第4話 『白瀬彩芽 下』
指揮官ユニット序列三位、クイーン・サジタリウス。一年半後に始まるであろう血みどろの生存競争の初期から登場するアーマロイド側の組織的攻勢の要で、連合宇宙軍の最重要手配者リストの中でも最も優先順位の高かったが、自らは戦場に立たない為に殆ど所在が確かめられずにいた。
そのクイーン・サジタリウスが、裏切ったとは言え、仲間達を捨て駒にして自分へあてがったであろう彼女が目の前にいる。握りしめた拳が軋みを挙げた。
「・・・何?」
昼休みの廊下で胡乱な目をした彩芽がソーヤを振り向いた。
「いヤ、何でもなイ」
高鳴る鼓動、しかしそれは決して恋のそれではなかった。
「本当に偶然ダ」
「・・・何か最近、櫻井君からの視線を感じるんだけど?言いたいことがあるなら言ったら?」
死んでくれと言いたかった。納得しない様子で目を細める。
「い、いや、本当なんダ。白瀬さん美人だから、つい目が」
「あ、そ。ありがとう。でも櫻井君みたいなタイプは好みじゃないから。さようなら」
そう言って踵を返す少女の背を見送る。思春期の青少年であれば回復不能な心の傷を負っていただろうが、中身が三十代半ばの中年であるソーヤはむしろ誤魔化す事が出来た事実にホッと胸をなでおろした。
「フラれたな」
揶揄う様に小野塚が肩を叩く。面白おかしく、それでいて仲間を見る様な目でソーヤを見ていた。そう言えばと思い出す。小野塚がサッカー部をサボって幽霊部員と化している理由、確かマネージャーの同級生を三年の先輩の交際相手と知らずに告白して居づらくなったからではなかっただろうか。
白瀬彩芽が転校してきて一週間、明日からゴールデンウイークが始まる週末の昼はどこか浮かれた雰囲気で、家族旅行の話や、友人同士で遊びにいく予定の話で盛り上がっていた。彩芽は転校してきたばかりとは思えないくらいクラスに馴染んでいたし、そもそもが中学時代の友人がクラスにもいて、既に万年ボッチのソーヤよりも交遊関係が広い様子だった。
一週間とは、ソーヤが彩芽に殺意に満ちた視線を送り続けた時間でもある。敵の首魁、クイーン・サジタリウスと同じ顔であっても、その顔に浮かべる表情は全くの別人とも言えるくらいに邪気がなかった。殺すか?しかし別人かも知れない。だが記憶にない転校生、あまりにも怪しい。ソーヤの険しい視線は彩芽も感じ取っていた様で、最初の方こそ戸惑う様子だったがここ数日は喰ってかかる様に睨み返す様になっていた。
肩を落としたまま帰宅する。
「ただいま」
玄関に置かれた段ボールを横目にリビングのドアを開けると、キッチンに立つ母が包丁片手に気もそぞろな「お帰り」を寄越す。
一週間経ってようやく、亡くなった筈の家族が生きていると言う実感が湧いてきた。ただただ事実に圧倒されていた。未来という名の過去で、何度も触れたいと思って、声を聞きたいと思っていた家族がそこにいる。
油断していると、戸惑う様なゾワゾワとした感触の後に涙が溢れてくる。
「あなたに荷物届いてるわよ」
「荷物?あぁ、玄関の」
「学校の茶道部だって。宗也あなた、茶道部なんで入ってたの」
「イや、まぁ、確認してみるヨ」
自室にこもる理由が出来た。
玄関の段ボールは一抱えもあって、しかも中身が詰まっているのか重かった。苦労しながら二階の自室に運び込む。
荒い息を吐きながら伝票を引っ剥がすと確かに浅浦高校の茶道部と丁寧な字で書かれていた。裏に掠れた印刷の、スペイン語かポルトガル語で書かれたラベルの様なものが貼ってあった。
厳重に巻きつけられたテープを剥がし、開けた瞬間に息を呑んだ。一番上に置かれた油紙に包まれたそれを手に取る。
鈍色の銃身が蛍光灯を反射する。ガバメントだ。世界中で数多くのコピーを生み出した傑作拳銃で、ソーヤ自身も携帯火器として愛用していた。
段ボールには弾丸と、ラップに包まれた札束が入っていた。日本円だけではない。ロシアルーブルや中国元、USドルにユーロまであった。
恐らく総額は数千万にのぼるだろう。
そして反る様なカーブを描いた、スライド式の携帯電話があった。
(・・・マトリックスかよ)
心の中で悪態を吐いてそれを拾い上げると、見計らった様にバイブレーションが鳴った。
「・・・・・はい」
『ソーヤ・サクライだな』
ボイスチェンジャーの歪んだ声が響く。
『荷物は確認したか』
「・・・あんたが送り主か」
『彼女に危機が迫っている』
一方的な、それでいて断定的な物言いだった。
ただ厄介ごとを避けたいだけならば、警察に通報して全部引き取ってもらえば良い。札束は惜しい様な気もするし、事情聴取もあるだろうが、少なくとも今の自分はこれっぽっちも後ろ暗いところはない筈なのだから。
