第16話 ラスト~かけがえのない現実に花束を~
やがて、カウンターの電気がつくと、皆が入ってきた。
「はい、続きは休日でー」
そう話す主任に慌てた私が腕をほどくと、彼は何食わぬ顔をして遠ざかり、ほんの一瞬だけウインクした。その大胆さに驚いたけど、彼の中で何かが吹っ切れたのかもしれない。私は頷いて、乱れた髪を直した。
言葉で伝えられることも、言葉じゃ伝わらないことも、きっとある。
開館真っ先に、あの日のスポーツ刈りの男の子がやって来て、私に声をかけた。
「感動しました、『人間失格』!あと、興味深いっていうかinterestingでした!」
感動した?興味深い?人間失格が?……そういえばまだちゃんと読んだことないな。
「どんなところが?」
「最後に主人公の知り合いのマダムがこう言うんですよ『神様みたいにいい子だった』って」
「うん」
生きていれば、いろんな傷を負う。でも……一番怖いのは相手を傷つけてしまうことだ。私は皆を怯えさせている自分にも、目に見えない花に水をやる人たちの想いにも気づかなかった。気づこうとしなかった。
誰かを苦しめている自分から逃げ出したり、他人の痛みにも気づかないことは、世界で一番悲しい物語だ。
私は、そこからもう逃げたりはしない。
「俺はむしろ合格って思いました!今、ここにいるだけで人間合格。今度の宿題で文豪の小説や童話のパロディを書くんです。『落ち着けメロス』とか『意外とまじめなキリギリス』とか。俺が書きたいタイトルはそれかな」
「もうあるよ」
「え?」
片岡君が得意げに話した。
「黒沢清って映画監督いるでしょ?あの人の映画に『ニンゲン合格』ってあるんだよ。若い頃の西島秀俊が最高なんだ。でも、こう考えると俺たちの言うことってだいたい先行例があるんだよね」
確かにそうかもしれない。でもいつか、必ず見つけてやる。私たちの、私たちなりの愛の形を。
今、何より大切なのは仕事だ。黙礼をして去った男の子の後ろで、60代くらいの女性が単行本を二冊持ってきた。髪はほつれていて、ところどころ白く、いつも不機嫌そうではっきりと言えば苦手な人だ。この図書館は、私が好きな1990年代のお洒落な洋画に出てくる世界とは違う。でも、これが私の目の前にある、ただ一つの現実だ。
今は冬の終わりで、暫くすれば春が来る。「冬来たりなば春遠からじ」もう会っていないお母さんの愛読書、名作漫画『エースをねらえ!』に書いてあった。今は混乱していても、いつかお母さんの言葉もふっと思い出せる、思い出す。大丈夫だよって、会いに行く。
私、頑張るよ。
私はいつもは苦手な笑顔を浮かべ、普段より少しだけ大きな声で利用者さんに声をかけた。
「いつもありがとうございます!」
私たち、タイトル引用バカップルにつき~王子なんかじゃない~ でこぽんず @simple_simple
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