礼拝堂

 目が覚めたのはまだ薄暗い夜明け前の時間だった。昨日の疲れはとれたが足全体が筋肉痛になっている。

 下野はすでに起きて寝床から出ていた。トイレに行きたいのに場所を知っているであろう男がいないのは困った。まあしばらくすれば戻ってくるだろうから待っているとしよう。

 家からた住民が少人数ではあるが出てきた。皆一様に麻のロープを着て、左手には黄土色のブレスレットをつけている。

 昨日、朝早くに礼拝堂に行くと下野が言っていた。あの服装は礼拝するための正装といったところだろう。


「お?起きてるじゃないか」


 寝ぐせで外にはねた髪を押さえながら、下野が歩いてきた。


「そりゃ起きるよ。なあ下野、トイレ行きたいんだがどこにある?」


「トイレなら暖炉の横にある扉から出て、廊下の突き当りを右だ。まあ、トイレって言っていいかも怪しいんだがな。まあ行ってみりゃあわかる」


「なんだそら。まあいいや、サンキュー」


 下野の言う通りに暖炉の横にある扉を開ける。左手には2つ扉がある。右手には突き当りに扉があるだけで、壁には右向きの矢印と恐らくトイレという意味の文字が書かれている。

 扉を開けてトイレに入った。と思ったのだが、なぜか外に出ている。目の前には木の板で区切られた空間があり、砂が掘られて溝のようになっている。

 溝の中を覗き込むと、排泄物らしきものが砂から覗いている。


「……トイレ、ねぇ?」


 水が貴重な砂漠なのだから水洗トイレなんてないとは思っていたが、せめて簡易的な便器のようなものはあると思っていた。まさか仕切りだけとは思わなかった。……いや、仕切りがあるだけましなのか。

 風が吹くと乾燥した汚物が飛んできそうで気分が悪いが、体がしきりに隠れるギリギリに立って用を済ませた。

 こういう砂漠では手を洗う場所もないので砂で食器を洗ったりすると聞く。ならば手も砂で洗うのだろう。しかし、この辺りには汚物の残骸が飛んできているように感じ、汚いとは思いつつ手を洗うことなく暖炉のある部屋まで戻った。

 部屋には下野と彫りの深い顔立ちの男と女性。彫りの深い男は僕に麻のローブとブレスレットを渡してすぐに着ろという。

 昨日から着っぱなしのレインコートから着替える。はっきり言ってあまり質のいい生地ではない。大きな麻袋を被っているような感じなので着心地はよくない。まあ凍死しなかったのは彼らのおかげだから文句は言えない。

 僕が着替えるのを確認するとすぐに移動を開始する。

 昨日プロテインバーを齧った円形広場を通り、坂の上の礼拝堂へと入っていく。

 礼拝堂の中では的の人間全員が集まっているようで、大広間に跪き、手を合わせて神様の像に向かって祈りをささげているようだ。

 日本というあまり宗教に対する信仰心というものが薄い国で生きてきた僕には新鮮な空間だ。

 全員同じことをしているのに自分だけ何もしていないというのは浮いて見えてしまう。ここは祈りを捧げているように見せておく。

 体感10分程そうしていると大広間前方の檀上に権威のありそうな初老の白人男性が現れた。恐らくは神官のような立場だ。

 手に持っている聖典を開き、何か教義を説いているようだが、マイクも音響設備も整っていないので広間の最後方にいる僕には何を言っているのか聞き取れなかったが、この砂漠周辺の言葉ではないことはわかる。明らかに文法がある。

 隣にいる下野を横目に見ると、暇そうに小さくあくびをしている。こういう場でそんな態度とって大丈夫なのか疑問だ。いや、きっとダメなんだけれども。

 話は案外と速く終わり、5分ほどであった。神官が話を終え少ししたら立ち上がって、各々が仕事に向かっていく。

 入り口近くにいた僕たちはすぐに礼拝堂から出て、しばらくは人の流れに流されるまま進み、円形広場の弁手に座ってしばらく人混みが落ち着くのを待つ。

 僕たちと行動を共にしていた男と女性はバザーの方に行ってしまい、僕と下野は取り残された。


「これから朝飯って感じか?」


「そうだぜ。こっからは自由行動だが、俺たちゃ食い物買えないからな。おっさんが買ってくれるものにすがるしかねぇぜ?」


「日本円で物々交換できないかな?」


「珍しいからできるかもしれねぇが、お札に価値を見出してくれないと思うぜ。シーは銀銭のみだからな。お札はないんだ」


「本位貨幣とかは決まってないのかな?」


「交易商とのやり取りを見たことあるが、銀でやり取りをしていたな」


「ってことは銀本位制ってことか?」


「この砂漠のことしか知らないんだ。わかるわけないだろ?」


「それもそうか……。うん?」


 下野と話していると礼拝堂から先ほどの神官がこちらに向かって歩いてくる。もしや先ほどの下野の態度が問題になったのだろうか?


「なんで神官がこっちに来ているんだ?」


「あくびしてたのが問題だったんじゃないか?」


「おいおい、俺のあくびの静かさをなめちゃいけないぜ。授業中に何度しても先生にばれたことないんだぜ?」


 それはばれなかったのではなく、単に見逃してもらっていただけだろう。

 神官は僕と下野の前に立つと、自分について来いとジェスチャーする。僕と下野は出てきたばかりの礼拝堂に連れていかれることになった。

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