第3話 必殺!職質探偵

 いまだにあの図書館に慣れない。こんな日々が三年半も続くと疲れる。


家に帰ると、年の離れた弟のわたるが叫んでいた。


「必殺!職質探偵!」


 職質なら、刑事にならなきゃダメじゃないの。ボソッと呟いてカシミヤのコートを脱ぐ。年の瀬の肌寒さを暖房が包んでくれる。


 12月になると、今年自分が何をしたか思い浮かべて、その本人にため息が出る。


「俺は職質をしたい探偵なんだー!」


 弟はミもフタもないもないことを叫ぶので、じゃあ勝手にすれば、と吐き捨てた。


 航は、私と血が繋がっていない。


 お義母さんの美和みわさんと顔を合わせると、キラキラした目を見つけた。女の園でよく見かける、話のタネを見つけたとき特有の嬉しそうな顔。


「ご飯できたわよ。ねえ、聞いた?」


 今年の春に父親が再婚して以来、この人と一緒に暮らすようになって自宅までがどこかよそ行きの場所に思えてしまって仕方がない。


「何かあったんですか?」


「瞳ちゃんの職場に、新しい子が入るんですって。二十五、六歳の男の子が。瞳ちゃんとほとんど同い年ね!」


 職場、職場って連発しないで。


「結構、格好いいみたいよ」


 私が25過ぎて実家暮らしのパートだって馬鹿にしてんでしょ。


「職場もきっと華やぐわね」


 そんなこと思っていないくせに。


「今日は瞳ちゃんの好きなハンバーグよ」


 私が好きなのは、本当のお母さんが作ったハンバーグ。あと、そのピンク色のテーブルクロスとあなたのネイル、大っ嫌い。


「今、温めるからね」


 どんなにモヤモヤがこみあげても、自分の部屋で食べます、とは流石に言えない。黙って待っていると、航がでんぐり返ししながら風呂場へ向かった。


「航ちゃん、そういうことしちゃだめよ!」


 全く注意する気持ちのない、甘い声が漂う。


「安心してください!何も穿いていません!」


 ごめんね、とお義母さんは笑う。

「あの子、天然なところあるから。私に似ちゃったのかしら」


 浴室からは耳障りなほど綺麗に透き通ったソプラノの声が響く。


「必殺!合法職質名探偵!」


 航ちゃーん、静かにしなさい!


「俺が知らないことは他人の痛みだけだー!」


 この皮肉の効いたセリフ、航、あんた絶対確信犯でしょ。


 ため息をついて、ちっちゃな袋から眠前の薬があることを確認する。


 私が高校を卒業した直後の両親の離婚以来、かなり強めの不眠が続いて今でも処方薬を飲んでいる。おかげで私は「むくみちゃん」だ。でも、薬のことも副作用のことも、職場には言いたくない。何を言われるかわからない。


 私のハンデは、私にしか分からない。そんなこと思うのは、甘えなのかな。


「ただいま」

 聴きなれた声に敢えてきちんとした返事はしない。

「航君、元気そうだな」

 実の子の私より、連れ子の航の話ばかりだね、お父さん。

 「お母さんと話してるか?」

 その端正で品のある顔が憎い。ちょっと太い眉とキリッとした目で優しく見守ってくれた30年弱を、今は信じることができない。


「別に。無理に話すのも不自然じゃない?」

 美和さんがキッチンに離れたことを確認して、小さな声で吐き捨てる。


「親子なんだから……」

「親子じゃないよ、血は繋がっていない」

 かみしめているその薄くてきれいな唇を見て、私はどうして似なかったんだろうと苛立ちを覚える。


「私、あとでご飯食べる。美和さんにもそう言っておいて」

「瞳……」

 

父親の声を振り切って、私は階段を上がる。我が家は、リビングを通らないと階段に行けないようになっている。


「そうしようってパパとママで決めたんだよね」


 必ず「ママ」より「パパ」と先に付けるお母さん。嬉しそうに話す本当のお母さんはあまり美人ではなくて、私はその母によく似ていた。お母さんは、私が中学校の頃から心身に不調をきたすようになって、我が家の幸せいっぱいの小さな光は、一気に影を差した。


 分かってる。お父さんがどれだけお母さんを支えたか。それも無理になって別れたことも。お父さんにはお父さんの人生があるということ。


 分かりすぎて、ドロドロとした感情が止まらない。


 絶対に認めたくなくて、動かしようのない事実で、忘れたくて、私の心の中に居座り続ける気持ちがある。


 お父さんは、身も心も私によく似たお母さんを捨てて、美人な女の人と再婚したんだ。

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