打ちや、キャッチング練習が出来るからだ。もう、かれこれ三十分は怒りに任せて壁に白球をぶつけている。

 せっかく家族が試合を観に来てくれたのに。冷や水を浴びた気分だった。何より本当に勝ちたかった。あとちょっとで勝てたのに。全部、人のせいにしやがって。野球はチームスポーツの筈だ。負けたのは俺だけのせいじゃないと唇を噛んでいた。

 思い出すと、また悔しさが込み上げて来た。力任せに壁に球をぶつけると、跳ね返った球を上手く捕れない。球は病院の塀を飛び越えて、二階の窓が開きっぱなしになっている病室へ吸い込まれていった。

「嘘!?」

 あの球は家に一個しかない。しかも最近、親に強請って買って貰った大切なものだ。失くしたら怒られる。

 すぐに取りに行かなければと思い、日頃から鍛えている運動神経を活用して塀を乗り越えた。病院の敷地内に無断侵入したが、幸いなことに誰も見ていない。

 風と木々のさざめきの中、吉田は走った。こっそりと行って帰らなければ、今度こそ父親に怒られてしまう。父は普段は優しい人だったが、周りに迷惑を掛けたり、女子に意地悪をすると烈火の如く怒る。道具を大事にしない奴も、あまり好きではない。今日の試合で何があったか聞いている筈だから、これ以上怒られる要素を増やしたくない。

 件の窓の近くに大木があった。それをひょいと登り、枝を伝って二階の窓に飛び移る。

 病室の中は薄暗かった。暖房が効きすぎていて、少し暑い。窓から見て奥のベッドは空だった。しかし中央に位置するベッドは白いカーテンが引かれている。そこには人の気配がするので誰かいるようだ。

 部屋の中には用途不明の医療機器があちこちに置かれている。機械の音がピッピッと不気味に鳴り、人工呼吸器の音と相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。

 気づかれないように靴を脱ぎ、そろそろと室内を見て回る。少し経ってから、扉の近くまで転がっていた白球を見つけた。ほっと胸を撫で下ろして、ポケットにしまう。

 背後から固い何かが落ちる音がした。びっくりして振り返ると小さな人工呼吸器が床に落ちている。しかも先程まで聞こえていた機械音が変化して、明らかな警告音が鳴り出した。

 突然の事態に慌ててしまう。とりあえずナースコールを呼ばなければと思い、波打つカーテンの中を覗き込んだ。

 白いベッドに埋もれるように、小柄で体の細い男の子が横たわっていた。右腕にはたくさんの管に繋がれている。顔色が悪く、白を通り越して青みがかっていた。

 骨が浮き出るくらい筋肉がない痛々しい姿だ。寝返りを打とうとしたのか身体ごと廊下側を向いている。

 彼は起きていた。苦しそうに息を吸いながら薄く目を開き、左手を微かに動かした。

 その時、何故そうしたのか、自分自身でもよく分からない。吉田は彼の左手をそっと両手で掬い、細心の注意を払って握りしめた。

 手は暑い部屋の中なのに、ひんやりと冷たい。その温度にぞっとしてしまう。

 すると突然、彼の不健康な肌色に赤みが戻る。それは握りしめた手から全身に広がっていった。呼吸も徐々に落ち着き、今にも閉じそうだった瞼は驚いたように見開き、瞳に光が差していく。

