[KAC20243]魔女と勇者と大監獄

擬雨傘

第1話

「説明はこれで終わりね。分からないことはあると思うから、有耶無耶うやむやにしないで必ず先輩に相談すること。お分かり?」


「はい!ありがとうございました!」


頭を上げると、先輩魔女のリリスさんはよろしい、とうなずいていました。


「あー、エリナちゃん、だったっけ。素直でよく覚えてくれるし、優秀な子で助かるわぁ。魔法技術養成専門学校マギ専を出たばっかりの子が来るなんて聞いたから、お姉さんハラハラしてたのよ?」


そう言ってリリスさんは振り返りました。私もつられて、歩いてきた道を眺めました。


私達の背後には、継ぎ目のない石で作られた広大な空間が、暗闇の中に溶け込んでいくまで、いや、そのずっと先まで続いています。


上を見れば、四階分のフロアをぶち抜いたくらいの高さに、これまた薄暗い天井が見えます。


薄暗い空間を照らすのは所々に焚かれた魔法の篝火だけですが、魔女は夜目が効くので十分でした。

熱のない炎が揺れるたびに、この巨大な空間に置かれているものの影が揺れました。


それは、大小さまざまな箱でした。石の塊でできている箱は、小さなものは私が抱えられそうなほど、大きいものは天井まで届きそうで、地方領主の城程度なら収まってしまいそうでした。


「大監獄「見えざる箱ブラック・ボックス」……しかも、こんな深階層に配属されるなんて、思ってませんでした」


そう、ここは国内で最も厳重といわれる監獄で、つまり私は看守として「見えざる箱ここ」に就職したのです。


「見えざる箱」は地下に何層にも重なる空間に作られた、魔法の監獄です。千年以上前から存在していた地下迷宮を利用して作られたと言われていて、地下迷宮自体にかかっている魔法を制御するため、看守は全員魔女か魔法使いがやっているのです。


そして、監獄ということは、私達の前にある箱の中身は当然、


「深階層だから、新人を配置できるのよ。この部屋から下の階層には、どうしても滅ぼしたり、殺したりできなかった怪物とか?強力な魔道具とかが封印されているからね。しまっておくだけだから逆に安全なの。お分かり?」


分かりますとも。私は何度もうなずきました。

学生時代、歴史で赤点を取りまくっていた私だって分かります。


一番近くにある、私の腰くらいの大きさの箱の中には、150年前に国中で疫病の大流行を引き起こした呪いの像が入っていますし、その隣の箱には2000年以上前から伝わる「山ツ神」という伝承に出てくる巨人が収監されています。


監獄の外では歴史書の文面や、吟遊詩人の歌でしか見ることのない存在が、「見えざる箱ここ」では生きて、実在しているのです。


「まあ、浅階層の方は化け物みたいな拷問吏ごうもんりが徘徊してたり、囚人が時々逃げようとしたりするから私達も危ない目に遭うんだけど、深階層ここは一切ないから、適当にやりましょう」


