第6話 『秘匿護衛任務 下』

「おい」


 肩を揺さぶられ、目を覚ます。汗の筋が何本も顔の上を流れて顎の先から落ちる。霞んだ目を拭うと少しずつ視界が焦点を結び始めた。


 厳つい顔がソーヤを覗き込んでいた。俳優のローレンス・フィッシュバーンに似ている様な気がした。マトリックスでモーフィアス役を務めた俳優だ。


 ピッ、ピッと無機質な電子音がリズミカルに響く。


 ソーヤは病室の片隅で膝を抱えていた。少し休むつもりが寝てしまっていた。


「悪夢か?うなされていたぞ」

「あ、あア・・・、いや」


 この頃は顔もハッキリと思い出せなくなっていたから、久しぶりに会えた気がした。


 軽い眩暈を感じながら立ち上がるとベッドに横たわる女を見た。


「まさか、あんたが迎えに来るとはナ」


 呼吸器をつけて規則的な息を繰り返す女から目を離して、隣に立つ大柄な男を見上げる。洋食屋”HIROSHI”で出会った黒人の大男が「そうかい?」と微笑んでソーヤを見おろした。


 日本語だった。それも昨日今日覚えた様には思えない流暢さだ。


「俺の事はダッチと呼んでくれ、まだ名乗っていなかったよな」

「・・・それ、本当の名前か?」

「仲間達はそう呼ぶ。すまんな、本名を名乗る事は禁じられているんだ」

「禁じられてるっテ、誰にだヨ」

「それはもちろん・・・」


 黒く沿った携帯電話を取り出して言った。


「我らがネブカドネザルの導き手、『ネオ』にだよ」

「・・・・・導き手って言うならモーフィアスだろ」

「彼はエージェントに捕まってしまうからダメだろ」


 そう言って茶目っ気たっぷりに笑うダッチに、少し毒気を抜かれて乾いた笑いを漏らす。自分の携帯を取り出して眺めて「ネオだって最後は死ぬじゃン」とぼやいた。


「あれをどう捉えるべきかと言うのは一つの課題だな。俺はまだ続編を諦めてないよ」

「あれいつの映画だっケ?」


 小学生の頃に一作目を観た記憶が辛うじてあったが、主観で二十年以上前になるから全然覚えていなかった。


「レボリューションズが五年くらい前かな」

「じゃあもうダメだろ」

「いいや、いつか絶対創ってくれる。俺は何時までも待ち続けるよ。待てる世界にする為に、その為に俺は戦うんだ」


 ダッチはにこにこしながら携帯を撫でた。


「・・・あんた、もしかしテ」

「ああ、未来の記憶の事か?あるぞ・・・とは言っても開戦初期に連中の空爆にやられてしまったが。その後は随分と地獄だったらしいな」


 地獄。確かにそうだったのだろう。しかし、悪い思い出ばかりでもなかった。苛烈で過酷な日常の狭間で、仲間と酒を飲んで語り合ったり、仲間の結婚式にも出た事があった。子供が生まれ、部屋に遊びに行った事もある。葬式に出た事もある。


 いや、それが一番多かった。やはり地獄かも知れない。


※※※


「そう言えばアヤちゃん、部活とかやんないいの?」


 女子更衣室で着替える彩芽に朋美が言った。


「ん~、部活ぅ?」


 体育の授業の後だった。男子はサッカー、女子はソフトボールに分かれての試合形式の中で、彩芽は日頃の鬱憤をはらすかの様にバッターボックスでフルスイング、得点を量産しまくっていた。


 バスケットボールの試合の様なスコア差を前に、投手のソフトボール部のクラスメイトは涙目だった。


「アメリカじゃボクシングやってたんだっけ?かっくい~」


 シュッシュッとへろへろのシャドーボクシングを披露する朋美に苦笑する。


「全然強くなかったけどね」

「へぇ、そうなんだ。意外・・・」

「体重が同じでも手足の長さが違うからね。ポイント先取されていつも判定負け」

「ふぅん、うちの学校、男子も女子もボクシング部とかないからねぇ」

「そういうのは暫くいいわ。やるんならなんかこう、文化的なトラディショナルなのやりたい」


 女子更衣室から出ると、廊下は昼休みの喧騒を迎えていた。


「アヤちゃん、お弁当?」

「うんにゃ、流石に毎日作ってらんない。ってか、今日は学食でがっつりの気分」

「じゃあ食堂で食べよ。お弁当取ってくるね」


 朋美と別れると先に食堂に向かうべく、少し賑やかな廊下を進む。


(あ・・・)