 まるで魔法を見ているようだ。

 彼は何事か呟いたが、まったく聞こえない。しょうがないので手を握ったまま、口元に耳を寄せた。

「手が、あったかいね。」

 掠れていて、殆ど吐息だが嬉しそうな声で話す。

「お前、しゃべれたんか?そっちの手が冷たいだけやで。俺のは普通。待っててな。今、人呼ぶから。」

「必要ないよ。すぐ来るもの。」

「えっ?」

 彼がそう言った途端、部屋の扉が開いた。あっという間に、三、四名の大人達に取り囲まれる。

「お前、何処から侵入した!」

 首根っこを掴まれて耳元で怒鳴られた。

 今日は、おとんに絶対怒られると、うなだれる。齢九歳にして人生とは理不尽で、ままならないものだと実感した瞬間だった。



 それから室内に入って来た大人達は急速に回復した男の子を見て驚いた。その間、吉田は猫の仔のように襟首を掴まれたまま、別室に連れて行かれた。

腕時計に内蔵された端末機器を読み取られ、すぐに名前と住所がばれてしまう。どうやら、ただの一般人だと判ると、すぐさま保護者を呼ばれた。そして、どんな方法でセキュリティを潜り抜けて病室に侵入したのか尋問を受ける。

 正直に病室の窓から入りましたと言ったら唖然とされた。今時の子供は危ないから木を登るという発想自体が無いらしい。だから木を使って、窓から侵入されると思わなかったそうだ。マジか。俺って、すごいじゃん。やっぱり天才かも。

 よく話を聞いていると丁度、特別病棟は安全装置の点検中だったらしい。だから警報機も鳴らなかったのか。

「君は異能者か?一体、あの子に何をした。」

 異能者とは各地に点在する異界の穴の影響で超能力を使える人間のことだ。特徴は三つあり、身体能力に優れ、常人より怪我や病気の回復速度が速い。そして一つ以上の超能力が使えることが挙げられる。

 大概、能力や記憶の発現は十二歳までに起きる。中学生に上がる前に異能者テストがあった。テストと言っても特段大層なものではない。子供達に穴の周辺で採れる光緑石を持たせるだけの簡単なものだ。その石は能力者が触れると緑色に光る為、それで見分けることが出来るらしい。

 ちなみに、まだ九歳なのでテストは受けていないし、未だに能力の発現も起きていない。

 もし異能者だったら、すぐにここからワープして逃げているわ、と思った。とにかく違うと首を振って、親が来る前に室内から抜け出せないかと画策する。

「え~先生、上手いな。僕、そんなに有能そうに見えます?きっと溢れ出るんやね。類まれなる才能が。」

「話を混ぜっ返すんじゃない。おい、石を持ってきてくれ。」

 背後に控えていた秘書らしき人が頷き、すぐに石を持って来た。目の前に座る険しい顔をした厳つい男性が小さな箱を空けて、中身を取るように指示する。吉田は不承不承、石に手を伸ばした。

 眩い緑の光が室内を照らす。石のまわりに細かな光彩がとりまく。その輝きに見とれていたら、石はパツンと音を立てて、空中に離散した。

 室内に居た人間が全て押し黙った。今、何が起きたかを、この場の全員がよく判らなかったからだ。石が光るだけかと思ったら弾け飛んでしまった。こんな現象は見たことがない。

 それぞれが目配せをして、場を仕切り直すように努めて明るい口調で話す。

「とりあえず君は異能者で間違いないね。」

 見れば判るや~ん、とは言わなかった。もしかして壊した石の値段を請求されるのだろうか。そうしたら、もう両親に顔向け出来ない。残された道は家出か夜逃げだ。今の貯金はいくらだっけと本気で現実逃避をしていた。

 逃げ出す間も無く、怒り心頭の父親と、膝に頭が付きそうな程、頭を下げる母親がやってきた。

 吉田にとっては死刑宣告に等しい。

 父親が神妙な口調で頭を下げた。すぐに自分も隣に行って、両親に何か言われる前に同じく頭を下げる。

「この度は申し訳ありません。うちの愚息が御迷惑をお掛け致しまして…」

「いえ、とんでもない。病棟に侵入を許したのは驚きましたが、それは此方の不手際です。それよりも息子さんは素晴らしい力をお持ちのようだ。逆に私達の方が頭を下げる必要があるようですね。」

 顔を上げて、怪訝そうな顔を向ける両親に厳つい男性は笑いかけた。

「息子さんの力を私達に貸してください。もしかしたら難病に苦しむ子供の命が救えるかもしれない。」

 吉田家は全員、言われている意味が分からず、お互いの顔を見つめてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る