第5話 『秘匿護衛任務 上』

 放課後。生活指導の多賀亜里沙からしぼられたソーヤが職員室から出ると、既に日が暮れていた。空き教室から吹奏楽部が練習している楽器の音色を聞きながら下駄箱に向かうと、学校を出た。


 財布と携帯くらいしか持っていないが構う事はない。どうせ銃は取り上げられてしまったのだ。


(詰んだかと思った)


 無様にも銃を取り上げられ、『逮捕』の二文字が脳裏を過った。しかし、幸か不幸か平和ボケしている日本人の感性はそれを本物だとは捉えなかった。手荷物検査を失念していた事も不注意に過ぎたし、あんな分かりやすくカバンに放り込んでおいた事も誤りだった。


 そもそも、武器が悪しきものだと言う感覚も完全に欠落していた。


 自分の方こそ戦争ボケと言うに相応しいだろう。




 マンションの非常階段を登っていた。既に完全に日も沈んでいて、少し離れた繁華街の明かりが暗闇に浮かぶ灯籠の様だった。


 屋上に上がる頃には息が上がってしまっていた。


 ソーヤは転落防止柵の近くに陣取ると、リュックからハンディカメラの様な形状をしたものとトランシーバーの様なものを取り出した。


 サーマル単眼鏡と盗聴受信機だ。


「このやり方、無理があるのかナ」


 イヤホンを耳に捩じ込んで単眼鏡を向いのマンションの七階の一室に向ける。水が流れる音、これは洗い物をしている音か。


“彼女を救え、彼女の悲劇こそ全ての始まりだ”


 モノトーンの視界の中で少女、洗い物を終えた白瀬彩芽が冷蔵庫から何か出して、ドサリとソファに横になった。


 彼女を襲う悲劇が何かなんて分からない。その言葉を信じて良いのかも。だが、訪れる地獄を回避出来るかも知れないと言う希望は無視するにはあまりにも甘美に過ぎた。


 黒いスライド式の携帯も、常に持ち歩いているが沈黙を保っている。履歴も残っていなかった。


 彩芽が携帯で誰かと話し始める。会話の内容からして、クラスメイトの三ノ輪朋美か。会話を聞く限り、二人は幼馴染の様でとりわけ仲が良かった。


『海はまだ早いって』


 来週に予定されている修学旅行の話題の様だ。行き先は沖縄。今日も教室ではその話題ばかりだった。


『だってまだ寒いよ?・・・・・え、プール?いやいや・・・・・だって、美味しいものたくさん食べたいじゃん』


 楽しげな会話は年頃の少女そのものだった。


『え?前園君って、サッカー部の?・・・うーん、どうしようかな』


 日中は勿論、学校が終わってから彩芽が就寝するまで可能な限り監視をし続けていた。最初の頃こそ、きっとどこかでアーマロイドの指揮官ユニットとしての顔を見せ、配下のユニットに指令を下したり、夜な夜な家を出て一般人に危害を加えているに違いないと思っていたが、何日経ってもごくごく普通の少女でしかなかった。


 時折話題にあがるソーヤ自身についても、盗聴器まで仕掛けて監視していると言う事は露ほども考えていない様子で散々に悪態をぶちまけていた。


 分かってはいたが、やはり嫌われていると分かると少し気分が沈んだ。


 どうやら話題は彩芽を熱心にデートに誘おうと試みているサッカー部の同級生に関するものの様だ。サーマル単眼鏡で周囲に不審人物がいないか確認しながら記憶を検索する。確か県大会常連のサッカー部のレギュラーで、校内でも人気の高い男子生徒だった筈だ。