「はい、分かりました!」


「それと、あまりを覗き込んじゃダメよ?収監されていたって、この階層にいるのはヤバい奴らばっかりなんだから」


あ、そうそう、とリリスさんが手をぽんと打って言いました。


「それと、この階層の最奥に近付いちゃダメよ。これ、絶対に守ること。ガルドナント典獄てんごくの指示だから」


「て、典獄指示ですか!?」


ガルドナント典獄は、この「見えざる箱ブラック・ボックス」のトップにしてこの国の大英雄です。

監獄を管理することはもちろん、国内で犯罪者や怪物が現れたときは、自ら剣を取って戦うので、国内では大変な人気があるのです。


超有名人直々の指示と聞いて、思わず全身に鳥肌が立ちました。


「あの、ちなみに、その一番奥の場所って、何がある……」


「私も知らないわ。てか、私の前任も前々任もそう言われただけだから、何があるかなんて誰も知らないんじゃない?」


そう言うと、リリスさんはひらひらと手を振りました。


「習うより慣れろ、よ。じゃあ、私は部屋に戻るから、何かあったら教えてね」


私がなにか言う前に、リリスさんは「移転魔法」で姿を消してしまいました。一人ぼっち(まあ、正しくは無数の収監者が一緒ですが)になった空間は不気味なほど静かでした。


私は杖を腰に差して、端から歩き始めました。


篝火は箱の近くに一つ置かれていていたのですが、五つに一つは消えたままの鉄籠が放置されていました。


「もう、けっこう消えてるじゃないですか」


リリスさんに言われたとおり、杖を振って火を熾すと鉄籠に灯していきます。新しい篝火が一つ増えるたびに、辺りが少し明るくなって監獄の姿が顕になります。


「どれだけそのままにしていたんだろう……」


自分で言うのもなんですけど、魔女はそんなに真面目ってわけじゃないんです。

魔女とか魔法使いとかいう人種は、自分の好きなこと以外への関心が薄い人が多いですから、自ずと管理がおざなりになっているのでしょう。


「何が閉じ込められてるか気になるし、せっかくだから全部点けちゃおう!」


おー、と一人で言うと、通路を歩き始めました。


 ◯


ナメてました。


正直、こんなに広いと思っていませんでした。篝火を確認し、全ての篝火を点けるのに四時間はかかったんじゃないでしょうか。


途中で足が痛くなったから箒に乗って作業していたのですが、それでも半日近くかかってしまったことにびっくりしました。


それに、


「こんなに複雑でしたっけ!?この部屋!」


篝火を灯すと、今まで暗闇で見えていなかった空間や通路が現れて、その先に火の消えた鉄籠が見えるのです。


それを繰り返すうちに、ただのだだっ広い部屋だと思っていた階層が恐ろしく複雑な構造へと変わっていきました。


それでも、鉄籠を探し、火を点け、新たな通路を探索し、箱を見つけているうちに、なんとか最後の一つに火を点けることができたみたいです。


「はぁ……終わったぁ〜」


箒から降りて、地面に倒れ込みます。少し埃っぽいけど冷たい床の感覚が、今は心地よく感じました。


全身が疲労感と達成感で満たされています。初日でこれだけやれば、なかなか頑張ったのではないでしょうか。


そう思ったとき、遠くで硬いものが動いたような音が聞こえました。今まで私が出す音しか聞こえてこなかった監獄の中で、初めて聞こえた音でしたから、私はつい音のした方ヘ歩いていきました。


「あれ……こんな階段あったっけ」


しばらく歩くと壁に突き当たりました。ただ、さっき通ったときには何もなかった場所なのに、ひと一人通れそうな穴が空いて、階段が下へ下へと続いていました。


「見逃したのかな……?それか、篝火を点けたから新しくできたとか……?」


まあ、なんでもいいか。


「何にしても、篝火が点いてるか確かめないと」


箒を立てかけて、手に杖だけ持って階段を降ります。石造りの階段は十数段降りると小さな踊り場につながって、鉄籠が置かれていました。階段は踊り場で方向を折り返して下へとつながっています。