 窓の向こう、部室棟との渡り廊下にクラスメイトの櫻井宗也の姿を見掛けた。


 櫻井がこちらに気づいた様子はなかった。それどころか授業を終えた運動着のままで、携帯片手に誰かしらと真剣な顔で何かを話していた。


(なに話してるんだろ・・・って、別にどうだって良いじゃないっ!)


 しかし、不思議と目を離す事が出来なかった。


 初めて会った時の事は良く覚えている。転校初日の教室で、彼の視線は自分の顔を見て驚きに染まり、やがて煮え沸る怒りを経て凍りつく。まるで地の底を見つめる様な、そんな目だった。


 なんでそんな視線を向けられなくてはいけないのか。戸惑い、怯えて、そもそも縁も所縁もない初対面である事を思い出して沸々と怒りが沸いてくる。


 ふざけるな。なんであたしがビビらなきゃいけないんだ。そう思ってキッと睨み返すと、彼は驚いた様に目を丸くした。


 してやったり。しかし、視線の先で誰かと話す櫻井の眼差しは彩芽に向けるものでも、ましてやクラスメイトに見せる曖昧な笑みでもなく、恐ろしく真剣で、まるで試合前のアスリートの様な静謐さとひたむきさがあった。


 あんな目もするんだ。少し驚いた。


 きっと悪い人ではないのだろうなと思った。だからこそ、何で自分が彼から嫌われているのか考えて少し落ち込んだ。


※※※


 薄暗いリノリウムの廊下を進む。窓もなく、天井の照明も感覚が遠くて斑点の様に廊下を照らしていた。消毒液臭くて、緑の非常口誘導灯が陰気臭かった。


 暫く歩くと照明の狭間、男が壁にもたれながら腕を組んでいて、ソーヤの顔を見ると避けて背後に護っていたスライド式のドアを開けた。


「来たか」


 ダッチだ。病室には彼以外にも何人か、姿があった。


 ピッ、ピッとリズミカルな心電図の音の後ろに呼吸器の音がする。病室のベッドに横たわる女が視線だけ動かしてソーヤを見た。


 隣に立つ医師らしき男が言った。


「あまり長引かせないでくれ。命の保証は出来ないぞ」

「それなら問題はない。最悪死んでも構わないからな」


 あっさり告げるダッチに鼻白んだ医師が口を開こうとして、スーツ姿の男が割って入る。


 どことなく、俳優の柳沢慎吾に似ている様な気がした。 


「まぁまぁ、先生、こちらも用が済んだらお暇しますんで」


 そう言うと医師はまだ何か言いたげだったが、周囲の無言の圧力に耐えかねた様に部屋を出て行った。


「さて、全員揃ったな」


 ダッチから呼び出しを受けたソーヤは都内にある総合病院に訪れていた。地下、表向きには存在しないことにされている、訳ありの者の治療と監視を行う病室と言うよりは牢獄の様な部屋だった。


「来週から護衛対象『プリンセス』が修学旅行で沖縄に向かう。今日は顔合わせも兼ねた事前の最終確認も行う。が、その前に」


 女に視線を向ける。


「彼女の勤め先の上司と話がついた。結論から言えば彼女は我々の危惧する様な者ではない」

「勤め先?」

「日本では、桜の代紋と言うのだったかな」

「ほぅ、ご同業かい」


 柳沢慎吾が反応する。注目を集めた彼は少し恥ずかしそうに頭を下げた。


「どうも、警察庁のヤナギサワと申します。こちらは部下のツキシマ」


 隣の若い女が頭を下げる。


「ソーヤ、後で連絡先を交換しておけ。警察のご厄介になる事があったすぐに彼に連絡するんだ」

「大抵のことならどうにかしてみせるよ。流石にテロみたいなのは勘弁して欲しいが」


 警察とも繋がりがあるのか。ソーヤは黒い携帯電話の声、ネオはかつての、と言うよりは将来の戦友のいずれかだと考えていた。十中八九、ネオもまた未来の記憶をもつ者の一人だろう。そしてソーヤを仲間に引き込んだと言う事は、ソーヤを裏切る心配がないと信頼するか、あるいは良く知っている者のいずれかに違いないと。