 一応探っておこうか。しかし、その間に例の『悲劇』とやらが起こったら目もあてられない。


 携帯のバイブレーションが鳴った。親に家を抜け出している事がバレたのかとドキリとするが、ソーヤ自身の携帯は鳴っていなかった。


 あの黒い携帯だった。


「・・・はい」

『監視は順調かね』


 あの声だった。


「・・・その様子だと、俺も監視されている様だな」

『オンタイムではないがな。我々も決してリソースが潤沢とは言えない』


 あっさり肯定されて舌打ちする。


「白瀬彩芽の『悲劇』とやらが迫っているのだろう?そんな体たらくで大丈夫なのか?」

『当然、彼女の周囲には最優先で人員を配置している』

「へぇ、なら俺は要らないかな」

『探りの会話はよせ。伊達や酔狂で貴様に『投資』をした訳ではない。何か問題が?』

「学校は兎も角、放課後がキツい。親の目盗んで抜け出すのも限界あるし」


 人類存亡の危機を前に呑気な事を言っているようだったが、不審に思った親に詮索されて監視に支障が出るのも避けたかった。


 声は考える様な間を置いて言った。


『分かった。家族については心配が要らなくなる様に手配してやる』

「・・・おい、家族に手を出してみろ。どんな手つかってでも探し出して」

『誤解をするな。実に穏便な手だとも。当座の追加『投資』として人もつけよう』


 人員不足なんじゃなかったのかと嫌味を返そうとして、いきなり側頭部に銃が突きつけられる。


「動くな」


 囁く様な声だった。


 誰もいなかった筈の屋上に一人、女がすぐ隣に忍び寄ってきていた。ソーヤは目だけを動かして相手を相手を見る。暗がりで分かり難いが、右手で銃を構える女は背が高かった。キャップを目深に被りノースリーブにジーンズと言う、ラフな服装。


 音を立てる事を避けたのか、ご丁寧に靴まで脱いで素足だった。


『おい、何かあっ・・・』


 女が携帯電話を指差して、自分に渡すように指示する。刺激しない様に、ゆっくりと手を動かして渡すと女は通話を切った。すぐに携帯のバイブレーションが鳴るが無視する。


「なんダ、お前?」

「質問は私がします。貴方の方こそ何者?」

「・・・普通の高校生だヨ」

「普通の人は自分の事を普通何て言わない。名前も教えなさい」

「俺は・・・」


 言いかけ、女の左肩から鮮血が弾けた。跳ねる様に不自然に傾いで倒れた。


(ッ・・・狙撃っ!)


 反射的に給水塔の影に飛び込んだ。追い縋る様にコンクリートの基礎と鉄骨に着弾する。隙間から覘こうとすると、すぐそばのコンクリートが弾ける。数分か、あるいは数十秒か。未練がましく襲いかかってきていた銃撃が止んだ。


 女の足元で携帯のバイブレーションが鳴っていた。ソーヤは駆け出し、それを拾いながら屋上の出入口に飛び込んだ。分厚い布の様なものを踏んで転びそうになる。女が脱いだと思しきジャケットだった。靴もある。


 携帯の通話ボタンを押すと『おいっ、どうなってるっ!』と怒鳴り声が聞こえた。


「狙撃だっ!銃撃を受けたっ!多分もう、向こうも逃げたと思うけど・・・」

『そうか・・・念の為、そちらに迎えを寄越す。『彼女』の向かいのマンションだな』

「ああ、それと・・・」


 倒れた女が苦し気に呻く声が微かに聞こえた。まだ生きている。


『どうしたっ、何だ!?』


 ライフル弾で撃たれたのだ。まだ息があるだけでも奇跡だ。しかしそれも長くはもたないだろう。放っておけば、放っておかなくてもじきに死ぬだろう。


 しかし、もしかしたら・・・。


「くそっ」

『何だっ!?』

「負傷者一名っ!出血が酷いっ!治療手配頼むっ!」


 ソーヤは踵を返して駆けだした。


※※※


 燃え盛る炎の中をかけていた。ソーヤにはそれがすぐに夢だとわかった。


 呼吸を止めながら、暴れる心臓と空気を求めてしゃくりを上げる喉に頑張れと言い聞かせて狭い廊下をかける。


 夢だ。夢に違いない。だって、記憶の中のその炎は熱いなんて感じる余裕もないくらいの強烈な痛みだったし、被った水もあっという間に蒸発して、ソーヤの全身に死ぬまで消えない火傷を刻んだのだから。