折り返しを20回ほど繰り返したら、下へと続く階段がなくなり、終点の踊り場にたどり着きました。


袋小路の踊り場は今までより奥行きがありましたが、階段から降りたすぐの場所に鉄格子が嵌められて、その向こうは真っ暗でよく見えませんでした。


鉄格子の横には空の鉄籠が置かれていたので、杖の先に火の玉を起こし、篝火を点けようとしました。


「……驚いた……人が来たのは、初めてだ……」


心臓が止まるかと思いました。

びっくりしすぎてその場で動けなくなってしまい、首だけを声にした方へ動かしました。


暗くてよく見えなかったから誰もいないと思っていた鉄格子の向こうに人影がありました。


小さな牢獄のような部屋の壁にもたれ掛かっている人は、伸び放題になった髪の毛の隙間からこちらを見てきました。


このとき、私はやってはならないことをやっていました。

鉄格子の奥にいたのが普通の人間に見えたから、私とそう変わらない年の男の子に見えたから。


「あなた、誰です……どうして、こんなところに……?」


そんな人間が、「見えざる箱こんな場所」に閉じ込められているはずないのに。


「……僕は、タクト……魔王を倒し、長い長い争乱を終わらせ……“勇者”と呼ばれた……異世界からの、戦士だ……」


「“勇者”……そ、そんなはずがありません

……」


“勇者”。間違いなく、監獄の中の人はそう言いました。


世界広しといえども、有史以来、その二つ名を名乗ることを許された人はたった一人しか存在しません。そして、その人がこんな場所にいるはずがありません。


なぜなら、


「“勇者”タクト様は千年前、魔王を滅ぼしてすぐに姿を消し、以来彼の世かのよへご帰還を果たされたと、伝わっています……」


「千年……千年、だと……!?」


タクトと名乗ったその人はにわかにこちらへと歩いてくると、鉄格子を両手で掴みました。


「おい、今は何年だ……!?」


「か、解放歴1048年です」


「1048年……」


そこで力尽きたように、タクトさんは膝から崩れ落ちて、がっくりとうなだれました。ですが、タクトさんの両手には幾本も筋が浮かび、すごい力で鉄格子を握りしめているのが見えました。


「話が……違う……!」


タクトさんが掴んだ鉄格子を激しく揺すると、この牢獄全体が震えるような気がしました。


「あの、少し落ち着いて……」


このままではマズい。そんな気がしました。

幾度も鉄格子を揺らすタクトさんを落ち着かせようと、一步牢獄へと近付きました。その拍子に杖の先から火が鉄籠の中にこぼれて篝火となって、牢獄全体を明るくしました。


「話が違うぞ!!ガルドナント!!!」


地の底から轟くような叫びと共に、私の腕くらい太い鉄格子が半ばでへし折れて、タクトさんが牢獄から出てきました。

薄暗がりで見たときと同じ、服のあちこちが汚れてほつれていたり、髪が伸びていることを除けば、どう見てもその姿は17か、18歳の普通の男の子でした。ただ、全身から湯気のように立ち上る怒気に圧倒されて、私は指一本動かせませんでした。


でも、


「ガルドナント……?どうして、ガルドナント典獄の名前が……?」


思わず口走ってしまった言葉に、タクトさんは反応しました。


「……典獄?何を言っている。ガルドナントは僕が滅ぼした魔王の名だろう……!」


「い、いいえ……“勇者”様が滅ぼした魔王の名は伝わっていません。ガルドナントというのもこの監獄の典獄の名で、偶然同じ名だったのではないでしょうか……」


「そんな訳がない!僕の名と“勇者”という二つ名と同じく、“ガルドナント”は魔王を名乗る者の名だ……たとえ何千年経とうと、それが変わることはない!」


タクトさんはそう言った後、不意に黙り込みました。顎に手をやって、しばらく考えていましたが、やがて、私の顔をまっすぐ見てきました。


「あなたの名は?」


「わ、私はここの看守として働き始めました、魔女のエリナといいます」


「エリナ、あなたは僕を助けてくれた。できればあなたに報いたいが、僕も自分が置かれた状況を確かめなければならない」


タクトさんは腰を折って頭を下げました。


「どうか、僕が出ていくのを見逃してほしい。どうか、僕の前に立ち塞がらないでほしい」


そう言うと、タクトさんは自分で折った鉄格子の中から、手頃な鉄棒を拾い上げて素振りを始めました。


どうしよう。こういうときどうしたらいいか、今すごく先輩に聞きに行きたい。


でもそんなことしてたらタクトさん出ていっちゃうんだろうな〜。“勇者”を名乗ってるし、こんな奥深くに閉じ込められてるし、本当にヤバい人なのかもしれないな~。でも、ただ出ていくのを見送ったりしたら怒られるかもしれないしな〜。