 最後の仲間たち、マルコシアスの隊員達はそもそもがソーヤと人類を裏切ったのだから除外するとして、ネオは戦死した上官のいずれかだと考えていた。


 能力的にも人格的にも、この様なスパイ活動めいた作戦を指揮できる者には限りがある。しかし、絞り込んだどの候補者もこの時代の日本の警察組織にまで影響を及ぼせるとは思わなかった。


「先に紹介を済ませてしまうか」と言って部屋の隅に立つ男に目を向ける。ブッチよりもさらに大柄なアーリア系の容貌。右のこめかみに古い傷跡がある。


「ハリーだ」


 シェルパの様な巨大なリュックサックを背負いながら会釈する。


「そして、オーグサはもう知っているな」


 ハリーの隣に立つ若い女性に目を向けると、怯えた様に肩を震わせる。


 ダッチと出会った洋食屋の、あの店員だった。


「アンタもぐるだったのカ」

「いや、彼女はつい先日合流したばかりだ。配属前に新入りの顔を見てやろうと思ったら、パニックを起こした」

「・・・それは、大丈夫なのカ?」

「問題ない。彼女は信用できる」


 オーグサがふふんと胸を張る。


「嘘はつけないが、とにかく頑丈だしな」


 しょんぼりと眉尻が下がる。何となく、犬みたいなやつだなと思った。


「ソーヤ、彼女をお前の下につける」

「えっ?こ、この子にですかっ!?」


 驚いた様子のオーグサが言った。


「まだ子供じゃないですか」

「中身は多分一番歳上だぞ・・・っと、流石にヤナギサワさんの方が上か」

「えっ」


 ヤナギサワが「ははは、おっさんで申し訳ないな」と笑う。オーグサが信じられない様にソーヤを見た。


 確かに、ソーヤも主観的には三十代半ばのおっさんではある。


「それにネオの指示でもある」

「・・・て言うか、これで全員なのカ?」

「いや、沖縄に既に現地入りしてるのが一人と、俺たちがこうしている間にも『プリンセス』を警護している実働隊が別にいるが」


 口振りからすれば数が多いとは言えないだろう。内心で焦りが募る。


 しかし、頭数はあまり問題とは言えないのかも知れない。


「それよりも、スレイブジャケットは?もし今、アーマロイドに来られたラ・・・」


 ヤナギサワの眉がピクリと上がる。


「その話は後でしよう」

「・・・それにしてモ、随分と人手不足じゃないカ」

「採用は基本的にリファラルオンリーだからなぁ。良いやつ知らないか?お前なら心当たりなんて幾らでもあるだろ?」


 沢山居た。本当に沢山居たが、沢山死んで、死に過ぎていて咄嗟に名前が浮かばない。


 ヤナギサワが「ちょっと良いか」と口を挟む。


「それよりも、くだんのネオ氏は?顔合わせと言うなら彼にも挨拶をさせていただきたいが」

『私ならここにいる』


 ボイスチェンジャーを通した、あの奇妙な声が響く。ネオの声だ。声はハリーから、いや、彼が背負う大きなリュックサックから響いた。


 まさか、その中に隠れていたのか。


「ヤナギサワさん、英語は?」

「問題ないよ」

「それじゃあネオ、頼む」


 ハリーがリュックを床に置いてジッパーを開くと、中からもぞもぞと動いて中からネオが顔を見せた。


 黒くピンとした耳は獣毛に覆われていて、黒に淡い黄色の毛に覆われた身体を晒した。


 ヤナギサワも驚いた様子だった。横たわる女も目を剥いていて、良く見ようと首を伸ばして苦痛に顔を歪めている。


 記憶が正しければシェパードと呼ばれる犬種だった筈だ。前足でリノリウムの床を踏み、テチっと肉球の可愛い音を響かせる。


『お初にお目にかかる。とは言っても、あまり語るべき身の上をもたないのだ』


「えっ、い、犬?」


 戸惑う様なヤナギサワに、ソーヤも言葉が出なかった。

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