 早鐘を打つ心臓も、空気を求める肺も感じる余裕はありはしなかった。


 歪んだ扉を手の皮が焼けるのも構わず開く。


 ドーム型の格納庫が広がる。火の手は上がっていたが、スプリンクラーが作動したのか廊下よりも幾分マシな状況だった。


 しかし、無傷とは言えない。天井が滑落し、鉄骨が倒れ、雑多に積まれたコンテナや機材を薙ぎ倒していた。


 その中心部、白亜の巨人が背の翅を折りたたんだ状態で太いケーブルに繋がれて天井から吊り下げられていた。


 ソーヤは喉が焼けるのも構わず叫んだ。


「キンバリー中佐っ!」


 ここで仕事をしていた人間がいた筈だ。新型機の主任技師、ソーヤの仲間たちの命を奪ったアーマロイドを人類守護の使徒として生まれ変わらせる作業をしていた人間が。 


「マヤ・キンバリー中佐っ!どこだっ!」


 滑落した天井の瓦礫に紛れて、巨大な鉄骨の下にどす黒い水溜りを見つけた。


 血だ。


「中佐っ!」


 血溜まりの中に見つけた黒髪のな女に駆け寄ると、肩を掴む。マヤは小さく呻いた。まだ生きている。


 生きているだけだった。


 腰から下が潰れて夥しい量の血を流していた。鉄骨の鋭利な部分が腹を裂き、腹圧に負けた臓物を撒き散らしていた。華奢な体格の彼女からしたら、まだ生きているのが奇跡なほどの重傷だった。


 その奇跡も長くは続かないだろう。


「ソー・・・ヤ・・・」 


 溌剌とした彼女から聞いた事がくらい弱々しい声が漏れる。


「機体は、機体は無事か・・・」

「話すなっ!医者をっ」


 手近な電話にかけ出そうとして、ソーヤの手が掴まれる。


 血の気が失せた手が、考えられないくらい強く握り締める。


「機体は・・・」

「無事だっ!アンタは自分の仕事を完璧に果たしたっ!だからっ」


 沸騰した頭でどうやったら助けられるか考える。輸血して傷を片っ端から塞いで、強心剤で心臓を無理矢理もたせて・・・。


「無駄だ」


 諦めるな。そう言おうとして、強く手を引かれる。


「いいからっ、聞けっ・・・機体はまだ、完璧じゃない・・・停電で管制AIが自閉モードに・・・メインジェネレーターが動かん」


 血のあぶくを吐いて睨む。強い眼差しだった。


「サブジェネレーターを起動しろ。床下の、予備電源にAPC(補助電源ケーブル)を繋げば、自動的に再起動・・・右の脇腹のやつだ・・・間違えるんじゃ、ないぞ」


 大切な話だった。整備に関しては門外漢のソーヤでは手の出しようのない話だ。


 マヤの手を振り解いて緊急用の医療セットを探す。直ぐに見つかった。保冷パックの封を引き千切って静脈に管を繋いでいく。外科処置用のパックの封を切ったところで気づく。


 輸血のペースを超えた、動いて話しているのが奇跡なくらいの出血量、火災の混乱の最中で医療班が来たとしても・・・。


 もう間に合わないだろう。


「・・・反重力翅は?飛べるのか?」

「ああ・・・ただしSRB(Solid Rocket Booster)は使うな・・・未調整だ」

「MMS(Motion Manager System)は?コンソールが開いている」

「ダメだ・・・ダイレクトリンクでマニュアル操作しろ」


 本当だったら手を握って感覚があるか、痛むところはないか聞いたりしなければならないところを、ソーヤは機体について質問しなければならなかった。


「・・・それから、機体管制AIは起こしたら極力落とすな。トラフィックは増大するが、貴様と機体をより繋ぎ、育てる・・・」

「わかった」


 説明を終えると強張っていたマヤの身体から力が抜ける。


「・・・それと、これは返す」


 そう言って左の手のひらを向ける。その薬指には銀色の指輪がはまっていた。


「私は貴様にはもったいない」

「おい、いまさら・・・」


 ボロボロの笑顔を向けるマヤの薄く開かれた目は、どこか遠くを見つめて動かなくなっていた。


「・・・くそっ」


 格納庫の外では戦闘が続いていた。いや、前哨戦とも言える先制攻撃を終えたアーマロイド達が大挙して押し寄せて、基地を飲み込もうとしていた。


 このままでは外でまだ戦っている仲間たちがいた。


「くそっ!」


 機体へ駆け出して言われた通りの手順で機体を立ち上げる。ゴゥンと唸り声をあげる様に機体が震えてメインジェネレーターが起動する。


 閉まる気密ハッチの狭間に横たわる女を見た。


 ずっとその姿が、光景が、網膜に刻まれた様に頭から離れなかった。




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