第5話

 誰しも心の裡に欲を内包しているけれど、己は欲の浅い、淡白な人間だと烝は微塵も疑っていませんでした。もしくは、己の欲は幾重にも鍵をかけた頑丈な箱に仕舞われているのだと信じ──、いざなわれるまま座敷牢へ入り、女と交わるまでは。

 それからというもの、女は度々烝一人のみに地下牢へ誘い、画家が黙認するのを幸いに、烝は期待に応えてやりました。逢瀬を重ねるごとに女は少しずつ、身の上を語り、烝に聴かせました。


 女の名は波路なみじ。年は烝と同じく二十を少し越えていること。

 画家と知己の画商の妾だったこと。悋気を起こした画商の細君に半殺しにされかけたこと。画家に助けられ、庇護と引き換えに緊縛画の見本もでるとなったこと等々……。


 見本となることまでは理解できる。だが、書生たち相手に女郎の真似事までさせられるのはいかがなものか、と問えば、波路は鼻先で軽く笑い飛ばします。


 あの先生せんせはねぇ、雑用係の書生であっても表向きは清廉潔白でいてもらいたいのさ。吉原や浅草で油売らないようにさせるのも、あたしがここに居させてもらう理由だよ。

 食う、寝る、住むが確約されてるならかまわない。盛りのついた若人わこうどは扱いやすいし、まったく苦にならない。むしろ役得だね。


 燭台の明かりの下、波路は唇の口角を上げ、にっと笑います。

 内容はともかく、波路の口から少しずつ身の上が聴けると気を許されている、気がしてきます。また、身の上話の他にも好きなものなどについても気が向けば話してくれるように。たとえば、波路は金魚が好きで、座敷牢でも丸々と太った健康そうなランチュウを飼っているとか。


 背鰭がなく、腹が異様に膨れた胴体。この異形の高級魚のどこに魅かれるのか。

 烝にはさっぱり理解できませんでしたが、金魚鉢で不格好に揺蕩うランチュウを眺める時の波路は、画家が描く美人画よりも清らかな美を放ち、その横顔は菩薩のようでした。


 交わりだけでなく、波路を少しずつ知るにつれ、烝は彼女に惹かれつつありました。

 きっと、もっと時間が経っていれば、烝は波路と所帯を持ちたいと考え始めたかもしれません。

 しかし、彼の気持ちがそこまで固まるより先に、波路からあることを打ち明けられたのです。

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