だが、『ソーヤ・サクライ』と自分を呼びかける何者か黙って通話を切る事を躊躇わせる何かがあった。ここ数日、ずっと疑問に思っていた不可解な状況。全て夢だったのか。なんでこんな事が起きている。そんな疑問に対する答えを持っているのではないか。
何かするべき事があるから自分はここにいるのではないか。
「・・・彼女とは?危機とは一体・・・」
『白瀬彩芽が君の記憶にいたか?あんな少女、我々の未来にはいなかった筈だ。いや、同じ顔を持つ者は存在した。クイーン・サジタリウス、アーマロイドの指揮官ユニットとして』
「ッ・・・あんた、一体」
『良いか、良く聞け。彼女こそが全ての始まりなのだ。彼女に危機が迫っている。彼女の為に戦え。護れ』
何者かは一度言葉を切り、命じる様に言った。った。
『彼女を救え、彼女の悲劇こそ全ての始まりだ』
「マジであいつ、顔も見たくない」
朝露に濡れた街路樹を睨みながら、白瀬彩芽はうんざりとした様子でボヤいた。空は晴れ渡っていて、雲一つない晴天だったが、彩芽の表情は晴れなかった。
「んー、そうだね」
瑪瑙色の瞳が並んで歩くクラスメイトの三ノ輪朋美へ胡乱な眼差しを向ける。
ゴールデンウィーク明けの登校初日の朝だった。
「ちょっと朋美、さっきから『そうだね』って、そればっかよ」
「だってアヤちゃん、シーでもそれ言ってんだもん。もう耳タコだよ」
白瀬彩芽が父や弟と共に住んでいたシカゴを離れて日本に戻ってきたのは、元をただせば親子間のちょっとした諍いが原因だった。母を病で早くに亡くして父子家庭となった白瀬家では、イースターの時期に墓参りも兼ねた帰国が恒例行事となっていた。
ところが、今年は父が仕事の都合で行けないと言い出したのだ。それだけならまだ、残念な事ではあるが納得する事も出来ただろう。本当に残念ではあるが、男手一つで自分たち姉弟を育てる父に対する遠慮もあった。
しかし、今度からお盆休みの一時帰国の際に纏めて済ませてしまおうと言い出して、我慢を重ねていた彩芽の堪忍袋の緒が切れた。
近頃は父の周囲に女性の姿がちらつき始めた事も無関係ではないだろう。家にまで連れてきたとあってはリーチ役満待ったなしだ。
「・・・ごめんって」
「せっかく遊びに行ったのに、そんなんだと彼氏出来ないよ」
「っは、そんなもん、朋美だっていないじゃない・・・て、いないわよね?」
「・・・んふっ」
「えっ、うそっ、マジで?」
「へへっ、いないんだけどね」
「こっ、このっ〜」
戯れあっている内に見えて来た校門には生徒が列を成していた。
「あちゃあ、持ち物検査かぁ」
「え、なに?ヤバいの?」
日本のそう言った事情に疎い彩芽が聞くと、朋美は通学カバンを開いて中を見せた。
「そんな厳しくないけど、こんなのはダメなんだよね」
そう言って食べかけの菓子の箱を見せる。
「へぇ、厳しいのね・・・って、賞味期限先月じゃないっ!どれだけほったらかしてたのよっ!」
「えへへっ、つい捨てるの忘れちゃうんだよね。アメリカではどうだっの?」
「ん〜、流石にマリファナと銃はダメだったけど」
「うひゃあ、流石ゆ〜えすえ〜・・・ってありゃ?」
列の先に人だかりができていた。何やら言い争う声が出て聞こえる。
「なんだろうね」
彩芽の朋美は興味本位で列の後方から首を伸ばして様子をうかがうと、生活指導の体育教師、多賀亜里沙が何やら男子生徒と押し問答を繰り広げていた。
「あ、いヤ、すぐに戻ってきますかラ」
「それじゃあ遅刻でしょ?良いから見せなさいって」
カバンで綱引きをしているもう片方の男子生徒、櫻井宗也を見て思わず「げっ」と呻く。
「どうしたんだろね」
「・・・さぁ、エロ本でも持ってんじゃない?」
綱引きに勝利したのは多賀亜里沙だった。
「見せなさいってっ、ほらっ」
引っ手繰ったカバンを開けて手を突っ込み、中を探る。やがて出てきたのはコルト・ファイヤーアームズ社製のシングルアクション自動拳銃と、その予備弾倉二つだった。
「・・・あなたねぇ」
「はっ、はイっ」
櫻井は引き攣った顔で脂汗を流していた。
「エアガンなんて学校に持ってきちゃダメでしょっ!」
「えっ?あっ・・・」
「没収よっ!後で職員室に来なさいっ! ほら、ちょっとどいて、次の人通して、授業が始まるまで時間ないんだから」
ポカンとした様子の櫻井の横を、後から通された生徒がくすくすと笑いながら通り過ぎていく。
「あいつ、軍事オタク?学校にまで持ってくるなんて、マジで気持ち悪い」
「まあまあ」
心底嫌そうな彩芽に、朋美は心のこもっていない返事を返した。
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