第6話 『難あり』のシール
程なくしてだった。岩瀬さんを中心に、丸山君への陰口が始まったのは。最初は軽く揶揄する程度だったのが、二週目を迎えて度を越してきた。
「いくらイケメンでも『難あり』の方はちょっと対象にならないわー」
「
岩瀬さんの名前は由佳だ。
「しかもさあ、結構聴こえてんじゃん。なんか聴こえたり聴こえなかったりして前の職場で苛められたらしいよ。それで全部聴こえませんって甘えじゃない?」
「本当、そうだよね。本当に由佳の言う通り」
ヒソヒソと話す声に、私だけが加われなかった。岩瀬さんは、利用者さんが雨で濡らして読みづらくなった本に『難あり』と書かれたシールを貼る。『水ぬれ』でもいいのに。
そう思うけれど岩瀬さんはいつも、少しでも状態の悪い本に躊躇いなく「難あり」のシールを貼ってしまう。
丸山君はやはり、カウンターにいることが多い。利用者さんとのコミュニケーションもある程度は図れるはずだけれど、「APD」や「聴覚情報処理障害」と聞いてしまうとそれも任せづらい。
それでも彼は全くサボることもなく、隅の方で優雅な手さばきを見せながら「ブックコート」をしている。
ブックコートとは、本全体に透明なコートを貼る作業のことだ。司書の基礎と言われながらも、手先が器用でないと難しい仕事の一つ。
今年の春に入ってきた片岡君は、折り目を間違えたり本に鋏を入れたりして7冊ほど備品の本をダメにしてからブックコートを行うことを「出禁」になっていたので、ボソッと話したり筆談やタブレットのコミュニケーションを交えながら丸山君に教わっている。
自分より遥かにブックコートが上手い新入りが気に入らないのだろうか。それまでナンバーワンの自信を誇っていた岩瀬さんは、ネチネチと嫌味を言うようになった。
「本当はただ座ってたいだけなんじゃないの」
「配架をやってくれる人が来てほしかったんですけどお」
「つーかさ、殆ど、聴こえてんじゃん。病気ねえ、本当かな」
よほどうちのボスのお気に召さなかったらしく、彼女の棘のある言葉に同年代の司書は皆首を縦に振り、彼女が右に動けばみんな右に集まり、確信犯の気まぐれで左に移れば、数少ない同僚の殆どがそちらに群がった。
ああ、醜い、醜い、醜すぎる。
そして年内最終日に、丸山君と片岡君の二人を見て岩瀬さんは吐き捨てた。
「あの二人にも、『難あり』のシールが必要かな。でっかいやつ」
なぜか私に言われてる気がした。気が付くと、だしぬけに叫んでいた。
「いいかげんにしろよ!」
そうして私は、まくしたてにまくしたて、職場の殆どの人を敵に回したのだ。
市役所の人がやってきて、平謝りに謝った。
今川さんは、私とは目も合わせず、いかに自分「たち」が被害者なのか、市役所の人に懸命に話していた。その間私はずっと、昔高校の文化祭で観た演劇部の出し物を思い出していた。
次の日、針のむしろで出勤した私を皆が無視した。避けるように私の前を通った今川さんの、今まで毎日しつこいくらいかけてくれた声が頭に響く。
「ひとみん、いつも一緒にいようね。絶対だよ、約束だよ」
市役所からいつもの担当してくれている男性二人が来た。年明けまで休んで英気を養ってください、40代男性の方は不自然なほどの笑顔で話し、30代男性は明らかに警戒していた。私は逃げるように帰宅した。
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