第5話

「おい!まずいぞ!」


馬車に心地よく揺られて寝かけたところを、アシヤは前方から発された鋭い声に起こされた。


「ん、な、なんですか?」


御者の慌ててどもった声が聞こえてくる。


「で、出た、出た」

「獣ですか!」

「違う!」


馬車の速度が少しずつ遅くなっていった。アシヤが窓の外を覗くと、大きな影が目の前に現れた、前方へ走っていく。まずいことになった、とアシヤは思った。


「賊だ!」


二人乗りの馬が二頭、馬車を挟むように走っている。

四人の賊は皆ボロ布を頭に巻き、その下から覗く薄汚れた革製のブラウスを締めるベルトに剣がぶら下がっていた。

前に乗っている賊が手綱を取り、それに掴まった後ろの賊が剣を抜いて振り回した。御者は悲鳴を上げて体を横に折り曲げる。

馬車は道の上を蛇行しながら徐々に速度を落としていて、止まるのは時間の問題だった。


「速度を落とさないで!」

「ば、バカ言うな!馬が殺される!」


周囲に民家は無く助けを呼ぶことも難しい。

アシヤは短剣を抜くと、正面に座っている男の肩を叩いた。男は驚いたようにびくついてアシヤの方に顔だけ向けた。


「御者さん、馬車が止まったら逃げてください」

「あんた、倒してくれないのか!?」

「すみません」


囚人の目と口を塞いでいるバンドは革の先に紐が縫い付けられて後頭部の辺りでそれが固く縛られていた。アシヤは男の頭の後ろに手を回して、目のバンドを締めている紐を手繰ると迷わず短剣で切った。

バンドは無造作に馬車の籠の底に落ち、男の双眸が露になった。

瞼がゆっくりと開き、白いまつ毛の隙間から黄みがかったオリーブ色の瞳が覗く。男は光に目が眩んだように何度か瞬きを繰り返すと、鋭い釣り目でアシヤを見た。


「俺は負けます。どうにか生き残ってください」


アシヤは男の口を塞いでいたバンドにも手を伸ばし、その紐を断ち切った。革バンドが外れる時に、バンドの裏で噛まされていた口枷が外れ、囚人は少し噎せた。


丁度その時、馬の嘶きと共に馬車が激しく揺れ、アシヤは後ろの座席に尻もちをついた。

馬車が止まると、周囲を人影が取り囲んでいった。


アシヤは起き上がって男の腕を拘束するベルトに手をかけた。それを断ち切ろうとして、一瞬躊躇した。


「どうしてこんなことを?」


アシヤは視線を上げた。それは初めて聞く囚人の声だった。

彼の顔立ちをアシヤは初めてしっかりと見た。この状況に恐怖するわけでもなく、品定めするような目でこちらを見ている。


どうしてこの男の拘束を解いているのか?

サルビア女史の命令にも逆らってこの男をせめて逃がすために拘束を解く理由?


「死なないでほしいから」


アシヤは短剣を振り下ろし、ベルトを断ち切った。

馬車の扉がバン!と開き片刃の剣を持った腕がぬっと入ってきたのはほぼ同時だった。

アシヤが振り返ると賊と目が合った。

血走った瞳が獲物を捉え、伸びた髭の下で乾燥しきった口元が醜く歪んだ。その刃は真っ直ぐにアシヤに向かって振り下ろされた。


「ハッ」


迫ってくる刃を視界いっぱいに入れながら耳に入ってきた音を、アシヤは幻聴かと思った。


「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


その音に哄笑が続いて、それが笑い声と理解するまでにアシヤは時間を要した。

何しろ死に瀕した状況で誰が笑っていようとそれどころではない。


時間を要したが、アシヤはそうと理解した後もまだ無事に生きていた。

何故なら賊が振り下ろした刃は


賊が煮え湯を飲まされたような顔をして固まっている様をアシヤは目を丸くして見ていた。

危機的状況にアシヤの脳はフル回転し、場違いな情景がフラッシュバックした。今朝囚人を引き渡された時の、衛兵の挙動である。


「ハッ、ハハ、アハハ………お前、さては」


馬車を取り囲んでいる賊たちは先陣を切った男に続かなかった。一言も発さず、振りかざした武器をそのままに微動だにせず立ち尽くしていた。賊たちは皆指一本動かすことも敵わず、意識はそのままで硬直していた。


アシヤは状況を少しずつ飲み込み始め、ゆっくりと囚人の方に向き直った。

拘束を解いて初めて顔を見たとき、整った顔立ちだとアシヤは思った。今その口元は歪み、細められ吊り上がった目は狂気を孕んでいた。


彼は保菌者か?感染者か?


そんな話では無いんじゃないか………?


「馬鹿だなぁ」


囚人は自由になった左手を顔の高さに持ち上げた。その手は不思議な組み方をしていた。親指、薬指、中指の先が合わさって、小指は親指に沿うように緩く曲がっている。そして人差し指が標的を狙うように賊に向かって指されていた。

囚人がニィと笑うと、賊が「ぐっ」と呻いて苦しみだした。


「何か、してるのか?」

「………ふふ、どうしてほしい?」


囚人は、左手首を弧を描くように内側にゆっくり曲げた。賊は震えながら後ろに一歩下がり、握った右手を開いていく。支えを失った剣は地面に落ちた。賊の口から掠れた息が漏れる。


「死なないでほしい?こいつらも?」


囚人が左手を動かすと賊はまた呻いてに苦しがり始めた。


「………殺したいのか?」


アシヤには囚人の考えていることが分からなかった。彼が享楽のために人を殺す人間だとしたら止める術などあるだろうか?結局思ったことを口にすることしかできなかった。


「殺したい理由があるか?俺には無いけど」

「理由か………」


囚人は存外に話を聞いてくれるタイプらしかった。歪んだ笑みを引っ込めて真面目な顔で思案している。アシヤは固唾をのんで答えを待った。


「あるかもな」


そして数秒も保たずに答えは返ってきた。


「こういう賊は消しておいた方が、悪い問題も起きないだろうさ!」


囚人はまた左手に力を込め、賊は苦しみだした。「うぐ……ぐ……」と呻いて頭を振ると被っていたボロ布が外れ地面に落ちた。

アシヤは汗と土と埃で汚れた髪の間から覗くものを目にして目を見開いた。


「待った」

「ん?」


アシヤは賊に襲われかけた時から気になっていたことにようやく考えが回ってきた。


「感染者だ、この人」


賊の頭からは髪に混ざって

アシヤは馬車から降りると地面に落ちた剣を拾った。


「これは………支給品だ。衛兵団の」


囚人は「ふーん。そうなの?」とどうでも良さそうに答えた。

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