しばらく考えましたが答えは出ず、


「じゃ、じゃあ、はいどうぞ、ってわけにもいかないので、私タクトさんについていきます!」


気が付いたらそう言っていました。


 ◯


「やっちゃったわねぇ、エリナちゃん」


長い階段を登って、元の階層に戻ってくると、私とタクトさんは数十人の魔女に囲まれてしまいました。一番前にいたリリスさんが、杖の先を向けて冷たい声で言います。


「この階層の最奥に近付いちゃダメよ、って言ったのに、あろうことか収監者を連れてきちゃうなんて」


「あの、リリスさん!この方、千年前の“勇者”様だと言っていて、鉄格子を引き千切っちゃって、私、どうしたらいいか分からなくて……!」


言葉の途中で、体のすぐそばを紫の閃光がすり抜けていきました。当たれば体が消し飛んでしまうような強力な魔法に、全身の毛が粟立つのを感じました。


「そんなことどうでもいいの」


杖の先から煙を上げて、リリスさんがゾッとするような声で言いました。


「私達の仕事はこの監獄を守ること。それから逸脱するものは全て敵なのよ。全て、ね」


「つまり、僕を行かせないつもりか」


タクトさんが鉄棒を握って、私の前に立ちました。


「た、タクトさん。すぐにさっきの牢獄ヘ逃げてください。ここにいるのは国内でトップクラスの魔女です。こんなに囲まれたんじゃ、あっという間に消し炭です」


「そのとおりよ。大切にしまわれておくのが嫌なら、さっさと消えてしまいなさい!」


リリスさんと周囲の魔女が杖を振るい、閃光が放たれました。


ああ、もうダメだ。


死を悟った瞬間、タクトさんが手にしていた鉄棒を振りました。


ただ横ざまに振っただけの鉄棒が当たった瞬間、数十本の閃光が音を立てて砕け散り、光の欠片となって消えました。


「なんか、レベル下がってないか?千年前の魔法はもっと殺意が強かった気がするな。たしか……」


タクトさんは人差し指を上に向けて、


「……はぁ!!」


裂帛の気合を上げた瞬間、幾筋もの雷が降り注いで、魔女の頭上から襲いかかりました。


雷が当たった魔女は体がぼろぼろと砕けていき、あっという間に数十人の魔女が塵となってしまいました。


「……すごい……!」


恐ろしさより、あまりの強さに気が抜けてしまい、ただその凄さに圧倒されました。


「今ので、ガルドナントには完全にバレただろうね」


タクトさんが鉄棒を腰に差しながら言いました。


「まあ、いいさ。こそこそしたって仕方がない。あいつがのうのうと生きているなら、もう一度滅ぼしてやるのが僕の役割だろうしね」


周囲を見回して苦笑いを浮かべます。


「あの、タクトさん。あなたは何を……」


不思議になって聞いてみると、タクトさんは笑顔で私を見ました。


「ガルドナントは地上にいるんだろう?こうなったら、地下ここで仲間を集めて地上うえへ攻め込もうじゃないか。ここ・・には、昔馴染みが多くいそうだしね。どいつもこいつも、暴れたそうな空気をビリビリ出してる」


それは見ている私が不安になるほど、楽しそうな笑顔でした。


「手伝ってくれるかい、エリナ」


とんでもないことになりました。


“勇者”が“魔王”の手下を率いて、人の住む地上へと攻め込もうとしています。


そして、私は“勇者”の片棒を担がされようとしています。


どうしたらいいんでしょう。

相談する先輩も先ほどいなくなってしまいました。


でも、この人の強さは本物でした。


それなら、勝馬に乗るのもアリかも。

自分で言うのもなんですけど、魔女はそんなに真面目ってわけじゃないんです。


「私を、仲間にしてください。“勇者”様」


そうして私は、“看守”から“勇者の仲間”へと転職をしたのでした。

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